第2話 褐色の君

「……それで、元恋人と寄りを戻した、と」

 平日の昼下がりの喫茶店。友人はサラサラと落ちる小さな砂時計を眺めながら言った。言葉尻を捉えただけのその言葉は、これまでの私の話を一つも聞いていなかったことがよくわかった。そして、少しも変わらない表情。

「あ、すごく興味ない、って顔してる」

 私は大げさに不服そうな顔をして、相手に不満を訴えた。

「いや、前も同じようなこと聞いたなあって」

 「前」と言われて「どれだったかな」と考える。ああ、きっと前は元同僚だったかな。

「前とは違うし。前は元同僚だったし!」

 時々、どの設定だったかわからなくなってしまう。そう、私は恋多き人なわけではない。全ては友人に会いたいという自分の欲望を果たすためだけに吐き続けている嘘なのだ。

 友人に会ったのは大学生の時だ。同じ研究室で勉強をし、その中で一方的に惹かれていったのだ。友人は、研究をするのが本当に好きで、休みの日さえ学校に通っていた。そんな友人が机に置いていた紅茶缶が見たことがないものだったので、それについて聞いてみたところ、紅茶がとてもとても好きだということがわかった。

 友人の好きなものを知り、これをきっかけに出かけたいと思ってまずは約束を取り付けた。紅茶の美味しい店がある。きっと気にいる。だから行こう。もちろん、このタイミングではそんな紅茶店見つかっていないのである。どうせ断られると思う気持ちがあったのだ。探しても意味はないと。

 しかし、友人は渋々ながら誘いに乗ってくれた。嬉しい反面、紅茶のお店なんて知らないのだから探すしかない。何軒か調べて行ってみたものの、普通のカフェと変わらない気がして、どこも納得できなかった。けれどもその日はやってくる。当たって砕けろと思い、調べたけれど時間的に行けなかった喫茶店に行くことにした。ネットの評価は可もなく不可も無く。

 紅茶を口に含んで、友人の方を見たとき、私は衝撃を受けた。紅茶は美味しい、そしてそれを飲む友人の表情はこれまでに見たことないくらい柔らかい。幸せだと思った。友人の表情を直視できなくなった私は、この時間が長く続くよう一口ずつ丁寧に紅茶を飲み干した。

 2人で通っている時間は、長いようで短かった。何かを進展をさせようとして、終わりが怖くて何も言えなかった。そのまま疎遠になって、でも会いたいとずっと思っていた。あの喫茶店に行けば、偶然会えないかなど考えたが、思い出がありすぎて1人でその場に踏み込むことはできなかった。ならば、誘おうと思った。でももし友人に恋人がいたらどうしようか。いるかどうかもわからない友人の恋人を想像して、何度も連絡をするのを断念した。

 そんなことをしている中で、ふと思ったのである。私に恋人がいる程であれば、その相談ということで友人は会ってくれるのではないか。今思えば空回りしていたのだが、この時はそんなことしか思いつかなかった。

 友人に連絡を取ると、話はトントン拍子に進んで喫茶店で会うことができた。嬉しい反面、いもしない恋人について話さなくてはいけず、恋愛ドラマを参考にはしたが、最初から最後まで話したところで自分でも矛盾点をいくつか見つけることができた。友人は話しの内容にあまり興味がないというのが唯一の救いだった。

 一度この理由付けで会ってしまうと、次に会うときも、その次に会うときも話を作らなくてはいけなかった。そして今日、元恋人の登場である。もう限界だろう、と私も思っている。そろそろ幕引きなのだ。その前にこれだけは聞いておきたいと、声に出す。

「ところで、恋人はいるの?」

 いる、と答えてくれ。

「急だね……残念ながらいないですよ」

 友人は一瞬驚いた後に、自虐的に笑いながら言った。

「ふーん。そっかあ」

 平常心をよそおって相づちを打つ。どうして、いると言ってくれないのだろう。どうして、私はこんな設定をして会ってしまっているのだろう。ふと砂時計を見るとちょうど落ちきったタイミングで、私はさっとカップに紅茶を注ぐ。琥珀色のそれはベルガモットの香りを漂わせる。この琥珀色のタイミングだけは、運がいいのか、いつも逃さないでいる。

 私は毎回頼む紅茶を同じにすることで思い出を重ねていく。たくさんの思い出が蘇り、私は微笑んで「ここはいつでも幸せになるね」と言った。すごく幸せな思い出ばかりのはずなのに、寂しさを感じた。

 きっと私はこれ以上嘘をついて会うことはないだろう。今日さよならをしたら、もうズルズル引っ張ってられない。なら、嘘を重ねてでも伝えないといけないことがある。

「それでね、その元恋人と別れたの」

「ん?はい?」

 突拍子も無いことを私はいい、一度視線を落としていた友人の気を引いた。まずは設定を崩壊させる。嘘だってバレてもいい。

「まあ、結局思い出を美化してただけで、合わないのは合わなかったんだよね。そうなったら、早く終わらせるのがいいでしょ?」

 友人は何かに気づいたような顔をしていたが、すぐに表情を戻した。嘘だと思われても構わないのだから、何に気づかれても、もういいだろう。私は次の言葉を考えながら、友人の砂時計に目を向けると砂は落ちきっていた。私はそれを指差して言う。

「もう、できてるんじゃない?」

「あ、あぁ。そうだね」

 知っていたような反応をして、友人はカップに紅茶を注いだ。褐色である。少し抽出しすぎているのが分かった。それを口にした友人がしばらく何も言わない。紅茶が思ったより渋かったのだろうか。

「そんなに渋かったの? じゃあこれ飲む?」

 私は自分のカップを差し出す。今まで私のものを勧めても一度たりとも受け取ってくれたことはなかった。きっと断られるだろうとたかをくくっていると、すっと手が軽くなる。カップを受け取ってくれたのだ。嬉しくて、喜んでいる自分に気づかれたくなくて私は俯く。

 たくさんの嘘をついて、今この場があって、初めて受け入れてもらえた気がした。でもついた嘘は消えない。このままではいけないと思った。友人が「ありがとう」と言ってカップを返してくれる。

 今日しか、今しか、ない。

 私は顔を上げる。


 そして、


 ――はタイミングを逃さない。

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その一瞬を君と。 なち @nachiumi

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