冴草ちゃんはしゃべらない その2



 朝日がリビングに差し込み窓際の観葉植物ということになっている奇妙な食虫植物(彼女がボビーと名付けた)がクネクネと葉を揺らしている。


 俺はキッチンでコーヒーを淹れ、啜りつつ閉じられたドアをノックした。


 ドアには丸っこい字で『開けるなキケン』と書かれている。

 やれやれ……全く何が危険なんだか。


「お〜い?冴草ちゃん!もう朝だぞ?」


 がたんばたんと部屋の中で何やら騒がしくしているみたいなので、寝てはいないご様子。

 彼女の職業はジュエリーデザイナー兼製作者。

 表参道に小さいながらも店を構えるオーナーでもある。

 そこそこ人気が出たにも関わらず本人の気が向いた時しか作らないため、知らない内にプレミアがついて入手困難なジュエリーとして一部で熱狂的なファンがいるとかいないとか。


 そんな彼女が珍しく昨日から部屋に篭って作っているのは結婚指輪だ。


 偶々店に来た青年から頼まれたらしいが、何か思うところがあったみたいで徹夜で作成しているみたいだ。


 かちゃ


「あーおつかれさん」

「…………」

「とりあえず風呂入ってくる?」

「…………」


 こくんと頷いてぺたぺたと浴室に消えていく彼女の裸体を見送り俺は昼ごはんの準備をすることにした。






「それで出来たのか?」

「…………♪」

「え?なんでひとつだけなんだ?」

「…………」

「あのなぁ、サイズくらいちゃんと聞いとかないとダメだろ」


 膝の上で白兎のマグカップのコーヒーを啜る彼女。

 どうやら頼まれた青年のサイズを聞いていなかったらしく女性の分だけ作ったそうだ。


「…………」


 そんなこと気にしなさそうな人だった、だって?

 いや、言ってる意味わかんないぞ?


「じゃあとりあえず店に顔出す?千冬さんも会いたいだろうし」

「…………」


 じぃっ上目遣いで俺を見上げてからよいしょっとよじ登ってくる彼女。

 すべすべな感触が気持ちよく風呂上がりでほんのりと火照った肌が艶かしい。


「…………♪」


 小さな赤い唇をひと舐めしてにっこりと笑う顔は普段の可愛らしさより色気が勝っている。

 ……うん、店に顔を出すのは夕方になりそうだな。





「はいよ、これでよしっと」

「…………♪」


 ぴょこぴょこ跳ね返る髪を綺麗に結ってやりアップにして留めてやると彼女は鏡の中の自分を見て至極ご機嫌だ。


「準備は……って言うまでもないか」


 俺はひょいと彼女を抱き抱えて衣装部屋へと向かう。

 ほっとくとずっと裸で暮らすからな、この子は。


 今日彼女が選んだのは青と白のエプロンドレス。

 ニーハイとミニスカートの間の絶対領域が眩しい。


「…………」

「なんでまた?急に」

「…………」

「ああーそれでか」


 急に珍しいのを着るから何かと思えば昼の白兎のマグカップを見てアリスをイメージしたらしい。

 行きつけのアンティークショップオリジナルのマグカップセットは不思議の国のアリスを題材にしたもので、白兎や帽子屋にハートの女王などがあり彼女のお気に入りだ。


 まぁ少なくとも物語のアリスはミニスカではないと思うが。


「〜〜〜〜♪」


 音の無い鼻唄なんて他の誰が聞いて──聞こえはしないが──も分からないだろう。


 マンションから徒歩で30分ほどで参道に出て夕暮れ時の人の流れをかき分けていく。

 彼女は当然俺の小脇にかかえられ楽しそうに手足をばたばたさせているのだが……


「なぁ冴草ちゃん、あまりばたばたするとな……また誘拐やらに間違われるんだわ」

「…………?」

「は?じゃないって。は?じゃ」


 にへらと悪そうな笑みを浮かべる彼女。

 嫌な予感しかしなかった俺はばたばたする彼女をかかえ急いで店へと駆け出した。




「はぁ……いい加減にしような……いやほんとマジで」

「…………♪」

「うわっすっげぇムカつくドヤ顔!」

「…………♪」


 あれ知ってる警官が来なかったら今頃まだ交番だったぞ?って全然聞いてやしねぇ!


 当然の如く職質され交番に連れていかれ容疑者よろしく取調べを受け、解放されたらまた職質され……で店についたらついたで閉まってるし。


「〜〜〜〜♪」


 楽しかったぁみたいな顔で部屋に入っていく彼女に続いて俺も部屋に入る。

 ぽいぽいっとメイド服を脱いでリビングの巨大なクッションにダイブする彼女。

 青×白のニーソは履いたままってのが絶妙にエロい。


 クッションの上に座ってニーソを脱ごうとして……ころんと転がりぷくっと膨れる彼女を横目に俺はキッチンでコーヒーを淹れる用意をする。


 するとそれに気付いたのかとてとてとやってきて棚から豆の入った瓶を取って差し出すのでミルでガリガリと豆を挽く。

 キッチンに漂う珈琲豆の芳しい香りに頬を綻ばせる彼女。


 やれやれ全くこのお嬢さんは……


「…………」

「はいはい、ちょっと待ってろな」

「…………」

「うん、有り難くいただくな」


 サイフォンに火をつけてる間にトーストを焼く。朝でも晩でもコーヒーにトーストは彼女の定番なのだ。

 因みに食後のデザートは彼女なわけで……


 俺にとってのデザートが彼女なのか、彼女のデザートが俺なのかは全くもって分からないのだが。


 そんなことを考えている俺のとなりではジャムでべたべたになった顔が。

 はいはい、もうちょっとキレイに食べような……ほんと。




 …………♪



 ごちそうさまでした。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冴草ちゃんはしゃべらない 揣 仁希(低浮上) @hakariniki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ