9.小間使いと隠者
「私に並ばせるとか言っておいて、よく手に入りましたね」
私とカザフスドア様は、一昨日も呑まれた人ごみの中にいた。
まるで進む気配がないながらも、ゆっくりと進む人の波に流されているのか逆らっているのか。奇妙な浮遊感の中にいると少し気持ち悪くなってしまう。
先日懲りたはずの私たちがなぜこの人ごみの中にいるのかというと、主が持ってきた二枚の紙切れが原因だった。
「実は古い知り合いにあってな。その知り合いの友人があの催しの主催者だという。そんな縁で席券を四枚もらったが自分たちに必要なのは二枚というものだから、もらっておいた」
「カザフスドア様の人脈って、どうなってるんですか……。そもそも、古い知り合いって……」
「安心しろ。相手は俺よりも長命だ」
「……いつになったら慣れますかね。その手の話」
「百年もすれば慣れる。お前はおそらくそれくらいは平気で生きるぞ」
生きていたスケールが違うだけあって、話がだんだんと分からなくなってきた。
五百年の年の差を埋めるのは、一筋縄ではいかないようだ。
「それで、具体的にはどういう催しなんですか?」
尋ねると、主人は席券を手渡してきた。それと同時に数頁しかない冊子を手渡してくる。
見てみれば、それは催しの簡単な紹介のようだった。
「ウレツァルカント楽団による歌劇、題目は『黒騎士と魔女 旅の始まり ~神々への離別~』……?」
歌劇、というからには話に聞く有名が劇団のことだろう。冊子には主たる構成員の名前や紹介と一緒に題目のあらすじも書かれていた。
「有名な逸話でな。千年前、神々がこの世を見捨て去った際に、人と神との闘いが起きたという。その時、この世で最も栄えていた国の騎士と姫がその身に降りかかる災を退け、永遠の誓いをするという内容だ。あらすじを見る限り、神代のこともよく理解した上での表現に臨むのだろう。興味がある」
「あっ、黒騎士と魔女って、もしかして永遠の時を生きるという魔女と、それに付き従っている隻腕の剣士のことじゃ」
いかに主のような存在がいたとしても、神代を知る人物というのはもはやほとんどいない。
しかし、その数少ない存在にして、千年もの間歴史に最強として名を刻み続けるのが黒騎士と呼ばれる隻腕の剣士。
傍らにはいつも、見た目十四、五ほどの少女の姿があるという。
「そうだ。おとぎ話として語られがちだが、この二人は実際に今も生きていて、各地を放浪したり、隠れ住んだりしている。はじめて会ったのはそれこそ数百年前だが……今でも姿かたちが全く変わっていないところを見るに、あの二人は本当の不老不死というものなのかもしれん」
俺もずいぶん特殊な方だが、あれには敵わん、と自嘲気味に主は笑った。
「ああ、だからいつも二人という物語なんですね。同じ時間軸で生きていく人がいないなんて、きっと苦痛でしょうし」
口から飛び出した感想は、思わぬ人物に突き刺さったようで、私はしばらく一人で進んでしまっていた。
苦労しながら人の波に逆らって立ち止まった主の元へ戻っていく。
「す、すみません。軽率でした。カザフスドア様も、そういうこと思ったりするんですか」
「……ないわけではない。ただ、俺は基本的に人との関わりを断っているからな。結局のところ、長く生きることと孤独は切っても切れないものなのだろう。本来は」
これだけ人がいるのに、そういった主の周囲からは人の気配を感じられなくなってしまうような、冷たさと寂しさの入り混じった言葉。
私は主人がどうして森に住んでいるのか、長く生きることを選んだのか、そしてその五百年に何があったのかは分からない。
分からないが、私は選んだ。この主人とともに往く未来を。
きっかけは最低で、強制的なものだったかもしれないけれど、最後には自分で選ぶことにしたのだ。
だから。主の手を取る。そこには陽のような温かみがあった。
「でも、カザフスドア様は大丈夫です。これから私がいますから」
「ふん、十四しか生きていない小娘が何を言うか」
照れ隠しだろう。顔を背けた主の口元は緩んでいる。
最後には自分の足で踏みだしたこの先には、きっと途方もない時間が待っている。
しかし、それが今の私には楽しみで仕方なかった。自ら縛り付けた鎖ももう、ない。
途方もなく長いのなら、じっくりゆっくり楽しもう。まずは目先の、永遠を生きる二人の物語を参考に、楽しみに……。
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