第21話 秋風

 都内には『アイドルの聖地』と呼ばれる場所がいくつかある。その代表が秋葉原の街で、人気アイドルグループが常設劇場を構えるほか、イベント会場を設けた家電量販店も多く、週末を中心に毎日どこかしらでアイドルイベントが開かれている。アイドルグループのライブイベントばかりでなく、グラビアアイドルのイメージビデオ発売イベントも頻繁に行われている。


 その他中野に建つコンサートホールや池袋の高層ビル内のイベント広場も『アイドルの聖地』に挙げられ、そのステージに立つことを目標にしているアイドルも少なくない。


 そこからは一段下がるものの、アイドルファンに馴染みの場所はいくつもあって、東京のベイエリアにあるショッピングモールのイベント会場もその一つだ。


 屋外にある、背後に運河が流れるこの会場は、天気が崩れ易かったりステージ後方から夕日が観客に向けて差し込んだりと幾分クセはあるものの、屋内イベントが教室の授業なら野外ステージは校庭の体育のような開放感があって、冬の寒さも趣の一つだった。


 いま、そのステージに降りる階段に看板が立てられていた。


「本日予定しておりました『ホシトソラ』のデビューシングル予約イベントは、CDの発売中止に伴い、開催を中止させていただくこととなりました。楽しみにしていだだいたお客様にはご迷惑をおかけいたしますが、ご理解下さいますようお願い申し上げます。ご予約いただいたお客様には払い戻しをさせていただきますので1階××ショップまでお越しください」


 CDショップの店員が一人、看板の側に立って案内にあたっていたが、イベントの中止はホシトソラの公式サイトでも告知されており、混乱には至らなかった。20人ほどのホシトソラのファン『星空組』が会場に集まっていたが、中止を知った上で他のファンとやるせなさを共有したい思いに駆られたようだ。宮田朱里の写真を掲げたり、中止を知らせる看板を写真に収めたりする様子が見受けられた。ステージに花を手向けようとしたファンもいたが、店員に制止されるとすぐに引っ込めた。

 宮田朱里の死から数日経過し、いくらか落ち着きが見えるものの、首にかけたホシトソラの名前が入ったタオルで涙を拭っているファンの姿もあった。


 デビュー曲を初披露するはずのイベントだった。本当なら今頃ホシトソラの6人とこの日を待ちわびたファンが一体となり、笑顔と歓声と『Mix』や『ガチ恋口上』といったアイドルコールが入り乱れて、華やいでいるはずのステージに、いまはただ秋風が吹いていた。




 ―家出少女みたい―


 街で鉢合わせた同級生に私服を嘲笑されたことがあった。

 洋服を自分で買ったことはない。母親が買ってきた物に袖を通すだけで、その良し悪しは分からない。今着ている、身体より一回り大きいカーディガンは着心地がいいとは言えないし、帽子との相性もいいとは思えない。母親のセンスが良くないことは理解できていても、自分で選べと言われたとして流行は知らないし、何をどう組み合わせればいいか、どこから手を付ければいいかも分からない。唯一自分で買った白いスニーカーは薄汚れていた。


 始発駅の高速バスのステップを上がると、発車時刻が近づいているのに乗客はまばらだった。後方の座席にいくらか女性の姿が見られるが、前方は男性ばかり。それも中年が多い。その視線が注がれているのを肌で感じながら、指定された後方の窓際の席に座ると、背もたれが衝立になって視線が遮断された。隣は終点まで空席に見えたが、バッグは膝の上に置いた。窓に映る化粧気のない顔に、帽子のつばを深く下ろした。


 バスに揺られると襲ってくる眠気が、今は懐かしかった。あの日見た夜更けのビルが繰り返し頭を過っては胸を締め付けた。小川町署より先に、あのビルへ行かなければならない。今出来るのは全てを打ち明けることだけだった。

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