第17話 柳美月の部屋 所属事務所の発表
乗りのいいチークみたいな暖色で、外は晴れているのが分かる。閉じたままでもカーテンは天気を映した。
時計から目を逸らすようにうつ伏せになった。頬の下に敷いた腕の袖口がくすんでいた。普段なら制服を着て、この部屋着の白いパーカーは洗濯して天日干しにされている時間。
柳美月はもう一度寝返りを打って天井を仰いだ。部屋の隅でハンガーに吊るされた濃紺のブレザーは、観葉植物に蒔かれた化学肥料のように無機質で、衣服としての機能を失くしてしまったようだった。
部屋の中はまるで侵食したての洞窟のように静かだった。息を潜めているわけではなかったが、音を出すのは躊躇われてテレビを点けず、音楽も流さず、動画も見られない。初めは気にせずにいられなかったインターネットも今は直視することができず、いたずら電話も鳴り止まないからスマートフォンは電源を切ったまま。自分ではただの一行すら書き込んでいないのに、柳美月に関するネット掲示板やSNSの書き込みはテトラポットを呑み込むほどに氾濫していた。
子分にいじめを命じ、同級生を死に追いやった重罪人。柳美月はそう断罪されていた。ネット上は無法地帯と化し、起訴はおろか逮捕すらされていない高校生に罵詈雑言を浴びせた。殺意を表明したものや自死を求めるものなど、本来は到底看過できないはずのものも、自業自得の一言で片付けられた。
スマートフォンの機種、愛用の目薬、口に合わなかったタピオカミルクティーを歩道の排水溝に流したこと、カラオケボックスで割ってしまったグラスをトイレの汚物入れに捨てて隠蔽したこと、友だちと交わした他愛ないLINEのスクリーンショットまでもがネット上に晒されていた。誰の仕業か柳自身には明白だったが、抗議しようものなら即座にそれもネットにあげられてしまうのは疑い無い。
飼育小屋のウサギの耳を裁ち鋏で切り落とした、ライターで炙った金魚を同級生に食べさせた、等々の創作話が、幼少期の柳の所業として書き込まれた。にわかには信じ難くとも「火のないところに煙はたたない」と、多少の誇張はあるにせよ基になるエピソードは存在し、幼い頃から残虐性を見せていた、と断じられた。もう少し早く対処しておけば、子供の頃に更生施設に入れておけば宮田朱里は命を落とさずにすんだ、と歪んだ精神を放置したとして、柳の両親は言うに及ばず、非難は卒業した小学校にまで及んでいた。
柳は目を閉じ枕に顔を埋めた。任務を遂行するように、枕は鼻口の凹凸を塞いでいく。呼吸が不自由で顔が紅潮していくのが分かっても、身体を硬直させて心肺の要求に抵抗する。耳なりが聞こえて、ようやく逃れるように寝返りを打った。泣き止みかけの子供みたいに肩を上下させて身体中に酸素を送り込んだ。
3年生の今の時期の欠席は卒業に影響しないだろうがこのまま卒業できるとは思えなかった。学校には苦情が殺到していて、処分は避けられそうにない。退学か。停学に留まったとして、大学の推薦入学は取り消されるだろう。といって一般受験しても、周りに気づかれればすぐにネットに流されてしまう。
それよりも、目下憂慮すべきは警察によって逮捕されることだった。宮田に暴力を振るったのは事実で、ネットに書かれたことで警察には多数の通報が寄せられているようだ。逮捕されれば退学は免れない。18歳になっているから、マスコミが実名報道することも考えられる。そうなれば大学どころではなく、未来永劫殺人犯のように扱われ、結婚も出産も、すべての未来が黒いフィルムで覆われてしまう。
寒気がして、せめて部屋を暖めようと手探りした枕元に見当たらず、身体を起こしてベッドの下に見つけたリモコンは風邪をひいたように冷たかった。スイッチを押そうとしても指先に力が入らなくて、冷たいのは手の方だと気づいた。エアコンを諦め、ベッドに体を沈めて温めるように両掌で顔を覆った。
あと3ヶ月で卒業。受験を控え、登校も限られている。CDデビューも迫っているこの時期にどうして死を選ぶだろう。顔を叩いたのは事実で、それは度が過ぎたと大いに悔いている。しかしネットに書かれたような、顔に傷が残るほどではない。眼鏡が割れたのは有馬が踏んだからで、何度記憶を辿っても宮田朱里の顔に出血はなかったし、叩いた手のひらに血が付着していたこともない。腫れや痛みがあったとして、それで死を選ぶか。
それに、と電源を切ったままのスマートフォンをとる。あのLINEを開こうとして、手を止めた。ネット上ではバッシングが続いているだろう。起動させた瞬間着信が鳴り止まなくなりそうで、電源ボタンから指を離す。画面は真っ黒のまま。
宮田朱里とはただのクラスメイトではなかった。インターネットにも書かれていない、本当の関係は二人だけしか知らない。
アクセスが集中し、サーバーダウンで閲覧出来ない状態が続いていたホシトソラのオフィシャルサイトが復旧された。トップページからリンクされた[ホシトソラを応援してくださる皆様へ]と題されたページに所属事務所、シエルプロダクションの公式発表が掲載された。
[弊社所属のホシトソラのメンバー・宮田朱里が××年11月××日に死去しました。詳細につきましては現在警察が捜査中ですので説明は控えさせていただきます。多数のお問い合わせをいただいておりますお別れの会につきましても、捜査の結果を待って判断させていただきたく存じます。
来月発売予定でしたデビューシングルに関してもたくさんの問い合わせをいただいております。宮田朱里の歌声を聴きたいとのたくさんの声をいただき、協議を重ねて参りましたが、メンバーのショックが大きく、心の整理がつかない現状ではグループとしての活動は困難と判断し、ホシトソラは活動を休止させていただくこととなりました。合わせてデビューシングルの発売も見合わせていただきます。
当面は警察の捜査に協力するとともにメンバーの心のケアに努めて参ります。今後の活動につきましては決定次第ご報告いたします。
ご心配ご迷惑をお掛け致しますが、ご理解いただきますようお願い申し上げます。
株式会社シエルプロダクション]
[デビュー曲はお蔵入りだとさ]
[こんな状況じゃつづけらんねーわな]
[CD出すのって金かかるんだろ?]
[来月発売だからレコーディングとかMV撮影は終わってる。全部パー]
[せっかくだから発売すればいいのに。そこそこ売れんじゃね?]
[ある意味いい宣伝になったからな]
[宣伝効果でいえば何億とかって感じ?]
[だから逆に出せないんじゃないの?死を利用したみたく言われそうだし]
[それな。反感買う可能性あるわな]
[そっとしとくのが正解]
[でももうCD印刷とか終わってるだろ?そのうちどっかのオークションに出品されて高く売れんじゃね?]
[そんなに高値つかねーから。元々人気あったわけじゃねーし]
[でも今なら高く売れるだろ。すげー話題になってんだから]
[売るなら今のうちだな。どうせすぐ忘れ去られる]
[事務所潰れんじゃね?]
[ホシトソラしかいなくてホシトソラが解散すんだから潰れるだろ]
[活動休止な]
[事実上の解散だろ?]
[人殺してグループ潰して事務所も潰すって柳ホント極悪だな]
[訴えたら賠償金億単位だろーな]
[柳見てるか?お前のせいで全部めちゃくちゃだぞ。責任とってお前も宮田さんのところへ行け]
[いやいや柳は死んだら地獄行きだろ]
[どっちでもいいからとっとと死んでくれ]
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