第14話 泉川女子高校3年 小西歩美 川崎彩香の証言

 小川町警察署の前でタクシーが止まった。運転手は運賃受領の際、俯く乗客の顔を覗いたが視線は交わらなかった。行き先は病院の間違いではないかと思うほど、後部座席で娘はぐったりとうなだれ、母親は頭を抱き背中をさすってやっていた。降車すると雨が降っているかの様に足早に警察署内に消えていった。


 自転車でも来られる距離を、タクシーを呼んだのは天候のせいではなかった。インターネット上で、いじめ加害者として名指しされた泉川女子高校3年C組、小西歩美こにしあゆみは泣き腫らした目と擦り切れて朱が滲んだ鼻、母親に支えられなければ立っているのも危ういほど憔悴していた。


「ネットには、私が宮田さんをいじめてたグループだって書かれています。殺したも同然の殺人犯だって。友だちとふざけて撮った動画が流出して。休み時間に黒板に落書きして遊んでただけなのに、いじめの証拠といわれて叩かれています。全然関係ないのに。私はいじめなんてしてません。本当です」


 涙を流しながらの弱々しい声音だったが、その訴えにだけは力が込もっていた。


「正直に言えば、いじめには気づいていました。気づいてはいましたけど、そういうのって表立ってはやらないじゃないですか。人が見てないところとか、場所を選んでやりますよね。なのでどこまでやってたとか、どんなことをしていたとかは、はっきりとは知りません。止めたらよかったって、いまは思いますけど、こんなことになるとは思わないじゃないですか。

 一度宮田さんに声をかけたことがあるんです。放課後一人で教室にいた宮田さんの髪が濡れてたんです。水をかけられたかなんかしたんだと思います。それで、大丈夫?って聞いたら、別になんでもないって。そう言われたらそれ以上聞けないじゃないですか。それで終わったんですけど、もしかしたらその時誰かが見てて私がやったって誤解されたのかもしれない。余計なこと言わなきゃよかった。

 本当にもうめちゃくちゃです。携帯電話の番号もネットに書かれてて着信が鳴り止みません。以前アルバイトしてたレストランにもクビにしろって電話がかかって来てるそうです。とっくに辞めてるのに。それで私に文句言われて。そういうのも全部ネットに書かれてて。

 本当に何とかしてください。私はいじめていません。本当です。お願いします。助けてください」


 握ったままのハンカチで何度も拭い、目鼻は赤みを増していた。ショートカットに童顔の小西は、良く言えば優しそうと言えたが、気弱そうにも見えた。元々強くない精神が受けたダメージは大きく、冤罪であるならばなおさらだろう。相談室を出ると母親の胸でむせび泣いた。


 小西歩美が後にした小川町署に、妹の制服を戯れに着た姉のような窮屈そうな体躯から手足が長く伸びた制服姿が入っていった。泉川女子高校バレーボール部キャプテン・川崎彩香かわさきあやかだった。


「本当に意味が分かりません。どうして私の名前が出たのか。クラスが違いますし、同じクラスになったこともありません。今回のことが起きるまで、宮田さんのことは顔も名前も知りませんでした。アイドルだったことも。同じ学校ですから、もしかしたら、どこかで会って言葉を交わしたことぐらいはあったかもしれませんけど、少なくとも私には記憶がありません。

 いじめはあってはいけないことだし、自分の学校でこんなことが起きて本当に悲しいです。でも今回のことは本当になにも知らなかったんです。先日まで春高の予選があって、それに懸けていたので、バレーで頭がいっぱいで、他のことは目に入りませんでした。

 Vリーグのチームから内定をいただいているんですけど、そこにも苦情の電話がかかってきているそうです。人殺しを入団させるなと。チームの方には誤解だと、私は無関係だと説明しました。信じてもらえたと思いますけど、でもインターネットの書き込みを信じて、私が関わってると、今も叩き続けている人が大勢います。

 バレー選手になるのが子供の頃からの夢でした。一生懸命練習を続けてきました。もしこの事で入団が取り消しになってしまったらどうすればいいんですか」


 178センチの長身で、コートの中では闘志溢れるプレーでチームを鼓舞する川崎が、すっかり肩を落としていた。警察署を出て歩道を帰る姿は、しなだれたやなぎのようだった。


 自校が激しい非難に晒され、身近な友人が犯罪者のごとく嫌がらせまで受けている。ネット炎上はターゲットが芸能人や有名人に限定されたものではなく、時に何の変哲もない一般人にまで降りかかると知識としてはあったものの、自分とは結びつけることのなかった多くの泉川女子高校の生徒を含めた関係者に、否応のない現実を突きつけた。

 実情を知っている同級生やチームメイトはいてもたってもいられず、友の無実を知らしめようと声を上げ、ネット上に真実を書き込んだ。冤罪であると。いじめには一切関与していないと。ネットの掲示板やSNSに書かれていることは事実無根のデタラメだと。しかしそれも、焼け石に水どころか燃料投下になった。ネット民は指先にいっそう力を込め、スマートフォンを、あるいはパソコンのキーボードを叩くボリュームが増すばかりだった。


[本人乙]

[火のないところに煙は立たない]

[いじめてましたと認めるわけないよな]

[隠蔽工作ですか]

[誰に命令されたの?]

[あなたたちみたいな人がいるからイジメはなくならない]

[友だち使って擁護させるとかサイテー]

[人が死んだ事実は変わらない]

[同級生が亡くなったのに何いってんの?]

[こんな時にかばっても本人のためにならないと思う]

[見て見ぬふりしてたクラスメイトも同罪]

[学校の顔みたいな存在なんだから学校全体に目を向けるべき]

[おなじ学校でいじめがあったら気づくでしょ。てか気づかなきゃだめ]

[自分のことで精一杯ってキャプテンの資格なし]

[こんな時によくバレーやってられるな]

[宮田さんは亡くなったんだから川崎もバレーやめろ]

[泉女バレー部廃部待ったなし]

[マジでベルベッツこんなゴミみたいなヤツ入団させる気?]

[宇都宮の恥。応援するのやめます]

[人殺しかばうとかまじ泉川女子終わってるな]


 ネット炎上は川崎彩香の入団が内定していた実業団バレーボールチーム、宇都宮ベルベッツにも飛び火した。同級生を自殺に追い込んだ選手の入団は取り消せとの抗議が殺到した。チームのスポンサー企業へも同様の電話やメールが寄せられ、所属選手のSNSにまで[こんな選手を入団させていいんですか。人殺しとチームメイトになって平気ですか][入団したら応援するのを止めます。一人の女の子を死に追いやった選手のプレーなんて誰が見たいと思いますか][バレー選手はカスってことですね]と非難が書き込まれた。同じ栃木県内にある同名の美容室にまでクレーム電話がかかる始末だった。


 ネット上のいじめ加害者叩きは、暴走の様相を呈していった。いじめグループ間での氏名と顔写真の取り違いならましで、無関係な生徒の写真が、ただ泉川女子高校の制服を着ているというだけでいじめ加害者として貼り付けられた。中には卒業生のものまであった。いじめの瞬間、として倒れた生徒を踏みつけているように合成した写真が本物として出回っていた。


 事実誤認や人違いも関係なかった。根も葉もなくともおかまいなし。「非のある人間は嘘でも叩け」がまかり通る。誤った情報を盲信した自分はむしろ被害者で、非難すべきは他人の行い、己の過ちには驚くほど寛容さを見せ、他人に謝罪を求めても自分の非を改めはしない。非暴力の実現に暴力を装置とするかのごとく、インターネット上には正義のいじめが闊歩していた。

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