7.小間使いの鎖/隠者のひとりごと
「だが、当然だろう」
俯いたままの私に降りかかったのは、なんの重みもない言葉だった。それはもう。あっけらかんと、お前は何を言ってるんだ、という続きが聞こえてきそうなほど。
「……えっ」
「お前の年齢はいくつだ? 言ってみろ」
「じゅ……十四歳、です」
「お前は少しばかり聡すぎる。十四の子供が、こんな目に遭って傷つかないわけがないだろう。十六で成人などとは言うがな、五百以上生きた俺からすれば、そんな年齢で大人など笑止千万もいいところだ」
説教ではない。口調にはやはり重みはなく、むしろ聞いていてすっとするような心地よい響き。
主はまだ私を顔を上げないからか、ため息が聞こえてくる。
「俺に話そうとしなかったのも、あの女に言われるのを拒んだのも、その現実を受け入れたくなかったからだ。そこまでは普通だ。まだまだ未熟な子供なのだから。しかし、その先が俺は気に食わない。逃避した自分を恥じ入る? 真っ先に出てくるべきなのは怒りだろう?」
「で、でも……っ。お父さんは……お母さんが亡くなったせいで、おかしくなって……。だから、責めるわけには……」
思わず、顔を上げる。これまで自分を大切にしてくれていたはずの父への恩があるから、それだけはしないようにしていた。それはあの晴れの日に、弱った父を見て決めていた。
「それか。お前を今一番きつく縛り上げているのは」
少し悲しそうな顔をして、主は言う。
静まり返った周囲が、何の音も発しない静寂へと昇華していた。
「いいか。例えこれまでどんなことがあろうと、お前は裏切られた。それも実の父親にな。ならば、お前には怒る権利がある。過ぎ去った恩や、事情の推測で収めていいものではない。そんなことをすれば一生お前を縛りつけるぞ」
怒り。あの日から一度も感じたことはなかったはず。父親に売られたことを知った時も、どうしてなのかという疑問とその答えを考え続けることでたどり着かないようにしていた。
どうして、母という心のよりどころを失ったから。私はそれほど大切でなかったから。生きるために売られた。
自分の中で完結させれば、父に怒りが向くことなどない。あんなに弱った父を責めることなんて、きっと良くないことだと。
「本気でそう思っているのなら、愚かな子供だ。子供だからこそもっと自由にすればいいものを。聞き分けがよすぎる。そうでなくても、愛されて然るべきなんだ。子供は」
それを聞いても、はっとするようなことはない。ただ、自ら絞めてきた首が緩んでいくのだけは感じた。
「……私、なんで売られたんですか」
そうすれば、勝手に言葉が出た。内に内に閉じ込めていた言葉が。
「それを聞くのは俺にではないだろう」
寝台が一層深く沈んだ。声はすぐそばから聞こえてくる。
「私、どうでもいいと思われてたんでしょうか」
もっと早くに口に出せばよかった。呼吸が楽になっていくのを感じる。
「俺にはそれに答えられん」
背中に温かさを感じた。人一人分の重さが背中を押す。
「……こんなことを言って、醜くないですか。育ててもらった親を責め立てに行っても」
少しつっかえたが、それも口に出た。親にも聞いたことがないこと。
「当然の権利だ。どれだけ恩があろうと、血が繋がっていようと、自らに対する非道に怒るのは自然。恥ずべきことは何もない」
ふっと笑い声が聞こえた。少し馬鹿にされたような気もする。
「戻ってきたら、きっともう少し図々しくなってますよ、きっと。それでも、捨てないでくれますか?」
次の言葉は、はっきりと言えた。一番心配だったこと。
「お前にはやってもらう仕事がある。それに、
それを聞いて、体がすっと軽くなる。もう立てる。体も寒くない。
「俺に買われてよかったな。他の者ならそんな自由はなかったぞ」
「はい、そこはもう、感謝しています。売られてよかった……なんて思いませんけど。どういうんでしたっけ。不幸中の幸い? というやつですね」
調子が戻ってきたな、と我ながら思った。むしろ、今が人生で一番軽やかな気分かもしれない。
どうしてこんな、良い子供でいなければ行けないと思い込んでいたんだろう。
いつからかも思い出せない。両親を助けるのは当然だと思って生きていた。
家事も教えられるままに覚えて来たし、育ての恩に報いるのは当然だと思っていた。
いや、きっとそれは間違っていないが。自分を縛る鎖にしてしまうのは、間違っていたのかもしれない。
「そういうことだ。あとは、ひとりで行けるか? それとも同伴が必要か?」
「いいえ。大丈夫です。すぐに戻ります。いろいろと、心配をおかけしてすみません」
「全くだ。子供は子供らしく年長者に甘えればいいというのに。いいか、昼までに戻らなければ迎えに行く。さっさとその鎖から抜け出してこい」
最後の一押しを背中に受けながら、私は宿屋を後にする。
すっかり昇りきった暖かい朝日が私の顔を照らす。
私ははじめての反抗期を、父親にぶつけに行くのだ。
***
「子供の相手は疲れるな。戻ってくるまでひと眠り……いや、そんな時間があるかはわからんが」
男は小間使いが飛び出していった部屋で一人つぶやく。
寝台に倒れこむも、けしかけた手前まだ眠るわけにはいかず、朝まで面倒を見た疲労ともうしばらく戦うことになりそうだ。
「最近の子供は物分かりがよすぎる。もっと自然に受け取ればいいものを」
相手した少女は、はっきり言って不憫なほど良い子であろうとしていた。
きっとそうしなければ愛を受け取れないと思っていたのだろうが、どうすればそんな風に育つのか。
少なくとも自分が子供のころは……と考えて、それが何百年前のことだっただろうかということに気が付いた。
当時はまだガディアという国も小さく、各国との熾烈な領土争いを繰り返していて……。
それが落ち着いたのが二百年ほど前だったか、と思い出す。
やはり、平和になると変わってしまうのだろうか。いつだったか、前に拾った少女もそうだった。
「あれはあれで、不思議な女だった。自分のことを捨てた相手など、恨んで憎めばいいものを。どうして……」
口に出すと目の前にはっきり浮かぶのは過去の惨劇。焼け落ちる家屋に轟く悲鳴。血に塗れても男を胸に抱いた少女。
「お前のせいだ。奥地へ向かうための囮とするつもりが、すっかり情が沸いてしまった」
選ぶのなら、少女などにしなければよかった。もしかすると懐かしいころに戻れるかもしれないなどと、情に流されたのが失敗。
しかし、そのおかげで過去失った少女にしてやれなかったことはしてやれたはずだ。
「これでいいか、エルネシア。あの子はお前のようにはならんだろう」
森に潜む悪い魔法使いは、すれ違った過去を思い出して、つぶやいた。
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