第6話 死の当日 レッスン場3

 空気が沈殿したレッスン場に角川の声が響いた。

「分かった。目標決めよう。そしたら仲良くしてもなあなあにならんで済むんちゃう?」

 この部屋にはない天井のファンを、換気のためゆっくりと回転させるような言い方だった。


「目標って、武道館でしょ」

 松澤は冷めた声で言った。結成時に決めたホシトソラの目標は日本武道館のステージに立つこと。CDデビューはその目標への大きな一歩だった。


「それは将来の。じゃなくてデビュー曲の目標。それ決めたらもっと気合い入るんちゃう?」


「オリコン何位とか?」

 津久田が訊いた。


「そういうの。決めてなかったやろ」


「そういうのって事務所が決めるんじゃないの?」

 相変わらず冷めた口ぶりの松澤。


「そうなん?でも自分達でも決めときたくない?メンバーとしての目標」


「けど、そういうの決めちゃうと達成できなかったら虚しくない?」

「まだ全然どうなるかわからないし。順位とか想像つかない」

 津久田と松澤は乗り気ではない様子。


「でも将来的な目標だけじゃなくて、目の前の目標を持つのも大事だと思う。具体的な数字だと分かりやすいし。そこに向けて頑張ろうって思えるし」

 小田は角川に賛成した。


「な。目標は持った方がいい。なるべく大っきく持っといてええねん」


「大きくって。10位とか?」

 松澤が苦笑まじりに訊いた。


「それぐらいでええ」


「普通に50位とかだったらどうすんの?全然有り得るでしょ」


「成功するためにはいいイメージを持った方がいいって誰かがゆっとった」


「誰?美輪明宏とか?」


「誰か忘れたけどそういうスピリチュアル系の人」


「けど、10位はちょっと高すぎない?星空組ほしぞらぐみっていま何人いる?トータル百いないでしょ」

 星空組とはホシトソラのファンの総称だ。まだファンクラブはないから、イベントに来てくれるファンをメンバーはそう呼称し、ファンたちも「星空組」を自称していた。


「全然。しょっちゅう来てくれるコアな人が3、40人ぐらい?他のイベントと被らなければ来てくれるライト目も同じぐらい?それで10位はキツでしょ」

 松澤が自嘲気味に言った。


「決めた目標と実際の結果が夢へのハードルやねん。達成できなくても、次はそれを飛び越えるためにがんばる。で達成できたらまた新しい目標決めてまた飛び越えるようにがんばる。そうやって少しずつ夢に近づいていくねん。・・・ちょっとええことゆったんちゃう?」

 角川は着地を決めた体操選手のような決め顔で小田を見た。


「それはそうかもね。じゃあ、デビュー曲の目標はオリコン10位にする?」

 小田が言った。


「けど、10位って結構大変だよ。20位ぐらいがよくない?」

「20位も大変だって。30位ぐらいが丁度いいでしょ。身の程わきまえようよ」

「けど、30位ってファンに言ったら『目標低っ』ってなる順位だよ」

 津久田と松澤にとってCDデビューは、期待より不安が勝っているようだった。


「じゃ、間をとって『20位以内』でいいんじゃない?『以内』ってつけたら出来るだけ上を目指すってニュアンスも含まれるし。デビュー曲としては悪くないでしょ」

 グループ最年長の小田は巧みにバランスをとった。


「そんならデビュー曲の目標は『オリコン20位以内』に決定!パチパチパチパチ」

 と手を叩く角川に、小田、中村、宮田も続く。


「なんか中途半端じゃない?」

 ダンスで温まった体温も冷め、松澤は隅に脱ぎ捨ててあったジャージを拾い、袖を通してファスナーを上まで閉めながら言った。


「決まったんやからもうグチグチ言わない」


「中途半端な気もするけど、『20位以内』なら、もし10位に入れたら余計嬉しいし、20位でも目標クリアになるでしょ」


「もっと下だったら?」


「だからいいイメージもっといた方がいいの。いい機会やから、どうせなら個人の目標も決めとこか。その方が張り合い出るし」

 残った材料でオムレツを作るみたいに角川が提案した。


「それはいいかもね。目の前の目標を決めて1つずつクリアしていけば一人一人成長できるし」

 ポニーテールの下にすらっと伸びた小田の長い足は、結露した鏡にも映えた。


「じゃあまずめぐたんは、ちゃんと振りを覚える。間違えても動じない」


「これからは間違えないようにしっかり練習します」

 ツインテールが大きく揺れた。


「その髪型には笑顔が似合うで」

 角川は顔の横でOKサインを作った。


「私は?」

 ピンクブラウンの髪を揺らして津久田の手が挙がる。


「あんたは握手会の対応でしょ」

 センサーのような松澤の素早い返答に、他のメンバーも同意する。


「どういうこと?」


「相手見て態度変えんようにってこと」


「自分では結構ちゃんとしてるつもりだけど」

 角川の指摘に、津久田は不満気味に首を捻った。


「若い人の時の方が対応がいい。表情が全然違うやん」


「自覚ないの?みんな気づいてるよ。ネットにも『おっさん嫌いの津久田』って書かれてんの見たし」

 松澤が言った。


「すいません。これから気を付けまーす」

 ようやく腑に落ちた様子で津久田は頭を下げた。


「えーわたくしは今後は遅刻しないように気をつけたいと思います」

 角川は姿勢を正し、標準語のアクセントでお辞儀した。


「ちゃんとお願いします」

 小田が苦笑した。


「分かってんならさっさと直しなさいよ。私は?」

 松澤が訊ねた。


「とりあえず・・・、ちゃんと毎日お風呂入ろっか」

 ポニーテールが口ごもり気味に言った。


「ホンマや。ただでさえ汗っかきなんやし。アイドルやねんから」

 関西弁は容赦しない。


「目標じゃなくない?」


「メンバーに迷惑かけんように。アイドルとして成長するための大事な目標です」


「分かりました」

 居心地悪そうに、松澤はジャージのファスナーを下まで下げてからもう一度上に戻した。


「ちゃんとがんばって。私は?」

 小田が訊いた。


「なんやろ?スタイルいいし、ダンスも歌もうまいし・・・何かある?特にないか?」


「あれ、ほらMCの時、時々気を抜くやつ。話振ったら、えっ?て」

 津久田がその時の表情を真似て言った。


「それな」


「興味ない話の時はあからさまに気ぃ抜いてる」


「知らないことでもせめて相槌ぐらい打っといた方がいいでしょ」


「ってことでトーク中も気を抜かないこと」


「これからは気をつけます」とポニーテールを揺らしてお辞儀した。


「最後はあかりん。あかりんはー、アイドルやねんからもっと笑顔作らなあかん」

 指摘されて、逆に頬を強張らせる宮田朱里。


「だからもっと笑わな」


 そう言われ、宮田は笑みを浮かべようとしたが、ぎこちないない。


「もっともーっと、顔いっぱいに。目尻と口角がくっついて、1周してしまうぐらいに」

 角川は人差し指と親指で、自分の左右の目尻と口角をくっつけるようにつまんでみせた。その変顔にようやく宮田の表情が緩んだ。


「そやで、そんな感じやで」顔をつまんだまま、窮屈そうに口を開く。


「こんな感じ?」

 ピンクブラウンの髪の下で同じ顔を作った。


「こんな感じか」

 ミディアムヘアも続く。


「二人もやで」

 ふられてツインテールも、ポニーテールも真似をした。


「ほら、あかりんも」

 躊躇いながら宮田も頬をつまんだ。


「そやで!それがアイドルスマイルやで!」


「絶対違うでしょ!」

 津久田がつっこんで、レッスン場に指でつまむ必要のない6つの笑顔が揃った。


 しかし笑い声はスイッチを押したように不意に途切れた。レッスン場に沈黙がおり、ドアの外でエレベーターが作動する音が聞こえた。築年数の経つビルだからエレベーターの作動音は大きい。

 誰言うとなくメンバーの視線がまたドアに貼られたポスターに集まった。ダンスで温まっていた身体も、すっかり汗が引いていた。


「もうすぐだね」

 小田が呟いた。


「売れるのかな」

 中村の囁きもはっきり耳に届いた。


「マジで30位にも入れなかったらどうする?1年やってきたのは何だったのって感じになんない?」

 津久田はポスターを揺らしそうなぐらい大きく息を吐いた。


 夏の終わりのアイドルフェスのステージで、CDデビューがサプライズ発表された。結成1年で掴んだ夢にメンバーは抱き合って涙を流した。そのあとの握手会では、一緒に涙してくれたファンもいた。暮れかかっていた夏の終わりのオレンジ色の空がいまも目に焼き付いている。


「売れなかったらこれで終わりってこともあんの?」

 上まで閉めたジャージの襟に顎を沈めて松澤が言った。濡れたTシャツが、ジャージの中で水枕みたいに熱を奪っていた。


「たぶん何年契約とか何曲契約とかになってるから、1曲で終わりってことはないと思うけど」

 レコード会社との契約の詳細までメンバーに知らされてはいない。小田は聞きかじりの情報に推測を交えた。


「全然売れなくても?」


「うーん、大丈夫だとは思うけど。でも予算削減とかはあるかもしれない」


「2曲目出せるとしてもずっと先とか?」


「そういうことはあり得るかもね」


「そしたら余計売れなくなるじゃん。あいだ空いたら他のアイドルに流れちゃうでしょ」


「でも逆にめっちゃ売れたらすぐ2枚目出せるんちゃう?」


「めっちゃ売れるほどうちらにファンいないから」

 松澤は前を向いていたが、誰とも目を合わせなかった。


 叶った夢は現実に変わる。現実には形があって、重かったり尖っていたり、想像と違っていたりする。現実は願った未来を叶えてはくれない。夢の先は、また夢の中にあった。


「このために頑張ってきたんだから、売れるように頑張るしかない。6人で力を合わせたらなんとかなる。やればできる」

 角川が胸の前で両方の拳をぐっと握りしめた。


「私たちに今できることはそれだけだよね」

 そう言った小田に「そやで。なっ」と角川が握った拳を向けた。小田は少し照れながらグータッチで応えた。


「1回休憩しない?疲れたし、座りたいんだけど」

 松澤は壁際に置いたペットボトルを拾い上げた。ダンスの後に間が開き汗は引いていたが、心が息切れしそうだった。


「たしかに、ちょっと疲れた」

 津久田も言った。


「じゃあ10分休憩ね」

 小田の号令で座り込んだり、水分補給したりするメンバー。宮田は一人、ポスターの貼られたドアを開けた。


「屋上行くん?」

 角川の声に、宮田は小さく頷いた。


「10分後に再開ね。外暗いから気をつけて」

 そう告げた小田に会釈を返し、宮田朱里はドアに貼られたポスターの中に笑顔を残して、レッスン場の外に消えて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る