3.小間使いは顔を見る


 与えられた部屋から出る。清潔だった部屋と違い、廊下は少し埃っぽく、この階があまり使われてこなかったのだろう、と感じた。

 廊下の先にある階段へ向かう途中、いくつも開いた扉があったことから、この屋敷は相当広いようだ。開いた扉は中を覗いてみたが、たいてい何に使われるか分からないものや書物でいっぱいになっている。立ち入るスペースが見当たらないが、どうやってこの部屋を使っているんだろう。


 あの部屋がきれいだったのでてっきりマメな人かと思ったが、そんなこともないらしい。であれば、この広い屋敷の手入れをするための人手が確かに欲しかったのかもしれない、と言ったような予想をしつつもやけに軋む急な階段を下りていく。

 その最中には獣の頭部などが飾られていて、こういう点を見れば幼いころに聞かされた童謡に登場するような、悪い魔法使いのイメージが近づくように思えた。

 

 最後の一段を下り、苦痛の声を上げた床板にひやりとしつつも半分空いたままになった正面の扉のほうを見れば、与えられた部屋に数倍は大きな広間が姿を見せていた。その大きなテーブルの前にいる主人がこちらに目を向けている。


「意外にも早かったな。空いた部屋へ勝手に入っているのではないかと思ったが。そのあたりは真面目らしい。遠慮することはないぞ。なにせここはお前の家ともなるんだ」


「い、いえ……。足を踏み入れるスペースもなかったので……」


 思わず本音が口から飛び出す。私はあまり建前や嘘が上手な方ではない。


「……。言っただろう、手が足りないからお前を買ったと。しかし、その白は藍の髪によく似あう。素体は悪くないと思っていたが、俺の目に狂いはなかったようだ」


「あ、ありがとうございます。その、この髪は母から継いだ、数少ない私の自慢なので」


 突然の褒め言葉についつい恥が出て目線を逸らしてしまう。腰まで伸びた藍色の髪を左手で掬って流すと、主人は満足そうだった。

 その様子をちらりと見ると目が合って、同年代の少年が漏らすような無邪気な笑いが起こる。

 ここまでで怯え、安心し、疑いを持ち、主人に対する評価を決めかねてきたが、今の笑顔を見る限りは悪い人ではないのかもしれない。私は心がそう揺らぐのを感じていた。

 そもそも元が奴隷である以上、騙す必要がない。平常を取り戻しつつある思考がそれを後押ししていく。


「さて、まずは食事にするか。今すぐお前に何かしろというのも酷だろうから、簡単なものは用意した。が、期待はするな。道中襲ってきた魔物を解体して焼いただけの粗末な食事だ。粉を練って焼いたもの《ぺリム》の用意くらいはあるから、腹は満たされるだろう」


 手招きされるままにテーブルにつくと、目の前には数枚のぺリムが置かれていた。焼き立てではないようだが、温めなおされたそれは香ばしい匂いを周囲にまき散らしている。そういえば、しばらくろくな食事をとっていなかったことに気が付いて、突然活発になった腹の虫のせいでまたしても主人から顔を背けることになってしまう。

 そんな隙に、主人は先ほど告げていた魔物の肉を焼いたものを持ってきていた。いきなり主人に食事の用意をさせてしまうあたり、向いていないのかもしれない。


「安心しろ。俺がこうして世話を焼いてやるのは今回限りだ。さすがに奴隷商に蹴飛ばされた少女にすべて用意させるほどの青い血は流れていない」


 クク、と笑った主人は魔物の肉を私の前に押しやる。本当に焼いただけのようで、軽く味付けされているようだが食べ物のようには見えない。

 そもそも、魔物を食べるという経験自体がほとんどないのだ。旅人や魔物狩りなどを生業にする人は食べることもあるそうだが。ちなみに、青い血は人が魔に転じた存在が流すことから、冷酷な人を指す常套句として使われているらしい。


「大丈夫、です。そもそも、こんな食事毎日は……耐えられませんから。明日からはちゃんとしたものを私が用意します」


 まだ口にもしていないのにこんな食事呼ばわりはさすがにまずかっただろうか。主人の顔から愉快さが抜けていないのを確認して安堵する。


「意欲があって良い小間使いだ。期待しているぞ。目覚めたときには使い物になるかすら不安だったというのに、それが本来の性格か。威勢がいいほうが俺は好みだが」


 言いながら自分の手元に用意した肉にかぶりついた主人はすぐに顔をしかめた。硬くはないようだが、食事をする顔ではない。きっとまずいのだろう。

 覚悟を決めて主人に続くと、どろりとした生臭さが口いっぱいに広がった。見た目通り、まずい。


「はい。ご主人様は優しいようですし、ひとまずは信用してみようと思いまして。……これは本当に食べられたものじゃないですけど」

 

「どうやら小間使いの評価には合格したようでなによりだ。ならばさっさとその食事を片付けろ。終わればお前の仕事を説明する。……ああ、その肉は食べなくてもいいぞ」


 主人はすでに肉の置かれた皿をテーブルの奥に押しやっていた。代わりに、両手にはしっかりとペリムが握られている。

 私は、まだまだ大量に残された生臭い肉を懲りずに口へと運ぶ。逆立ちしてもこれがおいしいとは思えない。


「……せっかくですから、いただきます」


「腹を壊しても知らんぞ」


「そんなもの出さないでください」


 口直しにしたペリムは、謎の肉を差し出した人物が作ったとは思えないほど香ばしく、美味しかった。

 しかし、それでも中和できない不味い肉を食べ切るのに、結局変色石が一色変わるくらいの時間を費やすことになった。


***


 どうやら森の闇を照らしている魔法の光は、時間の経過に合わせて徐々に弱くなっていくようだった。

 この屋敷と私が任される仕事について話を聞いているうちに、外はすっかり暗くなっている。

 言い渡されたことを要約すると、予想していた通り屋敷内の掃除と食事の用意がメインで、それ以外にも街へ必要なものを買い出しに行ったりすることがあるとのことで、森の抜け方を教えてもらった。


 主人……、もといカザフスドア様(主人という呼ばれ方を嫌がっていた)曰く、この屋敷から街までは地図に記した道があるが、それ以外の大部分については把握していないから出歩かないように、とのことだった。

 ある程度の散策を行ってはいるものの、魔物や精霊の類が邪魔をして五百年の時を要してもこの大森林を把握しきることは出来なかったという。


「私も、旧魔法エルダーマジックを覚えたら探索のお手伝いもできるのかな」


 屋敷の外に出て、パタパタと自分が着ることになる衣類をはたきながら、そんなことを考える。

 元々住んでいたガディアの王都に魔物が出ることはあり得ない。高い壁が周囲を覆い、街に出入りするための門は鍛え抜かれた門番が絶えず見張っているからだと、父が言っていたのを思い出す。

 平和な街で育ってものだから、魔物を直接見たことすらない。女ということもあり、武術の類すら学んだこともないものだから、今探索の手伝いなど到底出来ないだろう。

 しかし、カザフスドア様はどうやらこの大森林の奥地を探索したいと考えているらしい。らしいというのは、そうした話の時だけ表情が険しいものになっていたからだ。仕事の話をしていた時の父の顔が、それによく似ていた。何か、使命を帯びた瞳。

 これまで見てきた表情は、どちらかというと人間っぽいものが多く、あの険しい表情が何から来たものなのか、興味がある。

 

 そんなことを考えていると衣類はあらかたはたき終わったようで、数えてみるとそれなりの量があったようだった。

 どれも今の流行からは外れているけれど、可愛らしく、街に着て行っても恥ずかしくはないだろう。

 太陽の光が届かないのでは干しようもなく、どうすればいいのかを聞くために屋敷へ戻ろうとしたとき、腰に下げたカンテラの光が何かを照らす。


 そこには四角い、膝ほどの高さのものがあった。奇麗に加工された石材は、多少風化しているもののよく手入れされていて、手向けられた花が寂しそうに寄り添っている。

 つい最近、同じものに大切な人を預けた記憶がふわりと舞い戻ってきた。

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