第5話 死の当日 レッスン場2

「また間違えたでしょ」

 曲が終わると松澤瑠衣まつざわるいは呆れと怒りを舌でかき混ぜるように言った。


「ごめん」


「いつになったら通しで踊れるようになんの?いい加減ちゃんと覚えくれないと困んだけど」

 全面鏡に映る6人のうち5人はジャージやスウェットで、ただ一人半袖の松澤。上に着ていたジャージはとっくに脱いでいたが、青いTシャツも襟周りから裾に向かってダークブルーが侵食していた。


「ごめん」


「もうすぐデビュー曲のお披露目なんだからさぁ」

 最後に二酸化炭素が濃縮されたようなため息を吐き出して、松澤は口をつぐんだ。


 燃料の投下になりそうで、中村恵美なかむらめぐみは、3度目の「ごめん」を飲み込んだ。代わりにこくりと頭を下げ、左右で束ねたツインテールが振り子のように弧を描いた。


 6人組アイドルグループ『ホシトソラ』はメンバーだけで自主練習中だった。

 デビュー曲の発売日が間近に迫っている。これまでは他のグループの曲や往年のアイドルソングをカバーしてきたが、いよいよ今週末のイベントでオリジナルのデビュー曲を初披露する。圧し掛かるプレッシャーにじっとしていられず声を掛け合って集合したわけだが、自主練習の課題の一つが、おぼつかない中村のダンスだった。


 デビューに向けホシトソラはメンバー同士で担当ヘアスタイルを決めた。アイドルグループはCDの販売促進のため、CDショップの入ったスーパーやショッピングセンターを回り、ステージを借りてリリースイベントを行う。発売日の2、3ヶ月も前から予約注文を受け付けてスタートし、ファンも駆けつけてくれるが、通りすがりの買い物客に名前を覚えてもらう機会でもある。ミニライブで歌を歌い、個々のプロフィールを記載したプロモーション用のフライヤー(ちらし)を配るのだが、揃いの衣装を着るのが宿命のアイドルは、初見の人には見分けにくく、髪型で覚えてもらう狙いだ。タレ目で丸顔の中村はツインテール、それもやや高めで結ばれたツインがよく似合った。担当ヘアはレッスン時まで拘束されてはいなかったが、この日はたまたまツインテール。アイドルファンが好むこの髪型は、それまでもリクエストを受けては度々披露していた。


 対する松澤は胸下まであった髪を、肩までのミディアムヘアに切った。胸上までのセミロングでも差別化には十分だったが、松澤自身で決めたことだった。


「めぐたん、ここのパートはまっちゃってるね。簡単に抜けれないかも」

 スウェットの袖口で鏡についた露を拭い、頭を左右に振って上目使いで前髪を整えて津久田咲良つくださくらが言った。エアコンは稼働していなくても、喉の保護のための加湿器と人いきれで鏡も汗をかいていた。津久田の髪はピンクブラウンに染まったショートボブだった。

 生徒指導員張りに目を光らせるアイドルオタクには、染髪は好まれない。それでもファストフード店のフィッシュバーガーのように変わり種にも一定の需要はあって、一人ぐらいはと希望者を募った際真っ先に手をあげたのが津久田だった。根っからの目立ちたがり屋で、髪色でアピールするため、名前のさくらにかけてこの色にした。


「いんや、めぐたんはやればできる子。最初だからまだ慣れてないだけやんな。これからちゃんとできるようになるから大丈夫」

 グループ唯一の大阪出身、角川かどかわみつきが中村の背中に歩み寄り、両手を肩に置いた。松澤に譲られたかっこうのロングヘアも、互いに貸し借りの勘定はない。


「けど、これデビュー曲なんだよ?これからもっと曲増えて、全部覚えなきゃいけないの。出来る?大丈夫?」

 ピンクブラウンの頭を中村の方に向けた。


「はじめの一歩、大事なスタートなんだから、ここでつまずいてる場合じゃないんじゃないの?」

 松澤は鏡に映る自分を見て、すぐに逸らした。


「デビュー曲やねんから、ちょっとぐらいファンも大目に見てくれるって」


「けど、ファンの人って細かいとこまで見てるから。最初だからとかお構いなしにダメ出ししてくるよ。今までもあったでしょ?握手会で。デビュー前なのに。自分は分かってる、ちゃんと見てるってアピりたいのがオタクだから」

 そう言うと津久田はまた鏡に向かい、前髪を指先で整えてから満面のアイドルスマイルを浮かべた。それからクールな表情に切り替え、お気に入りの左の横顔を鏡に映し、満足げに眺めてからメンバーの方を振り返った。


 ホシトソラは結成後レッスンを積みつつ、アイドルイベントに出演してきた。数百とも数千とも言われるアイドルグループが混在する現在、イベントもまた無数に開かれている。ステージではアイドルソングをカバーし、その後の握手会などでファンと交流する。昨今のアイドルグループが通る道の1つで、事前のファン獲得なしにCDデビューには漕ぎ着けない。


「むしろデビュー曲だからこそ細かいとこまで気にすんじゃないの?」

 そう言ってタイピストが所在なく膝を弾くように、松澤はメロディーを口ずさみながらステップを踏んだ。今しがた中村恵美が間違えたパートだった。


 アイドルソングの振り付けは一見シンプルに見えるものでも、そこに歌も加わるから見た目ほど易しくない。松澤も最初は手を意識すると足が、足を意識すると手が、ダンスを意識すると歌がおろそかになり、全身が噛み合わないことが多かった。ダンスも歌も経験のない松澤には仕方ないことだったが、不器用ではなく、運動神経にもそれなりの自信を持っていただけに悔しかった。何度も繰り返して、いまは鏡の中で滑らかに踊っていた。

 踊り終わると顔に引っ付いたミディアムの髪を払った。この日のメンバーだけでの自主練習は、松澤が呼び掛けたものだった。


 ファンの間では中村がダンスが苦手なのは周知で、それがキャラクターにもなっていたが、デビュー曲はこれまで披露してきたカバー曲とは意味合いが異なる。結成期から追いかけているファンにとってCDデビューは出産に立ち会うような心境で、熱の入れ様もこれまでとは比較にならず、一人で百枚を超えるCDを購入するファンも珍しくなかった。


「そんならめぐたんは、間違えても間違えたーって顔しない。ファンはまだどんな振り付けか知らんねんから、ダンス止めないで、元からこういう振りですって感じでなんでもいいからとりあえず笑顔で踊っといたらええねん」

 中村は前奏からラストまで間違えずに踊り切ることはまれだったが、アイドル道に背くような角川の偽装の指示に返事を躊躇った。


「たしかにそれはその方がいいかも。あたふたしたら余計に目立つから」

 グループ一の長身、小田奈津美おだなつみは、中村とは反対に、長い手足とチアダンスの経験を生かした切れのあるダンスでファンの支持を集めていた。振りに合わせて揺れるポニーテールはファンの間で『ナッツテール』と命名され、今では本人のニックネームに昇格していた。

「失敗を失敗に見せない工夫っていうか技術は大切だよね。歌詞を忘れたり間違えたりしても顔には出さないのがプロって言うかアイドルだと思う」

「これからはそうします」

 ナッツテールの後押しもあって中村は受け入れた。


「あかりんもそう思うやろ?」

 不意に話を振られ、宮田朱里は黒髪のショートヘアをちょこんと下げた。


「けど、これからデビューして頑張ってこうってアイドルがそんなんでいいの?完璧に出来るようにした方がよくない?一人出来ないと、気になって自分のことに集中出来なくて、釣られて間違えたりするかもよ」

 何かにつけて「けど」と反論する津久田は、可愛らしい顔の裏の勝ち気な気性が見え隠れする。


「もちろんちゃんと出きるように練習は続ける。間違えた時はーの話。新人アイドルやねんから、ファンも分かってくれるって。それよりもメンバーがギスギスしてる方がグループにとってアカンと思う」


「そういうのも伝わっちゃうかもね。仲良い、っていうか、絆が強いグループって観てる人が感じられる方が応援しようって気になるよね」

 そう言って小田はドアに貼られたポスターに目を向けた。今貼られている宣材ポスターは白のワンピースを着た6人にグループ名だけが記載されたもの。間もなく、新しい衣装をまとい、タイトルの記載されたデビュー曲のポスターに貼り替えられる。タイトルを含め詳細はまだファンに公表していないが、耳が早いファンの間では、リリースイベント中に小田のキャプテン就任がサプライズ発表されると囁かれていた。


「でもなあなあになったら、それはそれで良くなくない?待ちに待ったデビュー曲で、中途半端なのはファンも見たくないでしょ。遊びでやってんじゃないんだから」

 松澤は顔の汗を吸いとらせたハンドタオルを壁際に放り投げた。空気も一緒に吸収してしまったように、レッスン場を沈黙が包んだ。

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