第8話 死の当日 学校
「今日もこれからレッスンなのー?」
針の先で背中をなぞるような
獲物に狙いを定めた5匹の群れのように、ある子は椅子に、ある子は机に座って取り囲む中、宮田朱里は手早く帰り支度を済ませるとスクールバッグを肩に掛け、俯きがちに林立する机の合間を縫った。
壁の額縁が落っこちるように、突然宮田が机に向かって倒れ込んだ。隣の席も巻き込んで転倒し、机の甲板に胸を、床に膝をしこたま打ち付け、その場にうずくまる。硬質の噪音に続いて、甲高い笑いが起きた。机の下で、
「そんなに鈍臭くてアイドル出来んのー?」
踏みつけんばかりに歩み寄って見下ろす汐田。
「ていうかちゃんと踊れんの?」
宮田は火傷のように赤らんだ膝をそのままに、ずれた眼鏡を直して、出口に向かおうとするも「聞ーてんだから返事ぐらいしなさいよ!」と腕を引っ張られ、ゴム紐が伸縮するように、囲みの中に戻された。
「もうすぐデビューするんでしょー?歌ってみてよー」
出口への導線を塞ぐように立ちはだかり、汐田は自分より10センチ以上背の低い宮田を見下ろした。
「デビュー曲歌ってよ。レッスンしてるんだから歌えるでしょー?気に入ったらCD買ってあげるからさー。ね?」といってニヤケ顔で見回すと、同じ表情が教室に乱反射した。
「なにしてんのー?早く歌ってよ。ほらっ、ほらっ。歌えって。ほらっ、ほらっ。うーたーえ。うーたーえ」と汐田が拍子をとると、群れもそれに倣い、「うーたーえ。うーたーえ」と呪文のように教室に木霊する。
「歌えっつってんだろ!アイドルのクセに歌えねーのかよ!」と耳元に罵声を浴びせる
宮田はただ俯いたままその場に立ち尽くした。擦りむいた膝には樹液のような血が滲んでいる。
「歌えないんならー代わりに握手会やってよ。いつもやってるんでしょー?ボク宮田朱里さんのファンなんデスー。大好きなんデスー」
急に甘ったるい声を出した汐田はだらりと下がった宮田の手を取って、雑巾を絞るように両手でおもいきり握り締めた。宮田の顔が苦痛で歪む。
「何でそんな顔するのー?アイドルなんだから笑顔見せてよー。ホシトソラの宮田朱里サーン。ねー、ねー」
今度は両方の肩を掴んで揺さぶった。片付け忘れた案山子みたいに、宮田の身体が惨めに揺れる。
「あんたなんか相手すんのオタクだけだから!せいぜいキモオタに相手してもらえよ!」
鼻が触れそうなほど宮田の耳元に顔を近づけ有馬が吐き捨てた。
逃げ出そうとした宮田の足がまた引っ掛けられて転倒した。また膝を打って、スタンプみたいに床に血が写る。手から離れたスクールバッグが床を滑って壁にぶつかった。
「どうしたのー?2回も転んじゃって」
「大丈夫ー?痛かったー?」
しゃがんだ汐田が優しい手つきで机を撫でるとまた笑いが起きた。
「壊れたらギャラで弁償しろよ」
「新しい机買えるほどもらえないでしょー。ただの地下アイドルがー」
「売れそうな子はデカイ事務所がほっとかないからねー」
「そ。あんたには、地下が、お・似・合・い」
転がったスクールバッグを、有馬が床に崩れたままの宮田目掛けて蹴飛ばした。バッグは肩口に命中し、勢い余って持ち手が頬をかすめた。
とっさに目をつむって顔を背けた宮田の挙動が滑稽で、冷笑が漏れる。
「今の見た?」
宮田の挙動を誇張して再現する有馬。
「ビビることじゃないから」
「ゆっといてくれたら動画撮ったのにー」
「もう1回やっちゃう?」
宮田の前に転がったバッグを、スタートラインに戻そうと有馬がまた蹴飛ばした。その拍子に、バッグのポケットから紙切れが零れ落ちた。はっと気づいて宮田が手を伸ばすも、それより早く神崎が拾い上げる。慌てぶりに好奇心を駆り立てられた神崎は、四つ折りにされたそれを頭上に掲げ「ジャーン」と手品のように広げてみせた。
揃いの衣装を着た6人がそこにいた。刷り上がったばかりのホシトソラのデビュー曲のフライヤーだった。
「これがデビュー曲?だっさー」
見上げた永井が吐き捨てた。
「絶対売れないじゃーん。かわいそー」
「イメージはピアノの発表会ですかぁ?」
神崎がニヤケた顔で見回すと、呼応して嘲笑が起きた。
「この写真と同じ顔見せてよー。笑ってよー。アイドルでしょー」
しゃがみこんだままの宮田の二の腕を汐田が引っぱり、立ち上がらせた。
「でもなんであんたが真ん中にいんの?『センター』ってやつ?」
フライヤーを手にした有馬の一言に、一人傍観していた
「あんたセンターなの?」
フライヤーに視線を落とした柳の顔が瞬く間に紅潮していった。
「これどういうこと?」
フライヤーに向けた握りつぶしてしまいそうな視線をそのまま宮田に移した。宮田は刹那柳と視線を合わせたがすぐに下ろした。
「聞いてんだよ!」
横の机に手のひらを叩きつけた。
嘲笑が止み、視線を交差させ合う群れ。口の中のローリエように柳の感情をもて余した。
次の言葉を言いかけた柳の口より早く、フライヤーを取り返そうと宮田が手を伸ばした。取られまいと仰け反った柳にのし掛かり、二人は縺れ合って床に転倒した。
「なにすんだよ!」
宮田を押し退け、柳に手を差し伸べる有馬。柳は打ち付けた背中の痛みに顔をしかめながら有馬の手を借りて立ち上がる。
「いつまで寝っ転がってんだよ!立てよ!」
殻を抜けられないサナギみたいに倒れたままの宮田のネクタイを、有馬が芋づるを抜くように引っ張った。えんじのネクタイが首に食い込み、縫い目が裂ける音を聞きながら、されるままに立ち上がる宮田。
「てめー何したか分かってんのかよ!美月に謝れよ!」
頭を下げさせようと宮田の後頭部を掴んで押し込む有馬。宮田はただじっと柳を見つめていた。
「謝れっつってんだよ!」
隣でがなられても視線を保ったままの宮田の頬を、風船が弾けたように、柳の平手が打った。
乾いた音が教室に響く。赤く染まっていく宮田朱里の頬に、群れは顔をひきつらせた。神崎の唇が(顔はヤバイって)と動いた。
頬に触れようともせず、じっと見つめたままの宮田に、柳はもう一度、さっきより強く平手を打った。眼鏡が吹き飛んで床に転がる。
「お前が悪りぃんだからな」
有馬はそう言って賛同を請うように見回した。
「あんたが先に手ぇ出したんでしょー」
「ざまあ」
「地下アイドルが、調子にのってンじゃねーよ!」
足並みが揃い、調子づいた有馬は足元に転がっていた眼鏡を踏みつけた。針金のように細い茶色のフレームが折り曲がる。レンズは落としたクッキーみたいに割れて砕けた。
宮田は柳の手からフライヤーを奪い、スクールバッグを拾って教室を駆け出した。高笑いが背中に響いていた。
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