第10話 献花1

 ホシトソラの所属するシエルプロダクションがある東京神田は古書店街として知られるが、靖国通り沿いにはスポーツ用品店やスキー・スノーボード専門店が軒を連ね、近年は『スノーボードの街』としても知られる。シーズンを迎え、土曜日の今日は買い物客で賑わいを見せていた。

 路肩のパーキングメーターにはRV車が停まり、歩道では体育祭で見るような小ぶりの赤いメガホン片手に客寄せの声をあげる店員の姿が見られた。購入した大きめの商品を両手で抱えて店から出てくる客はやはり若者が多かった。


 そこから歩いて5分とかからないシエルプロダクションが入るビルの前は落ち着きを取り戻しつつあった。宮田朱里の死の直後こそマスコミが押し掛け、ビルの様子を撮影したりしていたが、アイドルとはいえ無名の少女に人員を割く余裕はないようで、週刊誌上で有名俳優の不倫が報道されると、潮が引くように減っていった。今日は年末恒例の大型歌番組の出場者が発表されるとあって、ビルの周辺にマスコミの姿は見当たらなかった。


 しかしその場所に置かれた献花台(会議用の折り畳み式の簡素なテーブルに白い布を掛けただけだったが)にはいまも献花が積み上げられていた。お菓子や缶ジュース、故人に宛てた手紙にサイリウムやペンライトもあって、供物から故人の生業が推し量れるようだった。


 アイドルの聖地・秋葉原から徒歩で来られる場所柄、報道で宮田朱里を初めて知ったアイドルファンも訪れていた。別のアイドルグループのCDを供えたのは、その手のファンだろう。宣伝に利用されているようで『星空組ほしぞらぐみ』と呼ばれるホシトソラのファンは眉をひそめたが、供物を弄くることは気が引け、放っておくしかなかった。

 かくいう星空組にも『ホシトソラ』をカラフルな文字でしたためたボードを手向けたファンがいた。いまも献花台の足元に置かれている。死を悼むより、むしろアイドルの誕生日を祝う『生誕祭』の装飾のようで、他のファンには据わりが悪かった。アイドルには、一部にスタンドプレーに走るファンがいて、供物にもそれが表れているようだった。


 今そこに二人の女性が献花に訪れていた。宮田朱里の中学校の同級生、藤田明美ふじたあけみ飯田美穂いいだみほだった。藤田は小川町署で、母親の話として他殺の可能性を打ち明けた少女だ。


 灰色の雲が空を覆い朝冷えのするこの日、藤田は先週買ったばかりのピンクのニットを下ろす予定だった。店の袋のまま仕舞っておいたクローゼットから取り出し、昨日のうちにタグを切った。気に入って買った洋服でも、家で着てみると色味が違ったり、期待していた服と合わなかったり、洋服は水物なところがある。初めて友達と洋服を買いに行った中学一年の時、自分で買ったのが嬉しくて家に帰ってすぐにタグを切ってしまい、インナーのことを忘れてジャストサイズにしてしまったパーカーを返品できなかった。今から思えば、未着用なら切ったタグを持っていけば対応してくれたかもしれないが、当時はそんな知恵はなかった。それからは着るまでタグをつけておくようにした。一つ賢くなったと自分に言い聞かせて後悔を緩和させたものだった。


 ピンクのニットは、お気に入りのデニムスカートとのコーディネートもバッチリで、ポーズを決めた姿見をスマートフォンのカメラに収めたほどだったが、部屋を出たところで母親に注意された。献花にその色は派手過ぎる、との指摘に反発を抱かないでもなかったが、知人に出くわしたり、マスコミのカメラを向けられたりするのを考慮するよう諭され、グレーのニットに着替えた。それなら大丈夫とお墨付きをもらったものの、後ろ髪を引かれる思いで家を出た。


 地元の駅で待ち合わせた飯田美穂も、普段は明るめを好むのにこの日は黒のニットにグレーのスカートだった。常識を備えた幼なじみに感心と嫉妬を半分ずつ抱いた。それとも同じように親に注意されたのか。どちらにせよ、今日の服装は不本意、との弁明は飲み込んだ。


 電車を乗り継ぎ、淡路町駅に到着すると、あらかじめインターネットで調べておいた最寄りの花屋に寄った。花を買う機会のない藤田に、花屋はどこか取っつきにくい印象があったものの、地元商店街の古びた店とは異なり、そこは輸入雑貨店の玩具や食器のようにお洒落に花が陳列されているのが外からも臨め、気張らずに足を踏み入れられた。


 出掛けに、献花について尋ねた藤田に母親は、そういうことは店の人に任せるのがいいと答えた。予算を伝えればやってくれると。18歳の少女が絶命した場所に相応しい花は半世紀を生き、相応の数の死と向き合ってきた母親にも分からないのだろう、確かにそれが最良に思えた。


 他に客のいない店内では、奥にあるカウンターで30歳手前ぐらいの、オフホワイトのハイネックセーターの上に緑のエプロンを掛けた女性店員が一人、黄色い花から伸びた茎を切り揃えていた。手にしているのはいかにも業務用といった持ち手が大きく刃先が小さい、鳥のイラストのような形状の鋏。その手を止めて「いらっしゃいませ」と入店した二人に向けたのは、髪を後ろで束ねた、花が好きそうで、人の好さそうな笑顔だった。


 こういう時に声をかけるのはいつも藤田の役目で「すいません」と呼びかけると、店員は二人にまた笑顔を向け、エプロンで手を拭いながら歩み寄った。

 拙い藤田の説明も「亡くなった」「アイドル」のキーワードからすぐに事情を理解したのは、すでに同様の客が何人も来店していたからで、店員は表情から笑みを消した。聞かれれば中学の同級生だった事実を告げるつもりもその必要はなく、ただのファンと思われたのは、来店客に女性ファンの姿もあったことを窺わせた。


 母親に言われた通り選花を頼むと、女性店員は他のファンから聞いた、とイメージカラーに因んだ白のカーネーションを勧めた。二人は目配せした。親しくはなくとも3年間共に過ごした同級生に白のイメージはなかった。といって他に浮かぶ色もなかったが。


「カーネーションがいいんですか」


 イメージカラーは知っていたように取り繕った飯田に、献花に適切なのは茎が長い白い花で、白のカーネーションは菊と並んで一般的によく用いられると説明してくれた。カーネーションで思いつく「母の日」を口にしなかったのは、献花に絡めるのは縁起がよくないとの配慮のように思われた。


 予算三千円を告げると、店員は慣れた手つきで、白のカーネーションにいくらか緑の葉が混じった束を包んでくれた。二人は手持無沙汰ではあったが、おしゃべりやよそ見をするのは気が引けて、作業する様子を眺めていた。店員は一度だけ視線を向けたが、すぐに戻して作業に集中した。


 出来上がったのは映画で見た、喪服にベールをした外国女性のような気品が感じられる花だった。

 1500円ずつ出し合って会計を済ませ、ありがとうございましたと表情を崩すことなく言った店員に会釈を返し、二人は店を出た。

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