Ⅱ.楽団略奪記録-歌姫の敗北-

0.歌姫、叫ぶ

「クソがアアアァァァッ!!!!」


とてもその声色と歌唱力で人々を魅了する歌姫から出たとは思えないほどの怒声がその部屋に響き渡った。

続いてたくさんの物がぶつかり、砕ける音が部屋のあちこちで鳴り叫んでいる。

普段彼女がいるのは、いくつもの楽器が織りなす、人々の心に癒しを与えるような美しい調べの中。

ところが、この部屋の中は今現在、癒しどころか激しい暴力と怒りの渦の目となっていた。


「あの成金豚が……!! こともあろうにこの私が狙ってたものを掻っ攫いやがって……!! ”歌姫の羽衣“だぞッ!! この私以外に似合う存在がどこにいるっていうんだ……ッ」


「アムネシアン、オークションで負けたからと言って物や人にあたるのはやめていただけませんか。この宿も毎度お世話になっているところなのですから、リーダーにも迷惑をかけることになりますよ」



この国での歌劇の千秋楽を終え、しばらくは観光のために滞在……というところで遭遇したオークション。

古今東西、様々な衣類を集めることを趣味とする歌姫は、大陸最大規模のオークションという触れ込みに負け、参加することに決めていた。

その最大の目的である“歌姫の羽衣”と呼ばれるドレスにすっかり心を奪われて、全財産を使い切るつもりで臨んだのだが、結果は惨敗。

庶民が一生かかっても稼げないほどの額を積んでも勝てぬ結果に、短気な歌姫の臨界点などあっさり超えられてしまっていた。


憤りを外へ外へ向ける歌姫、アムネシアンへ飛び交う食器や家具を避けながら近寄っていくのは、雪のように白い髪と肌を持つ女性。

普段は共に行動することは少ないが、公平なくじの結果、今日の相部屋はこの二人となっていた。

ウレツァルカント楽団という名で世界各国を回り、興行を行う仲間であるが、特に仲が悪い二人。何もなければいいが、とお互いに思っていたが、引き金を引いたのはアムネシアンの方だった。


「なんだ? お小言か? 毎度毎度澄ました態度取りやがって。雪女だか何だか知らねえが、心まで凍ってんじゃねえのか?」


「ご安心を。雪女と呼ばれる種もちゃんと血が通っていますし、心もそのほかと変わらないように動いていますよ。ほら、貴女に対してこんなにも怒っていますから」


雪女。そう呼ばれた白髪の女性へ向けて飛んできたカップは、ぶつかることなく地面へ落ち、断末魔を二つ上げた。

と同時に、アムネシアンの首筋に添えられていたのは透き通る刃。帯びる冷気はその周囲を白く煙らせ、剣閃を示すように後を引いていた。


「……どういうつもりだ、フミ。仲間内での争いはそれこそ座長の望むところじゃねえだろうが」


一切くすんだ様子を見せない紫の髪が僅かに斬れて、床に落ちる。それを目にしたアムネシアンはより一層怒気を込めた声を跳ねさせた。


「別に争いではないですよ。これは制裁ですし、目立つことをするなという言いつけを遵守するためですから。ルールを守るための行動です」


「屁理屈だなァ雪女。その綺麗な顔面丸焦げにして吹き飛ばしてやろうか? あァ?」


とても人々を惹き込む歌劇を行っている集団とは思えないような暴力的なやり取り。しかし、実のところ彼女らにとっては日常茶飯事。顔を突き合わせば毎度衝突している。

お互いににらみ合い、挑発し合う。フミと呼ばれた雪女はその刃を下げる様子はなかったが、チリチリと周囲に火が灯り始めたのを捉えると、瞬時に距離を取った。


「正気ですか。貴女の魔法は無差別すぎる。この宿が倒壊しますよ?」


「そのくらいの加減は出来るに決まってんだろ。私を誰だと思ってやがる」


こうなると手の付けようがないのだ、この女は。とフミは仕方なく氷の刃を構える。少なくとも部屋が吹き飛ぶのだけは避けなければ。

何か焦げ付くような音と匂いが部屋に充満し始める。明るい橙の粒子が広がり、次第にその灯りは強くなっていって……。


「ハイ、そこまでにしよう、お二人共。まさか私の前でもけんかを続けるなんて言わないよね?」


扉が開く様子もなく、窓が開く様子もなく。突如としてその人物は現れた。

空に雲を溶かしきったような色の髪が広がり、視線がアムネシアンのほうを見たかと思うと、その瞬間空を舞っていた橙の粒子がひとつ残らず消え失せる。


「せ、セレネス座長……! い、いや、その、これには色々……」


銀色の視線がアムネシアンの持つ黄金色の瞳と交差したかと思うと、既に二人は戦闘態勢を解除していた。一瞬で張りつめていた空気が戻っていく。

ウレツァルカント楽団の長、セレネス・リビーガの登場により、ガディア王都の高級宿は一命を取り留めた。


「ま、今回は俺が間に合ったからセーフかな。どっちもペナルティはなしにしといてあげよう。本当はいつもいつも出てこないロロリックの召集にでも無理やり出そうかと思ったけど。あたしの顔に免じてこの場はお互い様ってことにしておいてよ」


セレネスの表情はどちらを責めるわけでもなく、ただ困った子たちだ、というような保護者のもの。

フミもアムネシアンも、二人して冷静さを取り戻し、お咎めがなかったことに安堵する。

荒れた部屋も片付けて賠償金を支払えば何の問題もないだろう。そう提案しようとフミが一歩前に出た矢先。


「……あっ。そうだ。召集」


「……ん?」


「座長! 私、欲しいものがあって! メンバーに召集をかけたいんだけど!」


にやりと笑ったアムネシアンの表情は先ほどまでのなりふり構わぬものでも、舞台上の歌姫と成るためのものでもない。

強いて言うなら、無邪気。しかしそれこそが最大の邪悪とも呼べるような形に歪み、瞳は欲望で煌めいていた。

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神なき世界の紀行録 音和 @hine-it

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