時に銃弾は蜜より甘い
牛☆大権現
第1話
海辺の、倉庫が建ち並ぶ船着き場
女は、逃げ惑っていた。
冷たい冬空の下を、マフィア達から。
美しかった赤いトップスは、何度も転ぶうちに、痛々しく破れ、血で滲む肌が露出していた。
履いていたヒールは、とっくに折れて、脱ぎ捨てた。
そこまで逃げなければならない理由は、実のところ、彼女自身にも分からない。
けれども、捕まれば命の保証は無いという事だけは、彼女の友人が証明してくれた。
それを無駄にしたくないから、彼女は走っている。
__だが、その努力も結局は無駄になりそうだ。
遂に、彼女はマフィア達から包囲される。
気丈にも、折れたヒールの端で応戦しようとする彼女だが、そんなものは何の役にもたちはしない。
「ごめんね、さやちゃん……」
女が覚悟を決めた、その時だった。
「君達、ナンパのマナーがなってないぜ」
この場に、似つかわしくない軽い声が聞こえたかと思うと、女を包囲していたマフィアが、何人も吹き飛んだ。
「俺の手本を見ておきな、ちゃんとメモしておくんだぜ? 」
倒れたマフィア達の上を、声の主が踏み越えてくる。
歳は25歳頃、整った顔立ちをしている。
黒いジーンズに、黒のコート。
とても、オシャレとは言いがたいコーデだが、彼にはとても似合っている。
「そこの綺麗なお嬢さん、俺と一緒にお茶でもしない? 」
そして、その男は。
この場に似つかわしくない、古くさいナンパの常套句を口にする。
思考が、一瞬止まっていた彼女だったが、この場で言うべき事はハッキリしていた。
「……た、助けてください! 」
「俺への返事にはなってないよ、お嬢さん。でも、良いぜ。この、ナンパのマナーがなってない礼儀知らず達を、教育してやるよ」
男は、女にコートをかけると、懐から銃を二丁、取り出した。
マフィア達も、武器を構え、飛びかかる。
木刀、鉄パイプ……数多の武器が、男が一歩足を進めただけで、空を切る。
そして、身体が流れたマフィアの一人の腹部に、男は銃を突き付け、撃つ。
消音器によるものか、発射音は殆どなく、しかし人を殺すには充分な威力があった。
そこから先は、男の独壇場だった。
踊るようにマフィアの攻撃を避け、男の攻撃だけが吸い込まれるようにマフィア達に当たる。
「キレイ……」
まるで、バレエを見ているかのようだった。
全てのマフィアを倒した男は、女の手を取り、立ち上がらせる。
「お嬢さん、俺と夜のデートをしよう」
「え? ……キャッ!」
男は、女をお姫様抱っこで保持すると、跳躍し、倉庫の上に飛び乗る。
そして、そのまま何処かへと走り去っていく……
「報告します、捕獲に回した組員は全滅。目標を奪っていったのは、恐らく"バレリーノ"かと」
「……分かった、対策を立てる。お前も一度戻れ」
不穏な影が、二人を狙う。
二人は、そのような事は露とも知らず……
「助けてくれて、ありがとうございました」
「良いって事さ。役得もあったしな」
男は、左手をワキワキと動かしている。
女は、顔を明らめている。
「お嬢さん、名前を教えてくれないかな? 」
「……姫野 綾です」
「ほお、お嬢さん、じゃなくてお姫様だったか! これは失礼をしてしまった!! 」
綾は、顔をあらぬ方に背けてしまった。
「……あなたの、お名前はなんですか? 」
「俺はね、人からはバレリーノって呼ばれてる。本当の名前は、忘れた」
「なんでですか?」
「前者の答えなら、俺の戦闘スタイルから。後者なら、必要が無くなったから、だな」
バレリーノは、バツが悪そうに答える。
「……悲しいです。必要がないからって、ご両親がつけてくれた名前を、忘れちゃうなんて」
「大事な物だからこそ、忘れなきゃいけないんだ。理解して欲しい、とは言わないけどな」
綾は、不満そうな表情ながら、言いたいことを吐き出す代わりに、息を吐き出す。
「……でも、バレリーノって名前は、とても格好良いです。本当に、キレイでしたもん! 」
「お、ありがとうよ。もしかして、俺に惚れてくれたか? 」
綾は、恥ずかしそうに、静かに頷く。
バレリーノは、何故か困ったような顔になった。
「へぇ、本当にか……俺も、一目惚れしたぜ、お姫様」
返答は、出会った時と変わらず、軽い口調だった。
「だから、俺は姫を守る騎士様になる。……辛いかもしれないが、何があったのか教えてくれないかい? 」
綾は、深呼吸をして、話はじめた。
「私達は、ただカラオケをしてただけだったの」
葛木 彩佳(かつらぎ さやか)……さやちゃん、というあだ名で呼んでいた友人と、カラオケからの帰宅途中だったという。
「夜の海は綺麗だからって、一緒に見に行ったら、そこでさやちゃんは怖い人たちに捕まって……」
「ありがとうな、姫様。大体分かった」
「もう!? 」
「あの海岸沿いな、漂流物に見せかけた、麻薬の取引場所なんだ」
綾が、唾を呑み込む音が、聞こえるような気がした。
「たまたま、回収場所の近くに出ちまったんだよ。それを目撃されたと誤解されたから、お姫様の口も封じようとしてるんだ」
「そんな事の為に、さやちゃんは死んだの……? 」
「麻薬ってのは、一袋でも莫大な金額で取引されるからな。売人も正気じゃ無くなるんだ」
バレリーノは、銃を分解して、部品を丁寧に磨いていた。
「運が悪かったんだ、っていっても納得できねぇと思うけどな。俺は、さやちゃんって子には間に合ってやれなかった、ごめんな」
「いえ! バレリーノさんのせいじゃありません!! 」
「……ありがとう、な」
バレリーノは、立ち上がり、扉に向かう。
「ここは見つからねぇと思うが。万が一不穏な気配でもあれば、なるべく遠くに逃げてくれ」
「どこに向かうんですか? 」
「なに、片付け損ねたゴミを掃除しに行くだけさ」
ヒラヒラと手を振って、バレリーノは扉を閉める。
綾は、祈るように、扉に対して両手を合わせていた。
「何故、バレリーノなんて大物が、この程度のヤマに首を突っ込んできた! 」
バンッ、と机が強く叩かれる。
上座に座る、恰幅の良い男は、明らかに興奮していた。
「落ち着いてください、組長。関わって来ちまったもんは、仕方無いです」
それを宥める、副組長らしき男。
身体は、稼業を考えると細く見えるものの、健康的ではあるだろう。
「俺に命令してくだせぇ。どうせ噂ばかり広まったクチだ。大体人間は鉛弾一発撃ち込みゃ死ぬんです、化けの皮剥がしてきやすよ」
組長の背後に立つ、鍛え抜かれた身体をしたボディーガードは、その巨体に見合った大きな銃を携えて、息巻いている。
「まだ待て!大体、奴の居場所も分からないのでは、命令の下しようが……」
廊下から、僅かに銃声が聞こえる。
最初の一発をかわぎりに、銃声は段々その密度を増していく。
「何事だ! 」
副組長が、内線を取り上げ怒鳴る。
「奴です!奴が来まし……」
何かが壊れたような激しい音と共に、内線は途切れた。
「もう、ここに嗅ぎ付けて来たってのか? 噂以上の迅速さだ! 」
「ボス、俺の後ろに隠れてくだせぇ」
怯える組長を、その背に隠すボディーガード。
銃声が収まると、コツ……コツ……と、静かな足音が、組長達のいる会議室に近付いて来た。
ガチャ、と扉が開かれる。
ボディーガードは、銃を扉に向けて、乱射する。
けれども、そこにあるのは、見覚えのある組員の一人__正確には、かつては組員だった肉塊だ。
「こんばんはー、ゴミ掃除に来ましたよっと」
その肉塊を放り捨てて、"バレリーノ"は現れた。
「肉の盾ね、中々狡い奴じゃねぇかよぉ」
ボディーガードがリロードをしようと、弾倉を外した直後。
バレリーノは、懐にいた。
吸い込まれるように、ボディーガードの腹部に突き付けられる銃口だが……
引き金を引く直前、腕を側面から叩かれて、攻撃は失敗に終わる。
「おお、はぇーはぇー。だがな、俺様はもっと速い! 」
ボディーガードは、巨体に見合わぬ俊敏さで、未だリロードをしていない銃身そのものを、打撃武器として振り回す。
嵐のような連撃は、分厚い会議机すら粉砕しながら、尚勢いを増している。
「バレリーノ、てめえのスタイルは知ってるぜ。銃による近接戦闘を可能とした、銃戦闘専門流派ガン=カタ。生憎俺様も同じスタイルなんだよなぁ! 」
バレリーノは、必死の形相でかわしている。
「俺様の特注散弾銃! その重さ故にこれで直接殴っても、絶大な威力を発揮する!! てめえの貧相な肉体と、ニューナンブM60なんて、カビの生えた古くさい豆鉄砲じゃ、手も足も……」
「ペラペラ一方的に喋る奴ぁ、女の子に嫌われるぜ? 」
必死の形相だった筈のバレリーノが、ボディーガードの気付かぬうちに、顎に銃口を押し当てていた。
「バカな、俺の方がパワーもスピードもあったはず! どうやって掻い潜ってきた!! 」
「お前は、ガン=カタの真髄を知らないな? パワーもスピードも、そんなに必要あるかよ」
パシュ、と何かが抜けたような音が会議室に響く。
ボディーガードは、力を失い崩れる。
「鉛弾一発撃ち込みゃ、人は死ぬんだからよ」
「ひ、ヒェッ」
組長が、圧し殺したような悲鳴を上げる。
「さて、後はてめぇらだが……」
「頼む! 女には手を出さん! 許してくれ!! 」
「残念だったな、後で復讐されないよう、念入りに潰しておくのが、俺のやり方なんだ」
その直後に生じた2連発の銃声が、その日組の施設から聞こえた、最後の音だった。
「ただいま、お姫様」
扉を開けると、綾はシチューを作っていた。
「お帰りなさい、バレリーノさん」
「お、良い匂いじゃないの。こりゃ良い嫁さんになれるよ、姫様は」
「やだ、まだ食べてもないのにからかわないでください」
綾は、シチューを器に入れて、バレリーノに渡す。
「冷蔵庫の中の物、勝手に使わせて貰いました。お口に合うかは分かりませんけど」
「お姫様の作ってくれもんだ、例え口に合わなくても、完食すると誓うよ。いただきます」
バレリーノがシチューを口にする。
ゆっくり咀嚼し、飲み込み……涙を、流した。
「そんなに不味かったんですか!? 」
慌てて、シチューを取り上げようとする綾。
それを制したのは、当のバレリーノ本人。
「違う、違うんだよ、お姫様。懐かしい味が、したもんでな……」
バレリーノは、涙を流しながら、シチューを口に運ぶ。
「このシチューはな、昔相棒だった女が作ってくれた料理なんだ。何度再現しようとしても、同じ味に辿り着けなかったのに……」
「……きっとそれは、材料を入れる順番にコツがあるんです」
綾は、話す。
「味を通すために、硬くて煮崩れしにくいものを先に、柔らかいものは後に。ゴミ箱を見て、気付きましたけど。バレリーノさん、材料を全部同時に入れてたんじゃないですか? 」
「そんな事だったのか、全く気が付かなかったよ……」
「やっと、分かりました。その相棒の女性が、バレリーノさんの心に、私も今も強く占められているんですね」
バレリーノは、一度強く息を吐いて、答える。
「フー……そんな事は無いぜ、お姫様。俺は、君に一目惚れした「嘘、なんでしょう? 」」
バレリーノの言葉を、綾は遮る。
「知ってました、私にアプローチをかけてるようで、その実本当の心は伴って無いって」
綾の涙が、床に零れ落ちる。
「私の居場所は、バレリーノさんの心の中には、ありませんよね? だって、そこには、別の人がいる」
「違うよ……」
「いいえ、違いません。もっと言えば、本当に大事な人を作ってしまった時に、"失う事"が怖いんですよね? 」
「違う! 違うんだ!! 」
バレリーノは、声を荒げて立ち上がる。
綾は、驚いて腰を抜かす。
「……すまない、驚かせてしまったね。お姫様」
「良いんですよ、私も知ってしまいましたから。当たり前にあると信じていたものも、突然理不尽に奪われる事も、壊される事もあるって」
バレリーノの頭を、綾は抱き抱える。
「きっと、こんな世界にいたら、そういう事を何度も経験しなきゃいけない。こんなの、トラウマになって当然です」
「……そうだった、遅くなっちまってすまねぇな」
バレリーノは、懐からロケットを取り出した。
「多分だが、これさやちゃんって子の持ち物だろ?身体は回収してやれなかったから、これが唯一の遺物って事になる。お姫様から、ご遺族に返してやってくれ」
綾は、ロケットを開ける。
そこには、綾と彩佳が二人で撮った写真が、嵌め込まれていた。
「う、うわぁぁん!」
綾は、この時初めて、人前で声を上げて鳴いた。
「ありがとうございました」
翌朝、綾はバレリーノにお礼を言った。
「礼には及ばねぇよ、お姫様には随分慰めて貰ったからな」
バレリーノも、最初にあった時の調子に、戻っていたようだった。
「またシチュー、作りに来ますね! 」
「来なくて良いよ。俺みてぇなこっちの世界の奴に関わってたら、命が幾つあっても足りねぇからな」
「…私、一目惚れしちゃいましたから。いつか、振り向かせてみせます! 」
「いつかじゃないよ、俺もお姫様に一目惚れしてるからさ」
温度差のある愛の告白をかわしあい、二人は元の世界に戻っていく。
互いの道が、交わらぬことを
互いの道が、交ることを
正反対の祈りを、胸に秘めて。
時に銃弾は蜜より甘い 牛☆大権現 @gyustar1997
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