5.小間使いは影を見る

 慣れてしまえば早いもので、カザフスドア様に買われて十日が過ぎた。

 この十日間、顔を合わせたのは食事の時と広間を掃除しているとき、あとは茶を入れろと言われた時だけだった。

 と、いうのも。私がこの十日間ずっと二階にある物置と化した部屋の片づけを中心にしていたからだ。

 カザフスドア様はカザフスドア様で基本的には一階の自室にこもりっぱなし。たまに森へ出て薬草類の補充や魔物を狩って肉類の補充をする程度。

 宣言通り、奴隷のような扱いを受けることはなかったが、そもそもいてもいなくてもあまり変わらないような扱いを受けていた。

 別にそれが不満というわけではないが、魔法の件もあるし、もう少し会話をして主人たる人物の人となりを把握したいというのも本音で。


 そんな日々だったため、二階の片づけは非常にはかどることとなった。

 物置と化していた部屋は五部屋。どれも足の踏み場がないくらい物が詰め込まれており、入り口から少しずつ引っ張り出しては廊下で分別を行う作業の繰り返しだった。

 どの部屋も本当に様々なものがあり、もちろん一番多かったのは書物だったけれど、金貨や宝飾品などが何に使うかもわからないガラクタと一緒に床へ転がされていて、たびたび悲鳴を上げることとなった。

 ある程度の量を整頓したら要らないものがどれかを見てもらい、切り開かれている庭へ一時的に退避させることになった。

 最終的にはどの部屋もきれいに物が収まり、人が入って生活できる程度まで奇麗になったが、変わって庭にはこれでもかというほどガラクタの山が積みあがってしまっている。


 あまり主人と話す機会は得られなかったが、こうして二階を片付け終わったことで一つ、わかったことがあった。

 以前からそうなのだろうとは思っていたことではあるけれど、この屋敷には私が来るまで、女性が住んでいたらしい。

 服があったことやペリムの作り方などからおそらくは私と同じようなものがいたのだろうと予想は立てていたものの、前にあると言われていた櫛や女性ものの宝飾品から、小間使いのような扱いというよりも一緒にここで暮らしていた人物がいる、というほうが正しそうだ。

 やはり先日見かけたお墓は、その人のものなのだろうか。

 それにしても、あの墓石の風化具合やここにあるものの仕舞いこまれ方、衣服の意匠からするとここにその人物が住んでいたのはかなり昔のことのように見える。

 

 それ以降に小間使いなどを雇っていたなら、こんなにも各部屋が散らかったままということはないだろうし、そうであればなぜ突然私を買うつもりになったのだろうか。

 気になったものの、直接聞くのも憚られたので、見つけた宝飾品を見せてみたことがあったが、すぐにその表情が曇ってしまったため、このことはカザフスドア様の口から語られるまでは気にしないことにしようと心に誓うこととなった。


*** 


「庭のゴミを捌くついでに王都まで行く。買い物もするからついてこい」


 屋敷へきて十一日目の朝。食事をきれいに食べ終えられたカザフスドア様は外に積みあがったガラクタの山に一瞥くれて、そう告げた。

 なんだかんだ補充しないといけないものがほとんどなかったためにまだ森の外へ出たことはなかった。そのちょうどいい機会でもある、という。

 



「初日はさすがにこれを連れて迎えに行っては怯えられるだけだろうと思って自粛していたが、やはり使えばよかったな。速度が違う。こいつに乗っていけば魔物に襲われることなどなかった」


「ま、まって。待ってくださいいい!! こんなの、こんなの聞いてません! ちゃんとした乗り物はなかったんですか!!」


 なんとも情けない声が出てしまっているが、仕方ない。吹き飛ばされそうになるほど強い風に耐えるため、主人の背を何の遠慮もなくつかみ、目を開けることすら難しい状態なのだ。

 異常な速さで森を走るのは、首が二つに四つ足の獣。いや、正確には魔物らしいが。そんなものに、この鬼のような主人は私を乗せていた。

 餌付けして手なづけたというそれは、どう見ても危険度の高い生物だ。街までこんなものに乗って行って混乱は起きないのだろうか。


「安心しろ。魔法を使えば見た目は誤魔化せる。中へ連れて行こうというわけじゃないんだ。大した問題にはならん」


「そ、そ、そういう問題じゃないでしょう……! 常識的に考えてダメです……! それに怖いですって……! 私が……!」


「街の常識など知らん。俺が暮らしているのは森なのでな」


 滅茶苦茶な理論で論破した主は、一切の休憩を挟まずに魔物を駆り、およそ変色石が四色変わる程度の時間で私がもともと住んでいた王都へとたどり着く。

 普通なら丸一日は掛かる距離を、陽が天頂に昇ったところから落ちきるまでに踏破する魔物の脚力に驚いたが、それ以上に一切休憩を挟まず走らせ続けた主の容赦のなさにも驚いた。

 二頭獣は引いてきた滑車を降ろすと、カザフスドア様から何かをもらって走り去っていった。


「俺が呼んだらまた来い。それまで人を襲ったりするんじゃないぞ」


 ばう、と走り去ったほうから鳴き声が帰ってくる。言葉が通じているのだろうか。

 あまりにも強硬な道のりのせいで呼吸がまだ落ち着かない私は、それを問う余裕すらなかった。


「軟弱だな。五百年も年上の老人よりも疲れていてどうする」

 

「そ……育ち、が……っ。ち、違う……ので……っ! す、すこしやすませて……ください……。無理です……」


 大自然の中で五百年も生活してきた人と一緒にしないでほしい。心の底からそう思った。

 まだ成人もしていない少女に往かせる道のりではない。まさか、今後買い出しの度にこんな目に合うのだろうかと思うと背筋がゾッとする。


「仕方のない奴だ。引車に乗せてやる。どうせ風で押していくつもりだったから、ゆっくり押せば少しくらい落ち着くだろう」


 散々な目に合ったところの私はそれすらも何かの嫌がらせなのでは、と疑ってしまうほどで、僅かに抵抗したものの軽く持ち上げられ、ガラクタの山の一部にされてしまう。

 その少し空いたスペースに主は座り、小さく何かを唱えると柔らかな風が吹き始め、引車がゆっくりゆっくり動き始める。

 先ほどの旅路に比べればゆりかごのような揺れに、柔らかく、花の香りを運んできた風に少し休まるのを感じた。


「これなら文句はないだろう」


「……ありがとう、ございます」


 意外にも、この人は気遣いのできる人だ。これまでの生活でそれはよくわかっている。

 五百年も人里から離れておいて、自分より弱いものの扱い方が分かっている人だ。悪い魔法使いどころか、これでは善い魔法使いではないか。

 自分の想像していた奴隷生活とまるで違う生活を与えた主に、私の旺盛な好奇心が向かうのは自明。聞きたいことはたくさんある。


「……まるで善い魔法使いみたいですね。ご存じですか? 街じゃ悪い魔法使いって伝えられてるんですよ」


「知っている。それは、四百年も昔から話だ。むしろ、お前の世代まで伝わっていることに驚いた」


「いつからか、もご存じなんですね。否定もしないし、心当たりでもあるんですか」


 森の闇の中には悪い魔法使いが住んでいる。

 悪さをすれば魔法使いに食べられてしまうぞ。

 そんなことをする人には見えない、見えないが。


「……そうだな。そう伝えられても仕方がないのかもしれん。とは思っている」


 当の本人が、あまりにも遠いところを見てそう呟くから、きっと嘘ではないのだろうということだけがわかって。

 なぜか、胸に何かが突き刺さったように感じた。

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