冴草ちゃんはしゃべらない

揣 仁希(低浮上)

冴草ちゃんはしゃべらない



 頬にフワフワとした感触を感じた俺は重い瞼を開ける、仄かに香る柑橘系の香りが鼻腔をくすぐる。

 閉じたカーテンの隙間から僅かに射し込む光が、もう日が昇っていることを教えてくれる。


「もう朝か……」


 目を下に向ければ俺の腰のあたりでそんな僅かな光に反射する綺麗な金髪がゆらゆらと揺れていた。

 癖のある巻き髪の金髪をクルクルと指に巻きつつそっと撫でながら少しだけ身体を起こす。


「………………」


 くすぐったかったのか、それとも眠りを妨げられたことが不満だったのか不機嫌そうな顔で俺の胸の上から見上げる青い瞳はまだ半分も開いてはいない。


「ああ、悪い。起こしちゃったか?」

「………………」

「もう朝だぞ?」

「………………」

「はいはい、ブラックでいいか?」


 俺の胸から離れベッドの上にぺたんと座り大きな欠伸をひとつ。


「………………」

「ん。ちょっと待ってろな」


 くしゃくしゃっと頭を撫でて俺はベッドから出てキッチンへと向かう。

 キッチンから寝室を見れば彼女の白い肢体がぱたりとまたベッドに倒れこむのが見えた。






「ほら、動くなって」

「………………」

「いやいや、そんなこと言ったってすげえ癖毛なんだから仕方ないだろ?」

「………………」

「だよな?あの頃はストレートだったのにな」

「………………」

「知らねーよ、偶々だろ?」


 ベッドの上で彼女の髪を梳かすのは、すっかり毎日の日課になっている。

 あっちに跳ねこっちに跳ねする困った癖毛だが、俺達が初めて出逢った小学校の頃は彼女が言うようにサラサラのストレートだったはずだ。


 言うようにというのは語弊があるか。


 彼女、冴草・ルカ・アーシュリーというハーフのこの子は言葉を発さない。

 俺たちが初めて出逢った頃から今の今まで一言も喋ったことはない。

 小学校の頃は外国の子供だと思っていたので日本語がわからないのだろうと思っていたが、いつしかそうじゃないことに気づいた。


 中学、高校を卒業し偶然の──彼女に言わせればそれは必然だったらしいが──再会をした時も彼女は何も、一言も発さなかった。


「トースト焼くか?」

「……………」

「ん?そうか?じゃあ外に出るか」


 それでも俺には何故か彼女の言いたいことが手に取るように分かる。

 慣れとは不思議なものだ。


「あーその前に……服着ような?」

「…………?」


 彼女は基本的に部屋では裸族だ。

 初めて俺の部屋に泊まっていった日も素っ裸でうろうろして目のやり場に困ったものだった。

 くるんと巻いた金髪に透き通るような起伏の殆どない真っ白な裸体とのコントラスト、大きなサファイアブルーの瞳に西洋人形の様な整った顔立ち。


 今では裸身の彼女を見ても性欲より、ある種の芸術品を愛でる感情が先にくるようになった。


 ててて、と俺に抱きついて上目遣いに笑う彼女の何と可愛らしいことか。


「はいはい、よいしょっと」

「…………♪」

 彼女を抱き抱えて衣装部屋に連れていく。

 かなり広めに作られたウォークインクローゼットには彼女の服が整然と並んでいる。


「…………」

「これ?あー、こっちか?」

「…………♪」


 今日の彼女の気分は黒×赤のゴスロリメイド服だそうだ。

 因みにクローゼットの服の8割がゴスロリかメイド服だったりするのはご愛敬ということで。




 マンションを出て馴染みの喫茶店へと向かう。

 今更だが側から見れば俺達はさぞおかしな取り合わせに見えることだろう。

 俺、本寺 幸多もとでら こうたは高校大学とラグビーをしていたこともあり身長2m近く体重も100㎏を超えた巨漢である。

 対して隣を──もとい俺の腕にぶら下がりご機嫌な彼女、冴草・ルカ・アーシュリーは小学校時代からほとんど成長してないお子様体型。


 因みに同い年で今年24歳になる。


 今まで何回職務質問をされたか……想像してみてほしい。


「なぁ、ゴリさんとこでいいんだよな?」

「…………♪」


 こくこくと頷いてご満悦の彼女を小脇に抱え着いたのはちょっとした隠れ家的な小洒落た喫茶店だ。


 からんからん


「マスター、モーニングふたつ」

「…………♪」


 カウンターに座り調理場のゴリラにモーニングを頼む。

 この喫茶店のマスターはゴリラだ。

 俺も大概ガタイはいいほうだが、そんな俺より更に一回りデカい。

 筋骨隆々のムッキムキな身体に可愛いヒヨコのエプロンが犯罪臭を醸し出している。

 そんななりをしているにも関わらずこのゴリラ、料理の腕は一流で有名ホテルの料理長をしていたらしい。

 ははは、包丁がペーパーナイフに見える。


「おぅ!久しぶりじゃねぇか!あ〜嬢ちゃんはそうでもないか?」

「…………」


 ミルで豆を挽きつつ笑う顔は凶悪犯も裸足で逃げ出すだろう。


「あぁ?豆か?おう……そうか?キリマンとブレンドな?」

「…………」


 このゴリラ、彼女の言いたいことが分かるらしく普通に会話的なものが成立するのだ。

 やはり野生の何かがそうさせるのだろうか……


 そんな二人を横目に見つつ豊かなコーヒーの香りを堪能する。

 入口横の棚には数十種の珈琲豆の入ったガラス瓶が置かれていて我が愛しの彼女はここで毎週のように豆を補充している。

 おかげで家のキッチン横にはコーヒー豆の棚が設置されたくらいだ。


 ことん、と置かれたティーカップを両手で持ってふぅふぅと冷ましている彼女。


「…………?」

「ん?ああ、いや、熱いならアイスコーヒーにすればいいのにって」

「…………」

「そりゃまぁそうなんだけどさ」


 ミルで挽いてサイフォンで淹れるのを見るのも好きだって言われたらそれまでなんだけど。


「…………♪」


 右左に揺れながらご機嫌でトーストにジャムを塗りたくりはむはむと食べる彼女……あっという間に顔がベタベタになるのもお構い無しだ。


「…………」

「はいはい」


 ちっちゃな唇をとがらせて拭いてくれとせがむ彼女の顔を拭いてあげ、ついでに赤く小さな唇にキスをひとつ。


「…………♪」


 にぱっと笑い隣の椅子から俺の膝の上に移ってくる彼女。

 丁度くせっ毛の髪から跳ねたアホ毛が顎のあたりを行ったり来たりして非常にくすぐったく。

 生暖かい目のゴリラは無視して一頻りイチャつきモーニングを食べ喫茶店を後にする。


「じゃ、またな」

「…………♪」

「へいへい、ありがとよ」


 からんからん


 おざなりなゴリラに手を振りコーヒー豆の入った紙袋を大事そうに抱き抱えた彼女を小脇にかかえ俺はのんびりと鼻歌交じり。


 うん、今日もいい一日になりそうだ。













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