4.小間使いは食事を作る


 なぜこんなに晴れているのかわからなかった。

 私の心はこんなにも泣いていて、父の心は壊れてしまったのに。

 燃えていく棺を眺めて、枯れてしまった涙を拭う。

 立ち昇っていく煙が天に届いても、父は地から体を起こすことすら出来なかった。

 私は、せめて手を伸ばしてみたけれど、天にはまるで遠くて、死と生の距離を知る。

 もう誰も、大切な人を喪いたくないと、父は私が守らなくてはいけないと、強く思ったのに。


 父にとって、私は大切でなかったのだろうか。


*** 


差し込む陽の光で目が覚めた。

 やはりその光は暖かくて、あんな夢を見たというのにも関わらず、ある程度すっきりと目を覚ますことが出来た。

 変色石は朝のはじまりを告げる白と黄色の光をぼんやりと放っている。

 カザフスドア様は黄の次の色、緑が青みを差すまでに朝食を用意してほしいと言っていた。ならば、これくらいに起きて用意すれば間違いないだろう。

 二階の中で唯一奇麗に整えられた私の部屋にはモノがまるでない。私物が欲しければ好きなように買えばいいと言われたが、この部屋にいる時間はおそらく短いだろうから元々ある本だけでしばらく問題ないだろう。

 その中で、唯一頼んで用意してもらった水盆で寝癖を確認する。探せば全身を写せるくらいの鏡と呼ばれる便利品があると言っていたが、そんな大きな鏡は高級品だ。使わせてもらうわけにもいかず、水盆をもらうことにした。


 そのまま掬った水で顔を洗い、手で軽く髪を梳かす。櫛も探せばあるとのことだから、今日はこれで我慢だ。

 藍の髪が暴れている箇所がないことを確認し終え、左腕の焼き印が隠れる長い丈の服に着替えれば準備は万端のはず。

 まだ変色石は緑を差し始めた程度。予定通りに進んでいる。

 一階の大広間に降りようとすると、小鳥の囀りに混じって鼾が聞こえてくる、カザフスドア様は大広間の隣にある小部屋で寝起きするそうだ。

 

 広間はそれほど物が置かれていない。もともと食事をするためだけのスペースだったらしく物が少なかったし、最低限は昨日のうちに片付けてしまったからだ。

 鼾の発生源である部屋など怖くて覗くこともできないが、これくらい片付いていれば大きな音を立てる心配はない。飛ぶような足取りで広間奥の竈の前へと向かった。



 それからしばらく、カザフスドア様が起きてきたのはちょうど変色石から黄色がほぼ抜けきり、緑色に変わったころだった。

 大方食事は出来上がったころで、昨日の夜のうちに臭み抜きの薬草を揉みこんでおいた生臭い肉に、水瓶で保管されていた食用の多肉植物の葉をはじめとした植物のサラダの準備を終えていた。

 十六で成人とされるガディアにおいて、女性が伴侶を持つのは大抵二十になるまで。そこに備えた母親の指導で粗方の料理は作れるようになっていたし、家にいたころよりも調理場が広いので調理の手間は大したことがなかった。

 

 最後に、ストックしてあった穀物を砕いた粉を水、その料理名にもなったペリムの葉を絞った汁で煉ったものを焼けば、朝食の完成だ。

 ちょうどペリムを竈の中から取り出そうとしていたところ、寝起きの主から声がかかった。


「随分と精が出るな、小間使いよ。しかしこれほど豪勢な朝食はいつ振りか。張り切り過ぎて後の仕事に差し障らないように頼むぞ」


 昨日は私に対するイメージをよくするために白いローブを着ていたらしいが、今日は真っ黒なローブ。恐らくはこっちが普段着なのだろう。

 髪色と同じローブは細長い体によく似合っていて、なにより森に住む魔法使いらしく見える。


「おはようございます、カザフスドア様。ちょうど出来上がったところですよ。かけて待っていてください。すぐに持っていきますから」


「ああ。もう少し眠っている予定だったが、美味そうな肉の匂いで目が覚めた。少し早いがいただくとしよう」


 黒ローブの魔法使いは目をこすりながら広間中央のテーブルにつく。手元には何らかの研究書らしきものが置かれており、配膳の間こちらに目を向けることもなくそれを読み込んでいた。

 すべて配膳し終えると、その視線は順々に皿へと移り、最後にペリムを見た。


「竈の左の戸に入っていた油は使ったか?」


 じっくりとペリムの表面を見て、その香りを確かめていた主人は私の目を見てそんな問いかけをした。

 当然、そんなものは使っていない。私が作ったのは母親から教わったレシピ通り、基本のもの。


「いいえ、使っていませんが……。いつもはそれを?」


「……ああ、そうだ。伝え忘れていたのは俺の落ち度か。あれを使うのが一般的な作り方と聞いたが、時代の移ろいで変わったのかもしれん。昨日のものよりも香りが落ちるだろう。次からはあれを使ってくれ」


 言われてみれば、確かに。昨日温めなおしてもらったペリムと比べても、随分香りが違う。これも香ばしい匂いがするが、昨日のものはもっと周囲に撒き散らすような香ばしさをしていた。


「す、すみません。私もその差に気が付かなくって……。昔のレシピなんでしょうか。後で油を確認してみますね」


 はじめての食事の用意での失敗に思わず頭を抱えることとなったが、カザフスドア様の機嫌が悪くなったわけではないようだった。それ以上は一切の追及もなく、私が用意した食事を口に運んでいく。


「何をしている。早くテーブルにつけ。別に俺が食べ終わるのを待つ必要などないぞ。食事は大勢でとった方がよいものだろう」


 自分が立ったままなことにも気づかずその様子を眺めていると、水を呷って上を向いた目とばっちり合ってしまう。

 昨日のことがあったから、別に主人と小間使いの関係性を重んじたわけではない。ただ食事が気に入ってもらえているのかどうか、気になっただけ。

 

「その、いかがですか。ぺリムは期待した出来ではないかもしれませんが……。昨日の生臭いお肉は匂い消しをしておきました。いろんな香草や薬草が置いてあったおかげですが……」


 座りながら、一番気にかかっていることを問う。感想は聞いてしまうのが一番早い。ダメならばダメで口に合うものを用意する糧にするだけ。ぺリムの件が既にあったために自然と声色はか細くなってしまった。

 しかし身構えるまでもなかったらしい。黒ローブの主人は本当にわずかだけ微笑んだ。


「美味い。あの肉がこうも化けるとはな。お前を買って正解だった」


 頂けた感想はそれだけ。しかし、それが満点の評価であることに気づくのはまだまだ先のこと。

 ひとまず合格を頂けたことは理解した私は自然と力が抜け、深く椅子の背にもたれかかっていた。

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