その一瞬を君と。

なち

第1話 琥珀色の君

「……それで、元恋人と寄りを戻した、と」

 平日の昼下がりの喫茶店。私はサラサラと落ちる小さな砂時計を眺めながら言った。話の結論に至るまでにだいぶ時間がかかったな、と思いながら向かい側に座る友人の顔を見る。

「あ、すごく興味ない、って顔してる」

 友人は頬を膨らますような仕草をして、私の反応に不満を訴えた。

「いや、前も同じようなこと聞いたなあって」

 そのときはもう少し簡潔に述べていたような気もするが。今回の相手にはよほど思い入れがあったのだろうか。

「前とは違うし。前は元同僚だったし!」

 私からすれば、どちらであっても同じ喫茶店で聞いた「付き合った話」と言う点でそう大差ないのである。更に「元」と言う言葉の響きも重なって、ほとんど同じように聞こえてくる。なので、今回の話はほとんど耳に入れないまま、結論だけ切り取って口に出したのだった。

 大学の友人は新しい恋人ができると、決まって私をこの喫茶店に呼び出し、恋人のいいところ悪いところをつらつらと並べ、気がすむまで話し続ける。友人に呼び出されたタイミングで、「あぁ、またか」とはなるものの、指定する喫茶店がここだから何度でもその誘いに乗ってしまう自分が本当に情けない。

 そういえば、初めてこの喫茶店に来たのもこの友人とだった。外に出るのが苦手な私の唯一の趣味である紅茶。それが美味しい場所だからと友人に誘われ、渋々ながら初めて外で紅茶をのんだ。

 衝撃的な出会いだった。こんなにも香りが広がり、ふわふわと酔った気分になるのは初めてで、どんな知識をもって、どんな風に淹れればこの紅茶になるのか知りたくて仕方なかった。友人も同じく衝撃を受けたようで、しばらく無言で一口ずつ楽しんだのを覚えている。

 それからしばらくは2人でこの喫茶店に通い、卒業後、疎遠になってからは1度も訪れることはなかった。あんなに通っていたのに、パタリと行かなくなってしまったのである。何度か2人で通っているうちに、紅茶を飲みに行くことよりも友人と出かけることにも幸せを感じていたように思う。私は疎遠になるまでにその幸せに名前をつけることを拒否し続けた。2度と来れなくなるような結末になるのであれば、ただ友人と行った喫茶店として思い出にしていたかったのかもしれない。

 もう会うこともないだろうと思っていた矢先、急に連絡が来て呼び出されたと思ったらこれだ。こっちとしたら、いよいよ名前を付けなくてはいけないと覚悟をして連絡を取り始めたのだが。そんなことは微塵も感じないまま、紅茶の味なんてお構いなしに友人は話し続けるのだ。

「ところで、恋人はいるの?」

「急だね……残念ながらいないですよ」

 急に話を振られてやや驚いたが、語る話もないので、私はそう言って砂時計に目を向ける。砂はまだ半分残っているので、まだオレンジ色だろうなとポットの中を予想をした。琥珀色のタイミングで飲むことができれば、嬉しいのだが……。ふいに、フワッとベルガモットの香りが漂う。視線をあげると、先に砂時計の砂が落ちきった友人の紅茶がカップに注がれていた。きれいな琥珀色である。友人はいつだってタイミングを逃さない。

「ふーん。そっかあ」

 私の回答に相づちを打ちつつ、友人はカップに口をつける。そして、柔らかくほほえんで、「ここはいつでも幸せになるね」と言った。

 --あぁ、なんでその笑顔を私に向けるのだろうか。

 私は、少しの寂しさを感じながら、また砂時計に目を向ける。ちょうど落ちきったタイミングだった。

「それでね、その元恋人と別れたの」

「ん?はい?」

 私は友人を見る。さっきまでの話だと付き合ってから1週間ぐらいではないだろうか。いや、まあ、そういう人もいるだろうが。思い返してみると、歴代の恋人の話には突拍子もないことが時々紛れていたような気もするが、恋愛経験の乏しい私がとやかく言う立場ではないなとスルーしてきた。だから今回も深く考えずにスルーである。

「まあ、結局思い出を美化してただけで、合わないのは合わなかったんだよね。そうなったら、早く終わらせるのがいいでしょ?」

 でしょ?と聞かれても私にはそんな経験はないため、返す言葉がない。そんなことより、「別れた」と言う話を聞いたのはこれが初めてで、なんだかドキドキする。このドキドキが何なのか私は知っている。これは、もしかすると、名前をつけるタイミングはここなのではないだろうか。

 早足になる心臓と、巡ってきたタイミングについていけず、私は何も言えないまま友人を見ていた。すると、友人は私の砂時計を指差して言った。

「もう、できてるんじゃない?」

「あ、あぁ。そうだね」

 きっともう、抽出しすぎているだろう。カップに紅茶を注ぐと、やはり出てきたのは褐色であった。口に含むとやや渋く、舌に残る。これまで向き合わなかった代償に、私は大切なタイミングを逃してしまったのだ。これまでの人生、思い返せば自分でタイミングを掴んだ時はあっただろうか。……知っている。だから今日だって、うまくいかない。いくはずがないのだ。

 否定的な言葉を並べていた私は、ふいに香ったベルガモットにハッとした。本当にこのままでいいのだろうか? また喫茶店に呼ばれたら、恋人の報告を聞きに来る、それを繰り返していていいのだろうか?

「そんなに渋かったの? じゃあこれ飲む?」

 私が黙ったまま何も言わないのを見て、友人が自分のカップを差し出す。琥珀色のベルガモットの香りが近づく。時々こんな風に食べ物や飲み物をシェアしてくれる時はあったのだが、いつも私は受け取らない。見たこともない恋人という存在に遠慮をしてしまうのだ……。

 私は手を伸ばした。自分の行動にもびっくりしたが、今は遠慮する相手がいないのだから今日ぐらいはいいだろう。私がカップを受けとると、意外だったのか友人は少し驚いた顔をし、すぐに嬉しそうに微笑んだ。私が受け取らないと思っていたのだろう。

 友人は自身の手からカップが離れると、一度俯いた。その間に私は友人の紅茶を口に含む。あぁ、本当に美味しい。幸せはいつだってここにあるのだ。友人の手前にカップを置いて私は「ありがとう」と言うと息を吸った。

 友人もまた、何かを決心したように顔を上げる。


 そして、


 ――はタイミングを逃さない。

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