立ち喰い無頼 インターナショナル

阿井上夫

立ち喰い無頼 インターナショナル

 賢明な読者諸氏ならば、既にお気づきのことと思う。

 立喰者たちぐいものが繰り出す縦横無尽な『注文技オーダーテク』と、それに対して大将が決める『返し技』の見事さで、その筋では超有名な『立ち喰い蕎麦 大将』は、それゆえ『国際親善試合』と無縁ではない。

 どうやったらインターネットのグルメサイトとは無縁の『大将』にたどり着けるのか、私には皆目見当もつかないものの、彼らははるばる海を越えてこの地までやって来る。

 まさに、食の求道者だるまだいし

 もはや、味の伝道師ざびえる

 世界を股にかける彼らは、幾分かの尊敬の念を込めて『スタンディング・アンド・イーティング・フード・ファイター(略称”SEFF”)』と呼ばれていた。

 彼らもまた、立喰者たちぐいもの共喰者ともぐいものとは全く異なる空気を身に帯びている。それは、

「歴史が連綿と積み重なった果ての、存在の耐えられない重さ」であったり、

「常に機械の如く冷静な、赤い鋼の意思」であったり、

「世界最高であることを証明しつづけなければならない、と思い定めた者のノブレス・オブリージェ」であったり、

 するわけだが、その来訪を察知した時の大将の眉間には必ず深い皺が刻まれた。喩えるとしたら、それは「死を予感しつつ、前のめりに進み続ける古参兵士の風貌」であろう。

 ゆえに、私はその攻防の瞬間を「決死戦カミカゼバトル」と呼んでいた。

 そして、数ある決死戦の中でも『珠玉の名勝負』と言われているものが、三つある。


 *


 まず最初に紹介したいのが、インド人『タージ・マサハール』の襲来である。

 朝、彼は突然、服装はスーツだが頭に見事なターバンを載せた姿で現れた。

 そして、その場にいた立喰者全員が、即座に同じことを考えた。

 ――来る!

 マサハールは、太い眉の下の鋭い眼でメニューを凝視する。

 そして、メニューの一点に視線を定めると、髭の下にある口を開いた。

 全員が固唾を呑む。

 ――これはもう絶対にアレが来る!!

 まるで、その場の期待をガンジス川の流れのようにまとめて受け入れながら、彼は言った。


「天玉蕎麦を葱抜きで」

「あいよ」


 なんのことはない。

 彼はただの日本慣れしたインド人サラリーマンだった。  

 なお、これは決死戦とは無関係である。単にネタとして面白かったので紹介しただけのことだ。


 *


 気を取り直して決死戦の最初のものを紹介したい。

 それは、中華四千年の刺客『王通知ワンツーチー』との勝負である。

 彼は何処から見ても中国人に見える、逆に「今日びそれはないだろう、国際問題にならないのか」と危惧されるほどの見事な人民服姿で現れた。

 そして、一重の切れ長の目で店内をざっと見渡した後、甲高い声で、

「アイヤー、メンヲタノムアルヨー」

 と、それはもう訴訟沙汰になりかねないほどの潔いテンプレートな発音で、オーダーした。

 なお、将来「SEFF」を目指している若人には覚えておいて欲しいことであるが、SEFFバトルには原則として「開催国の現地語」が使用される。

 そのため、日本に来るSEFFも日本語を勉強してから来るが、情報源が日本の漫画やアニメ、しかも割りと古いやつが下敷きになっていることがあるので要注意だ。

「あいよ」

 大将はそう言うと、即座に厨房の下から調味料を取り出した。

 醤油、砂糖、ごま油までは、まあ普通にある。豚挽き肉も、種物用と考えればまだ許容範囲だ。

 しかし、ラー油、鶏がらスープの素、オイスターソース、豆板醤、甜麺醤、芝麻醤(白ねりごま)、粉山椒というのは、普通の立喰蕎麦屋には置いていないに違いない。

 これは、最初からそういうオーダーがあることを想定した返しの大技――通称『お望み通りのやつ』だった。

 大将は手鍋に、水、鶏がらスープの素、豆板醤、オイスターソース、醤油、砂糖、ラー油、芝麻醤を次々に放り込むと、沸騰直前まで煮込む。

 それと同時進行で、熱したフライパンにごま油を入れて豚挽き肉を炒め、途中で甜麺醤と粉山椒を入れて絡める。

 そして、茹でた蕎麦にスープを注ぐと、ねぎと肉味噌を乗せて、

「おまたせ」

 と言って、王に差し出した。麺が蕎麦である以外は、完璧な坦々麺――しかも激辛に違いないやつである。

 王は硬直していた。

 まさか、正攻法で中華料理を再現されるとは思っていなかったに違いない。 


 そして――後で聞いた話だと、彼は広東省出身であった。


 *


 続いて、ロシアの赤い悪魔、『ドラゴ・イワノビッチ』との死闘は外せない。

 彼は旧ソビエト軍の制服という、こちらも国際問題になりかねない恰好でやってきた。そしてカウンターの前に直立不動の姿勢で立つと、

「同志大将、ボルシチで頼む」

 と、ドルフ・ラングレンを演じる大塚明夫風の冷徹そうな声で言った。

「あいよ」

 と、大将は何の衒いも見せずに応じたが、ここで若干の注釈が必要だろう。

 立喰者、共喰者、SEFFに共通する普遍的なルールというものが存在する。それは、

「正体のわからない料理を注文された場合においては、代替物の使用を認められる」

 というものである。

 よく考えて頂きたい。

 日本の立喰蕎麦の店にやってきて、わざわざ「ボルシチ」といったロシアの郷土料理を、しかも全く麺とは無関係なのに注文するのは、本来は最低限の常識すら知らない下衆のやることである。

 加えて、その注文に応じられなかったからと言って店側の敗北を声高に宣言する行為は、むしろ自らの敗北を喧伝するようなものだ。

 無論、この場合「ボルシチ」が出てきても良いし、それが勝負を左右しても問題はないのだが、「SEFF」であれば、常識としてわきまえているものである。

 それゆえ、イワノビッチが繰り出した注文技においても、全員が了解可能な点において注文にあっていれば許容されなければならないし、その条件の下で相手の注文にどれだけ沿えるかが、大将の腕の見せ所である。

 しばらくして大将は、

「お待たせ」

 と言いながら――


 イワノビッチの前にマトリョーシカを七体並べていった。


 一番大きいものは高さ一メートル近くある。

 そして、一番小さなものを開くと、中から極めて小さい丼に入った蕎麦を取り出して、イワノビッチに差し出した。

 イワノビッチはやや困惑した表情でその丼を見つめると、

「スパシーバ」

 と礼(これは注文ではないので、日本語でなくても可)を言って受け取り、それを一気に口の中に放り込む。

 すると、大将は次のマトリョーシカを開けて、一回り大きい丼を取り出しながら、こう言った。

「はいはいどんどん、はいはいどんどん」

 その場にいた立喰者は震撼した。

 彼らはもともと蕎麦好きであるから、その掛け声が何であるのかを即座に理解した。

 岩手県に古くから伝わるフードファイト、その名も「わんこそば」の掛け声である。

 それで私は気がついた。

 これは「わんこそば」のロシアバージョン、マトリョーシカそばに違いない。

 しかし、それだけではロシア風ではあっても、残念ながら本来のレギュレーションである「ボルシチ」を満たしていない。

 そこで、私はさらに気がついてしまった。


 七体のマトリョーシカ。

 その中に収められた七つの丼。

 つまりは――「ボール七杯しち


 イワノビッチもそれを察したのだろう。涙を流しながらその場に倒れこむと、悔しそうに呟いた。

「……ダジャレかよおおおおおおおお」 


 *


 そして最後に紹介するのが、美食の国フランスからやって来た貴公子『ジャン=ピエール・モンサンミッシェル』との最終決戦である。これはまさに死闘と呼ぶに相応しいものだった。

 彼は、どうやって入管をクリアしたのか疑問に思うほどの煌びやかな「王子風」の衣装をまとって、それでも暖簾を器用に右手で抑えつつ店内に入ってくる。

 その後ろから、いかにも従者らしい服装の男、セバスチャン――それにしてもどうして従者はたいていこの名前なのだろうか、業界標準でもあるのだろうか――が前に進み出て、結構な数のナイフとフォークをカウンターの上に並べ始めた。

 それが終わると、モンサンミッシェルは何も言わずに大将を見つめている。

 そして、その場に居合わせた私を含む立喰者全員が戦慄するとともに、確信した。

 とうとう現れたのである――無言という究極の『注文技オーダーテク』を駆使する者が。そして無言であるにもかかわらず、彼の注文は誰の目から見ても明らかだった。


 フルコースである。


 その姿を一瞥した大将は、

「あいよ」

 と言うと準備を始めたが、この時の大将の台詞セリフに若干の緊張が含まれていたように感じたのは、私だけではあるまい。

 ただ、大将はさほど時を置かずに、

「お待たせ」

 と言いながら、モンサンミッシェルの前に器を置いた。その所作は、まるで茶会の席で茶を供する際のような実に優雅なものであった。 

 店内にいた全員の視線が、置かれた器に集中する。ガラス製のそれの中にこぢんまりと納まっていたのは――


 水蕎麦だった。


 それはまるで和の心を体現したかのような、あるいは一切の虚飾を廃し、ただあるがままの姿で相手と対峙する潔さを体現したかのような趣である。

 モンサンミッシェルはその器を見つめると、手元に置かれたスプーンとフォークを取って、あたかもパスタを食べるときのように蕎麦をくるくると巻き取って、口に運んだ。

 そして、頭を斜め上に向けてしばし目を閉じると――踵を返して店を出た。

 セバスチャンはカウンターに置かれていたナイフやフォークを手早く回収すると、その背中を追う。私達はあっけにとられてその姿を見送った。

 この勝負は素人には分かりにくいと思うので、無粋とは思いつつ解釈を加えようと思う。

 ・モンサンミッシェルは、フランス料理風のフルコースを要求した。

 ・それに対して大将は、日本式の『侘びの精神』で応じた。

 ・モンサンミッシェルはその心を理解し、その上で最初の料理に臨んだ。

 ・そして、水蕎麦という究極なまでにシンプルな日本の心の深奥を味わいつくすことが出来なかったために、敗北を認めて立ち去った。

 こういうことである。


 なお、人によっては「あまりにくそまずいので閉口して帰った」と見る向きもあるようだ。


 *


 このように国際色豊かなSEFFすらも寄せ付けない、首都圏”立ち喰い蕎麦屋オーダーランキング”のトップを二十年間守り続けている『立ち喰い蕎麦 大将』であるが、その時私は、


 ――どうやら、最後の瞬間を目撃することになりそうだ。


 と考えていた。

 なぜならその日、とうとう最強最悪の刺客が現れたからである。


 その日、私は珍しく昼に『大将』を訪れていた。

 虫の予感というものだろうか。普段であれば昼ぐらいはまともなものを食べようと思うのだが、何故かその日は『大将』に向かって足が伸びた。

 それでも、多少の後悔をしつつ蕎麦を立ち喰っていると、店の外から、

「「わあぃ、おそばだぁ」」

 という、重なった声が聞こえてきた。その声の後に、母親の手を引いて二人の子供が入ってくる。

 そして、恐らくは小学校の低学年と思われる長男が言った。

「ママー、おそば大好きだよねぇ、じゃあ、たべていこうよぉ」

 それに重ねるように、恐らくは幼稚園の年少さんと思われる次男が、母親の手を引いて言う。

「ぼくもハッピーセットがまんするからぁ」

 そして、明らかに店の雰囲気に尻込みしている母親を挟んだ彼らは、大将に向かって言った。


「とおってもおいしいのをくださぁい」


 沈黙がその場を支配した。

 大将が――あの、伝説の戦いにおいて常に相手の『注文技オーダーテク』を即座に受けた大将が、沈黙している。

 そして、四つのきらきら輝く瞳を前にして腕組みをしながら黙り込んでいる大将の右頬を、大粒の冷や汗が流れ落ちていく。

 それで、私は気がついた。


 ――蕎麦と出汁の不味さに自分でも気がついていたんだったら、さっさとなんとかしたらよかったのに。


( 終わり )

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