2.小間使いは思考を試される
「ご……五百年、ですか。失礼ながら、ご主人様は私と同じ
最もこの世に数が多く、そして未開の地を除いた大部分……つまるところ、平地を支配している種であるために
森へ移り住んだ
もしかして私の見立てが間違っていたのだろうか、それとも何か寿命を延ばす方法を用いているのか。
思わず好奇心が飛び出してしまったのを私の主人となった男は感じ取ったようで、楽し気に笑っている。
「良いぞ。好奇心は我々にとって最も大事なものだ。そして、お前の見立ては間違っていない。俺はお前と同じ
言って、主人は窓の外を指さす。先ほど見た通りで、窓の外は光に溢れ、木々が陽の光を遮っているにも関わらず昼間と同等の明るさが森の中に満ちている。
そういえば、
これだけの明かりを維持し続けているのであれば、莫大な
数秒の思考の間、主人は何も言わないでいた。どちらかというと何を考えているのか興味があるようで、私が外の光をまじまじと見つめているのを察すると、愉快気に笑い始める。
「いいぞ、お前はなかなか察しがいいようだ。まともな教養を受けているのか? まあそれはいいか。
確かに、長命種は
ひとまず頭の中でそう結論付けておくことにした。興味深い話ではあったが、それ以上に一つ気になったのは「個人差」と言った主人の顔に僅かな陰りを見たことだ。
その表情はどこかで見たことがあるような、何かを儚むような、懐かしむようなもので、五百年生きるというこの人物の背景にある何かがきっとそうさせているのだろう。少なくとも、私には出来ない表情だと思ったのだ。
考えていたのはそんなことだったが、主人はまた私が何か与えた知識に対する考察をしていたのだろうと踏んだようで、またしても愉快そうに鼻を鳴らした。
「奴隷ともなればそんな教養は期待していなかったが、種の知識と言い、魔法に対する勘と言い、実に俺好みだ。暇があれば
「わ、私……、そんな待遇でいいんですか……? 仮にも、奴隷なのに」
主人の言葉は、はっきり言ってうれしいものだった。鍛冶や兵法で大きくなった国であるガディアには、魔法を教える施設が極端に少ない。たとえ母親のことがなかったとしても、庶民である私がそんなところへ通うことなどできなかっただろう。
それを、奴隷の身分に落ちた自分が教わることが出来る。こんな話があっていいものなのか。どちらかというと知識をつけるのは好きな方で、本もたくさん読むものだから、目の前にやってきた好機に持ち合わせた好奇心が飛び出しそうになるのを感じた。
同時に、私は奴隷であるという負い目がある。そして、奴隷に対してこんな持ちかけをするこの男は、果たして信用していいのか。先ほどまでは思わず珍しいものを見たことと、治療をしてもらったことで信用を見せてしまったが、実際のところは女の奴隷を買う男なのだ。奴隷であるから何かあっても諦めなければならないだろうが、それでも警戒すべき相手のはず。
そんな意図を汲んでか汲まずか、主人は再び口を開いた。
「俺がお前に求めることを話していなかったな」
それなりに高い金を払ったのだ、と続けた主人の言葉に無意識に体が強張る。
きゅっと目を瞑り、罪状を告げられるような心境のまま私は続きに耳を澄ます。
「お前には、家事や俺の研究の手伝い、街への買い出しなどをしてもらうことになる。何もない時間は好きにしていい。ほしいものがあればくれてやるし、食べたいものがあれば自由に作れ。奴隷だからと言って遠慮をする必要はない。俺は小間使いとしてお前を買ったが、奴隷とするつもりはない。人として最低限の暮らしはしてもらうぞ。差し当たってはその襤褸を何とかしろ。見苦しくて仕方ない」
「……え?」
「何度も言わせるな。俺は手が足りないから手を欲しただけ。しかしこんな森にいては人を連れてくるのも大変だ。その強制力のために奴隷を選んだ。だからお前は世間一般で言う奴隷としての扱いを受けることはないと言ったんだ」
その時の私の表情と言ったら、大層間抜けなものだっただろうと思う。
これまで話を聞いていた知識に関してはそれなりに理解をして、解釈をしてきたはずなのに、今言われたことは全く理解できなかったから、口を開いて目を開いて、もしかしたらもっといろんなものが開いていたかもしれないというほど、衝撃を受けていた。
確かに、さっきも奴隷として扱うつもりはないと言われたが、こうして正式に目的を告げられると困惑を止めることが出来ない。
「なんだ、まさか乱暴されたかったわけでもあるまい。お前は運がよかった。奴隷となったのは運が悪かったかもしれんが、不幸中の幸いという奴だろう。必要なら契約でも交わすか? 俺はお前に乱暴をしないし非道な実験に使ったりもしない。血印程度ならいくらでも押してやろう」
「い、いえ……。その、あの……。私が、想像していたものと、あまりにも違くて、理解が追い付いていないんです」
「そうか。ならばこれが主人としての命令だ。今言ったことを理解しろ。そして、さっさとその襤褸から着替えろ。その寝台の下に、確か子供からお前くらいの身の丈でも着れる服がいくつかある。着替え終わったら部屋を出て、階段を下りた突き当りの部屋にやってくることだ。そこで改めて説明をする」
主人はそれだけ言い残すと、相変わらず唖然とした表情のままの私を視界から外すように扉を閉めて去っていった。
取り残された私はすっかり思考力を失ってしまっていて、主人の言う通りに動くことしか出ない。寝台の下を覗いてみれば、押し込まれた籠を見つけた。
その中には、どれも女性が着るであろう意匠の服がいくつも収まっている。どれもしばらく手入れされていなかったのだろうか、いくつか糸が綻んでいるようだったが、着るには申し分ない。ちょうどよいサイズの真っ白なワンピースを取り出すと、窓が開いているのも気にせず襤褸を体から引きはがしてゆっくりと袖を通す。
あまりにも唐突過ぎる展開に頭がついてきていなかった私は、その時、どうしてこうした服が仕舞われていたのか。そんなことを一切考える余裕もなく、言われた通りに部屋を後にした。
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