第25話 六つの星
グループが結成されたばかりの頃、レッスン帰りに小田の呼びかけでファミリーレストランに立ち寄った。この日は土曜日で、午後からのボイストレーニングはまだ日の高い3時前に終了した。とりたてて用事があったわけではなく、親睦会のようなものだった。
靖国通り沿いの2階にある店は土曜の午後は空いていて、入店するとすぐに入り口から一番奥にある、6人用のテーブルを案内された。手前に仕切りがあって以前は喫煙席だったと分かるが、ここだけ建て替えられたかのようにタバコの臭いは消えている。3人掛けのソファーに並んで座っても、窮屈さは感じなかった。
「私はドリンクバーだけでいいかな」
気のない素振りでメニューをめくりながら小田が言った。夕飯にはまだ早い時間。スタイル維持のため普段から節制していた小田は、オーディションに合格して一層気を遣うようになった。空いた店内では食事をしなくても問題なさそうで、メンバーも目礼で同意した。注文を取りに来た店員に、6人分のドリンクバーを注文する。
「それとストロベリーサンデー1つ」
広げたメニューを指さしたのは津久田だった。集まった視線に、ピースで応える。抜け駆けされた気分も、誰も追加注文を禁止していない。
「一人で食べさすのは可哀想だから付き合ってあげようかな」と角川も同じものを注文した。
「自分も食べたいだけのくせに。食べたかったら注文すれば?」
松澤は、斜向かいに座る中村にメニューを差し出した。グループ最年少であるのに加えて遠慮がちなタイプで、自分からは言い出し難いだろうと慮ってのこと。「大丈夫です」と中村。続けてメニューを向けた五十嵐も「私も大丈夫」と断った。
「じゃ、チョコレートパフェ1つ追加で」と松澤が店員に告げた。
「自分は食べるんかい」とツッコんだ角川に、松澤は津久田を真似てピースを返した。
店員が注文を確認して引っ込むと、6人は一斉に席を立ち、ドリンクバーに向かった。
ドリンクバーのラインナップはどこのファミレスも似たり寄ったりで、ホットかアイス、カフェイン系か炭酸系かを選ぶだけなのに、相応の決断力を必要とする。飲み物を手にテーブルに戻ったら空気がリセットされていた。
オーディションで出会い、顔見知りになってしばらく経つが、外でメンバーだけで集まるのは初めて、ゆっくり話すのもこれが初めてだった。
「正直どう思った?ダサくない?」
メロンソーダで喉を潤してから津久田が切り出した。この日のレッスン後、社長からグループ名が『ホシトソラ』に決まったと聞かされた。津久田はこの名前が不満なわけではなく、否定的に切り出してみて、メンバーの反応を窺おうという魂胆だ。
「名前のこと?私は好きだけど」
小田は本心を語って、カフェラテを口にした。
「まぁねぇ、別に、ダサいとは思わなかったかなぁ」
満足もしていないが、とりたてて不満でもない。与えられた制服に袖を通すだけ。松澤はそういう口ぶりで感想を言ってから、問う様に斜向かいの中村を見た。
「普通にいい名前だと思いました」
中村は視線に気づいてストローを口に近づけた手を止め、グラスを置いて言った。
「みんな同期なんだから、敬語止めない?」
小田は口元に笑みをたたえて言った。アイドルに疎かった小田も、オーディションに合格したの機に自分なりに色々と調べてみた。アイドルグループは年齢に関係なく同期は呼び捨てタメ口、という不文律もそれで知った。
「年は違っても先輩後輩じゃないからね。名前もみんな呼び捨てでいいでしょ。その方が一体感出るし」
松澤は自分に言い聞かせるように言った。年下に呼び捨てにされる代わりに、年上の小田を呼び捨てにする。そうすることで上下ではなく、横のつながりができる。
「そやな。そんで名前の話に戻るけど、聞き慣れてないのもあんねん。自分の声ってマイク通すと変な感じに聴こえるやろ。それとおんなじ」角川はそう言って満足げに頷いた。
「ちょっと違くない?」首を捻る津久田。
「いちいち細かいねん」角川は眉間にしわを寄せた。
「どう思った?」
松澤は隣に訊いた。呼び捨てでいいと言ったもののまだ五十嵐の名前を呼び慣れていなかった。
「結局自分たち次第なんだと思う。私たちがいいグループになれば、いい名前に聞こえるし、そうじゃなければそうじゃなく聞こえる。いまはまだどんなグループか分からないからそういう風に聞えるんじゃない?」
五十嵐は、中村の次に年少だったが、レッスンの時でも自分の意見を主張できた。年上の目には、生意気に映る反面羨ましくもあった。
「そういうことかもね。ありふれた名前じゃないから聞き慣れてない。私たちは既製品じゃないってこと」
小田は一番遠くにいる五十嵐に視線を返した。年下の意見にもしっかりと耳を傾けてくれる。小田がメンバーから信頼を得る要因の一つだった。
「そういうことやな」
角川がまた満足げに頷いた。
「既製品の意味分かってんの?記念品じゃないから」
「分かってるわ」
疑惑の目を向けた松澤に、反論した角川の唾が飛んだ。「汚ない」と松澤は顔をしかめ、角川の前に置かれたおしぼりとって、唾が落ちたテーブルを拭いた。
店員がパフェを運んできた。一旦話を中断して、各々スプーンを伸ばす。注文していない小田は、ドリンクのお替りに立った。それを見て松澤がドリンクバーの方を指さし、中村と五十嵐にお替りの確認をした。二人は一番奥に座っているから、どいてあげないと出られない。
五十嵐は首を振り、まだ中身が半分残るグラスを指した。中村も同じジェスチャー。松澤はチョコレートパフェに戻った。
「一口交換せぇへん?」
向かいに座る松澤に、角川がチョコレートパフェとストロベリーサンデーのトレードを持ちかけた。
「自分の食べなよ」と松澤は苦笑しながら断った。
「潔癖症なん?」
「別にそういうわけじゃないけど」
「今度来た時それ食べよ」
角川は独り言のようにつぶやいて、目の前のストロベリーサンデーを口に運んだ。
「なにそれ?」
角川は、今度は戻って来た小田が手にしたカップの中身に興味を示した。
「カプチーノだけど」
「美味しいん?」
「とってくればいいでしょ、ドリンクバーなんだから」
松澤が横槍を入れる。
「コーヒーあんまし好きちゃうねん」
「ワオッ」と松澤がお手上げのポーズをして、テーブルに笑いが転がった。
それから少しの間、沈黙が流れた。3人は黙々とパフェを食べる。小田はカプチーノをすする。五十嵐はその様子をぼんやり眺めている。中村は窓の外の景色に視線を落とした。
「この6人がホシトソラなんだよね」
ストロベリーサンデーを完食し、ナプキンで口元を拭ってから津久田が切り出した。それを制止するように、小田がとっさに手のひらを向けた。まだオーディション合格者もグループ結成も公にされておらず、正式発表まで全て、殊にグループ名は口外厳禁と今しがた社長に釘を刺されたばかりだった。
「大丈夫じゃない?」
津久田は周りを見た。空いた店内で他の客とは席が離れているし、店員も近くにいなかった。
「だね。ごめん」
小田は取り乱したことをはにかんだ。
「それで私たち、今日からホシトソラなんだよね?」
津久田は僅かに声を落としてもう一度小田を見た。
「今日言われたから、そういうことになるのかな。でもどうなんだろ。細かい設定とかあるかもしれないから、ちゃんと確認した方がいいかもね」
「せっかくだから乾杯しとく?」
「今さら?食べ終わったとこやのに」
グラスに残っているのは、スプーンではすくえない側面のこびりつきだけだった。
「別にこれでしようって言ってる訳じゃないし」
津久田は自分のパフェグラスに視線を落とした。
「じゃあさ、代わりにちょっと、自己紹介してみてよ」
松澤がいたずらっぽい顔でリクエストした。
飲み込めていない様子の津久田に「アイドルがよくやる自己紹介あるじゃん。キャッチフレーズ言ったりするヤツ」と言い足すと、ようやく酌み、津久田は咳払いしてからスプーンをマイクに見立てた。
「みなさんこんにちは。ホシトソラの津久田咲良ですっ」大袈裟なウインクで締めた。
ウインクは度外視し、メンバーは語感だけ咀嚼した。
「悪くないかも」
「むしろかなり良くない?」
「自分も言ってみなよ」と返されて同じように松澤はスプーンを口元にかざした。
「はじめまして。ホシトソラの松澤瑠衣です」
言い終えると自然と顔がほころんだ。
「可愛い。めっちゃ可愛い」
「アリアリ」
「さっきの取り消す。ホシトソラ可愛い」津久田の顔にも笑みが零れていた。
「でしょ。可愛いって」
「しかも英語で言うと『スターアンドスカイ』でしょ。カッコよくない?」
「グッズにできるじゃん。Tシャツとかタオルとか。『スターアンスカイ』」
津久田がネイティブっぽい発音で、ロゴをイメージして胸元をなぞった。
「正確に言うと『スターズアンドスカイ』かも」小田が控え目に訂正した。
「それはどっちでもいいけど。とりあえず早く誰かに言いたくなってきた」
興奮気味で口々にこみ上げる想いを吐き出すメンバー。
「ヤバイ。急にアイドルになった実感わいてきた」
「ね。アイドルが言う、一人でも多くの人に知ってもらいたいって気持ちが分かったかも」
「道とかで声かけられたくない?『ホシトソラの津久田さんですよね?』とか。『そうですけど』って表情変えないで慣れてるフリすんの」
「分かる。心の中はめっちゃ嬉しいけど、バレないように慣れたフリして」
悪事を企てたような笑みを浮かべて松澤は続けた。
「本当に正直に言って。もうサイン練習してる人」
一斉に6つの手が挙がって、手を叩いて笑いあった。
「だよね。するよね」
「あー早く誰かにサインしたい」
「なんか楽しくなってきた」
「わたしの夢は武道館と、もう一つあったんだけど、それがいまはっきり見えた」
端の席から五十嵐が身を乗り出した。熱のこもった口ぶりは、場のくだけた空気を乱したが構わず続けた。
「12月31日、夜の7時過ぎ。NHKホールにこだまするの。『紅組トップバッターはホシトソラのみなさんです!』」
五十嵐は握った手を口元に、反対の手を斜にかざした。店内に配慮した、それでもはっきり耳に届いた口上に、他のメンバーは恍惚の表情を浮かべた。息をのむ音が聴こえるようだった。
「ヤバイ。鳥肌立った」
「マジで紅白出たい。出れるかな」
「6人で力を合わせればいつか出れるかも」
「力を合わせれば・・・、ホントそれだね」
小田は唐突に左手で隣に座る角川の右手を、右手で向かいの津久田の左手を握った。意図を酌んだメンバーも同じように隣と手を握りあった。テーブルの周りに輪が出来上がった。
「『6等星』って分かる?」小田が切り出した。
「ロクトウセイ?」ピンと来ていない様子の松澤。
「大昔、まだ天体望遠鏡とかなかった頃、夜空に浮かんでる星を明るさで6つに分けたの。一番明るく輝いている星が1等星。その次に明るいのが2等星、その次が3等星。そこから下がって行って、一番暗い、肉眼でぎりぎり確認できる星が『6等星』なの。星の中では落ちこぼれみたいなものかな。
わたしたちは、わたしたち6人はいまはまだ6等星。だけどこれから6人で力合わせれば、1等星になれる日がきっと来る。だから頑張ろう。みんなで一緒に夢を叶えよう」
強くも優しい小田の温もりが手のひらを通してメンバーに伝わって行った。
「6人の6等星。星に願いを。本当にいつか夢が叶う気がする」
6人の少女がホシトソラになった。
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