第22話 小学校時代の親友 高岡優子の証言
小川町署を訪れた、家出してきたような垢抜けない身なりの少女は、宮田朱里のかつての親友・
「私の父と宮田さんのお母さんの不倫の噂がたったのは、小学6年の時です。私の両親は夫婦喧嘩もなく、仲良くレストランを経営していたので初めは嘘だと思いました。見間違えだと。母もそう思ったはずです。ですが父は不倫を認めました。土下座して謝りました。関係を続けたいわけではなく、懺悔だったんだと思います。
でも母は許しませんでした。娘の友だちの母親が相手ですから、近所の目もありますし、そんなところで生活していけないし、お店を続ける気になれるはずありません。それで離婚して、私たちはお店を捨てて母の実家のある山梨に引っ越し、私は小学6年の3学期が始まると同時に転校しました。卒業までもう少しでしたが、卒業式まで待てなかったのは、出づらかったからだと思います。同級生の親がみんな来るし、朱里ちゃんの、宮田さんのお母さんも来るかもしれない。母はそんな場所に出たくなかったでしょうし、私のことも出したくなかったんだと思います。通いなれた学校ですから残りたくもありましたが、母の気持ちも痛いほどわかりました。私と母は夜逃げみたいに、近所にも黙って引っ越しました。父とは離婚してから一度も会っていません。
私は小学1年でバドミントンを始めました。5年生の時に学年別の都大会で優勝したこともあります。練習が忙しくて他の子みたいに放課後遊んだりできなかったので、同じように余っていた宮田さんと一緒にいるようになって、それで仲良くなりました。放課後練習の時間まで過ごしたり、たまの練習が休みの日に遊んだり。練習第一で、宮田さんも無理して遊ぼうってタイプではなかったので、気が合いました。
でも引っ越して、辞めてしまいました。中学校にバドミントン部がなかったんです。どこの中学校にも普通にあると思っていたんですけど、近くにクラブもなくて、東京のように別の中学にするほど近くになくて。母は、続けさせてあげられなくてごめんって泣いて謝りました。でも母のせいじゃないので、母は悪くないので、私は「きっとこれは運命なんだ」って、「これからもっといいことがあるんだ」って。母も自分も励ます意味でそう言ったら笑顔が戻りました。
結局中学校で部活はやらなかったんですが、勉強が好きなわけじゃないですし、東京みたいに遊ぶところもないし、高校受験もまだ先だし、アルバイトも出来ないので、何か始めたいと考えていた時にボランティアと出会いました。地元に中高生を対象としたボランティアサークルがあったので、参加してみたんです。中学生に出来ることは限られていますし、そんなにしょっちゅうあったわけではありませんでしたが」
高岡は公園での清掃作業や老人ホームの慰問など、従事したボランティア活動をいくつか挙げた。
「宮田さんとは引っ越したあともこっそり連絡を取っていました。親にバレないように時々電話で励まし合いました。彼女は地元に残ってるんですから、やっぱり辛かったみたいです。近所から白い目で見られて、越境した中学にも馴染めなくて。友だちもできないようでした。
それで中2の終わりぐらいに、宮田さんにボランティアを勧めたんです。参加してみたら?向いてるかもって。私もそれほど経験したわけじゃなかったんですけど、田舎に引っ越して馬鹿にされたくないとか、得意顔をしたいとか、そういう気持ちもありました。
すぐに中3になって、高校受験があるので、私も控えるようになって、その時はそれっきりになりました。ですが高校生になって彼女もボランティアを始めたそうです。彼女は子供が好きで、元々保育士を目指していたんです。施設に入っている子どもや障がいのある子どもと一緒に遊んだり、遊園地の付き添いとかもあったり。ボランティアにやりがいを感じているようでした。私も高校生になって再開したので、情報交換したりしてました。彼女に勧められて、私も小学生を遊園地に連れていく引率のボランティアをしたこともあります。
それで、4ヶ月前です。引っ越してから初めて東京に来ることになりました。私が応援してる『ネクストジェネレーション』っていうユニットの東京ドームライブのチケットが取れたんです。2枚申し込んでたんですけど、一緒に行く予定だった友だちが行けなくなってしまって。他に一緒に行ってくれそうな友だちはいなくて、宮田さんに声を掛けてみたら行きたいって。私は進学先に東京の大学も考えていたので、話を聞けたらというのもありました。地元の様子とかも、今はどうなってるかなって。
引っ越し以来6年ぶりに会った宮田さんは、派手になったとかお洒落になったとかとは違う、垢ぬけたというかどこか大人びた印象を受けました。それで、私のこと見下してるんじゃないかって、ダサいって笑ってるんじゃないかなって胸がきゅっと締め付けられました。
ライブの前にカフェに入ってお茶をして、近況報告しあった時に、アイドルになったと聞かされて、それでかって。彼女は小学生の頃から眼鏡を掛けていたんですけど、外すと凄く目が大きくて可愛らしい顔をしていることには気づいていました。だけど大人しくて人前に出るタイプじゃなかったので驚きました。ライブに来たのもネクジェネが好きっていうより、勉強のためって意味があったようです」
さらさらと流れていた高岡の話がそこで止まった。表情にも躊躇いが浮かんだが、重い腰をあげるように続けた。
「その場では応援するよ、頑張ってって言いました。だけど、そんな気にはなれませんでした。私は東京から逃げて、駅まで歩くと1時間近くかかる田舎に引っ越して、バドミントンも諦めた。なのに彼女はアイドルになった。
悔しいっていうのが本音でした。絶対に売れないでほしい。CDデビューとか止めて欲しい。もし人気が出て、テレビとかに出る様になって、ネクジェネと共演とか絶対嫌。アイドルになったのは人と関わることに慣れたせいかもと思うとボランティアを勧めたことまで後悔しました。宮田さんがメンバーの彼女になってる姿まで浮かんできて、ライブも素直に楽しめませんでした。
終演後、水道橋駅まで送ってくれた宮田さんと別れて、バスに乗るため新宿に行くつもりが、反対方向の電車に乗りました。携帯で調べたら、次の御茶ノ水駅に宮田さんの所属事務所があるって分かって。バスの時間まで余裕があったので、いてもたってもいられなくなったんです。
夜の9時を過ぎて人通りが少なくて、5分ぐらい歩いて着いたビルは、薄暗くてはっきりは見えなかったんですけど、それでも古いビルでした。普通にどこにでもある、言われなければ芸能プロダクションが入ってるとは気付かないような。
それで少し安心しました。事務所の力って大きいから、こんな事務所じゃ絶対売れないって。そう思いたいのもありました。
それからもちょくちょく連絡を取りあったんですが、アイドルとして売れたいって想いが伝わってきました、熱っていうか熱い想いが。オフィシャルで発表されていること以外教えてくれませんでしたし。解禁前に情報を漏らすのはタブーですし、メンバーとのプライベートの話とかも全然しませんでした。CDデビューの報告もホームページの発表後でした。線引きをしっかりしているのは、高い意識の表れだなって。
なんですけど、彼女LINEに書いたんです。公式サイトでCDデビューが発表された直後でした。本当は悔しかったし、嬉しくはなかったんですけど、でも一応[おめでとう]って送ったんです。
そしたら[次の曲でもセンターに選んでもらえるように頑張る]って。[センターなの?]って返信したら[ごめん。なんでもない。忘れて。誰にも言わないで]って。
立ち位置は発表されてないのに、センターって私にバラしてしまったんです。センターっていうのは、歌う時の立ち位置が最前列の真ん中、グループの顔ってことです。彼女はそれに選ばれたんです。
胸の奥が落ち着かなくなりました。センターで、もしテレビとかに出て話題になったらどうしよう。ネットとかで騒がれたらどうしよう。何かのきっかけで、売れたらどうしよう。
ワザとらしさも感じました。普通こんなこと簡単にバラしません。他のことは隠してるんですから。自慢したくてワザと書いたのかなって。自己満に利用されたみたいで不愉快でした。
困らせるためにネットにバラそうかとも思ったんですけど、私の仕業ってバレバレなので止めました。母親の不倫の事とかバラそうかとも思いました。地元では知られてますから私とはバレません。ですけど、同情されたり、話題になったり、逆効果になりそうで止めました。
CDデビューを発表した直後『ホシトソラ』がツイッターのトレンド入りしたんです。他のアイドルがしたおめでとうツイートが話題になったみたいで。
それで、何がきっかけで売れるか分からないなって、本当に売れたらどうしよう。いつかそういう日がきそうで、事故みたいにいつか起こりそうで、そういうのが不安で、ストレスっていうか情緒不安定になりました。友だちだし、おんなじ苦労を分けあったんだから、本当は一番喜んであげなくちゃいけないのに、それが出来ませんでした。こんなグループなくなればいいのに。心から思いました」
言葉を詰まらせた高岡が再び口を開くのを、時計は針を回して待った。3周したところで、ようやく水に浸したような顔をあげた。
「それで、です。あの日私は部屋の戸を叩く音で目を覚ましました。目覚まし時計を見たらセットした時間の30分前で、何事かと思ったら、母が『テレビで宮田朱里ってアイドルが亡くなったってやってるんだけど、あの子じゃないの?年も同じだし』って。わたしは飛び起きました。朝の番組で、宮田さんが亡くなったと放送していました。母の前では一切口にしてきませんでしたが、確かにそれは私の知っている宮田さんでした。
嬉しくなんてありませんでした。ショックで悲しくて、自分のせいみたいで、本当に取り返しのつかないことをしてしまったようで自分が嫌になりました。
それから、ネットでいじめのことを知りました。彼女はいじめの話は一切していませんでした。簡単に打ち明けられることじゃないですけど、でもレッスンとかアイドル活動のことも、つらいとか苦しいとかは全然言わなかったし、そういう素振りも見せませんでした。いつか絶対に売れたい、もうすぐ高校卒業だからアイドル活動に専念できるって楽しみにしていました。
今日ここへ来る前事務所のビルに行って献花をして、宮田さんとお別れをしました。手を合わせて何度も謝りました。それから東京ドームに行ったんです。宮田さんと最後に会った場所です。そこへ行けば宮田さんに会えるような気がして。
それで東京ドームの周りを歩いていたら、何気なく交わした会話を思い出したんです。
ライブは6時開演で、終演は9時近かったので外はすっかり暗くなっていました。隣にある遊園地の観覧車がライトアップされていて、すごくきれいだったんです。『花火みたいだね』って隣を見たら、宮田さんはちらっと見てすぐ逸らしたんです。『乗りたくない?』って聞いたら『乗りたくない』って。『あんなにきれいなのに?』って言ったら『高いところ苦手なの』って。『高所恐怖症なの?』って聞いたら『見るのも怖い』って。そこで話は終わって駅まで歩きました。それを思い出して、おかしいなって。
自殺なんてしそうじゃなかった。いじめがエスカレートしたのかもしれないけど、連絡を取り合っていた宮田さんは本当にデビューを楽しみにしていたんです。それに観覧車にも乗れない高所恐怖症の子が、なんでビルの屋上に上ったんだろうって。半年たっていないので変わってないと思うんです。
彼女はどうして亡くなったのか。本当のことを知りたいです」
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