勇者ていむ

中邑宗近

第1話 神器と娘と勇者と

 私の村には人心を操る神器なるものがあり、村の者以外に知られることのないよう、代々静かに守ってきていた。村長さんのおうちの裏手から伸びる細い道を登っていくとやがて小さな祠がありそこに祭られているという。

 私はそこに行くことは許されずただあるとだけ聞いていた。

 私達一族は強い武器も持たず、力もなく、でもその神器があるからそれでよいのだと大人たちに、私が子供のころから諭されていた。ほかの村の人達からけなされても虐げられても、いやだったけれど、耐えて耐えて耐えて暮らしてきたのだ。

 今日も隣の村から手伝いを言われて、友人達が連れていかれた。


 私は、ないた。

 その日、親友が連れていかれたから。


 連れていかれる場所はたいてい過酷な労働環境で、怪我をしてもう働けなくなったか、病気をしてボロボロになって帰ってくるか、帰ってこないで、死んだんだと新たな労働力を求めてきた奴に言われるかだ。元気に帰ってくることはなかった。

 

 私ももうすぐ12歳になろうとしていて、その年になると大人と同じ扱いをされるから、特別な理由がない限りはやがていつかは労働力としてどこかに連れていかれる。

 いやだ、と言っても殴られて引きずられていくだけだから、みんな11歳になるころには残りの日を指折り数えて憂鬱になる。

 逃げ出す子もいたけれど、私達は力が弱く、戦うすべもほとんどなくて、長く生きていけず、どこかで誰が死んだと風の便りで聞く。


 だから私はその日が来るまでを享楽的に過ごそうと思った。


 その日は澄み渡る青空が広がっていて、木々の枝葉の隙間からきらきらと太陽の光が降り注いでいた。暖かく、森の広い場所で原っぱに横になった。大の字になって両手両足を伸ばしてまるで地面と一体化するように陽の光を浴びた。やがて体中が太陽の匂いになった。

 そのうちあまりの気持ちよさにうとうととしてくる。

 家の手伝いをしろと怒る人は誰もいない。

 父は労働力として弟が生まれたころに連れていかれた。

 母一人で私や弟、兄姉たちを育てて、体を壊して床についている。

 姉が一人残され、それ以外の兄姉は連れていかれてもういない。残った姉は連れていかれない。村長さんの息子さんと結婚が決まっているから。だから負い目があるんだろう、姉は連れていかれる運命の私に対して何も言わない。


 鳥のさえずりが寝物語のように眠気を誘い、私の瞼はゆっくりと閉じていった。

 夢では家族が全員揃っていて、楽しく食卓を囲んでいた。見も知らぬ新しい妹や弟もいて、姉や兄には子供が生まれて大家族で、それはそれは楽しい夢だった。



 そしてしばらくして、何かの音が聞こえ私の意識は眠りの底から浮上した。

 視界がはっきりしない目元をぬぐうとちょっと手が濡れた。

 村のほうはまだ夕餉の時間でもないのに煙が上がっていて、森全体に焦げ臭い匂いが漂っていた。

 はっとして耳を澄ますと、何かの音がはっきりとした。鍬を新しく作るときのような甲高い金属の音、兄弟たちが激しくけんかをした時のような、泣き叫ぶような音。

 似たような音が村のほうから聞こえるけれど、なぜか猛烈な不安が体を上ってくる。胸の奥で何かが早く打って、呼吸も苦しくなってくる。

 大人たちが昔、村が襲われるとどうなるのかと教えてくれたことを思い出した。家に火をつけ、村人たちを殺し、殺さなかった村人は連れていかれたりする。弱いからあまり目はつけられないようにしていればそんなことはないはずと大人たちは言っていたけれど、嘘だったのだろうか。

 私はしずかに身を起こす。身を低くし草っぱらに身を隠しながら村へとできうる限り急ぐと、大人たちが教えてくれた風景が広がっていた。

 木でできた小さな家は燃やされ、崩され、赤い火と黒い煙が巻き付いていた。隣のおばさんが倒れ伏し、背中には矢が刺さっていた。八百屋のおじさんは仰向けに倒れ白目をむき、だらんと舌が口の端からこぼれていた。生意気な私をいじめてくるいじめっこは外から着た銀色の服をきた人につかみ上げられ、ボールのように放り投げられた。

 

 お姉ちゃんは、弟は、どこ?

 

 私は茂みに隠れながら家のほうへと移動した。

 私の家は、姉が村長さんの家に嫁ぐと決まって、村長さんの家のすぐ近くに新たに建てられていた。そうすれば姉は母の面倒もみれるし、村長さんちも手伝えるからだ。

「私が、お願いしたの。リリィ、貴女たちと一緒に長くいられるように」

 姉が暖炉の前で洗濯物をたたみながらほほ笑んでいたのが昨日のことのようだった。だんだんと顔色が悪くなったり、指先があかぎれて痛そうだったのに私はその言葉を真に受けて見て見ぬふりをしたのだ。

 村長さんの家は村一番に大きくて少し離れていてもよく見える。

 私の家は小さくて、でもよくわかった。

 赤く火の塊のようになっていて、すぐわきで姉が銀色の洋服をきた男たちに犯されていた。たくし上げられたスカートから見える姉の白い太ももがあらわになり、もがいていた。乱暴に破かれた上着からは白い柔らかそうな胸が、男たちの汚い手で乱暴に鷲掴まれていた。何度も男たちは腰を突き上げ、姉の体がビクンと跳ねた。

「こいつ、イきやがった」

「すげえな、さすが色情魔」

「女子供は殺すなよ。俺達が楽しめなくなるからよ」

 男たちの下卑た笑い声が耳をたたくように響いた。


「……っ!」

 私は口元を手でふさぎ、嗚咽をこらえるのに必死だった。大きく見開いた目からは涙がこぼれ頬を濡らす。

 ぱちぱちと家を焼く音が聞こえ、やがてドウッという音とともに小さい我が家は崩れた。


「お前達そこで何してんだ」

「や、べ。勇者様だ」

 男達は新たにやってきた男の前に直立不動になった。じゃらりと銀の服がなった。男達はみなおそろいの銀の服を着ていたが、新たにやってきた男は皮の胸当てをして、腰に長い剣を帯び、ほかの人とは違うようだった。

 勇者、とは妖魔を狩る人の中で一番強いとされていて、王様でも頭が上がらないのだと聞いた。

 男達が姉から興味を離れた今の一瞬に姉を助けたかったけれど、姉はぴくりとも動かなかった。

「俺達の目的はこの村にある神器を頂戴するだけだ。こんなひどい行いをしていいわけがない」

「いやあしかし……勇者殿も、抱けばわかりますよ。天国のようだ」

「貴様っ」

 言い訳をする男を勇者、と呼ばれた男は殴り倒した。殴られた男はヒィヒィと情けない声をだして殴られた頬を手で押さえてうずくまった。男は本気で怒っているようだった。

「神器を探せ。今度こんな狼藉をしてみろ、俺が叩ききってやる」

 勇者の声に男たちは跳ね上がって、散らばっていった。

 私はその様子に目を奪われ、いつのまにか草葉の陰から頭が覗いていた。

「君は……」

 勇者と呼ばれた男が確かに私を見た。

 青い透き通るような、青空のような瞳が私を見た。

 私は、はっとして逃げるように駆け出した。

「ちょ、待って」

 背中に勇者の声が投げられる。でも立ち止まるわけにはいかなかった。


 神器。

 そう神器だ。


 私は森から出ない範囲で村長さんの家の裏手に回り、細い道の脇を駆け上がっていく。まだ村長さんの家を探しているのか、外から人達は裏手には回っていなかった。

 私の足は村一番に早くて、追いかけっこをしたら誰も追いつかない。

 祠まで上がっていって神器をとって、それを壊すか捨ててしまえばあいつらはきっと口惜しがるだろう。私が神器を持って逃げてしまえばもっと口惜しがるかもしれない。

 本当は外から襲ってきた男達を全員血祭りにあげてやりたかった。でも私達には、私には戦うすべがなく力がなく弱かった。

 一矢を報うしか、なかった。

 足元に生い茂る草が遠慮なく私のすねを傷つける。木の根に足をとられて何度か転び、掌はやがて擦り傷で赤く血で染まっていた。膝小僧も擦りむいて痛かったが、泣いて慰めてくれる姉はいない。

 優しかった。

 姉は優しかった。

 私は自分の運命を呪い、姉がその運命から逃れたのが妬ましかった。あんなにやせていって、肌もがさがさでご飯を食べる時間さえあまりなかったくらい、村長さんちでこき使われていたのに。私は姉が嫌いで、手伝いもしなかった。


 私はおろかだった。


 せめてもっと前に気づいて、ごめんって言えればよかった。


 いったん村のほうを振り返った。

 今だ村は赤く燃えていて、村長さんの家も火に包まれていった。

 もう時間はなかった。

 私は再び駆け出し、やがて祠へと着いた。ここの空気はまだ冷たく煙の臭いもわずかだった。祠の中に入り、私はそこにある白く淡く光る腕輪を手に取った。これが神器、だろうか。神器は薄く軽く落としたら壊れそうだった。

 私は擦り傷だらけの手でそれを持ち上げた。

 一瞬だけ神器は強く光り、そしてやがて光を失った。

 私は神器を握ったまま祠を出て——。


「それが神器、なのか」

 すぐ目の前に勇者と呼ばれる男が立っていた。

「君の姿をみて、逃げろって言おうと思って追いかけたんだ」

 勇者は右手を私のほうに差し出す。勇者は少しだけ困ったような笑みを浮かべ私を見ていた。

「大丈夫、君にひどいことはしない。傷つけることはしない。だからさあ」

 この手を取れと言っているようだった。

 でも勇者は私を見て最初に神器と言ったのだ。

 どんなに優しい顔をしてもどんなに正しいふるまいをなそうとしても、神器を奪いにこの村に来たのは変わらない。ゲスな男達と何も変わらない。

「いやよ、来ないで」

 私は後ずさり祠の中へと戻っていく。勇者は手を差し出したまま私を追うように中に入ってきた。

「来ないで」

 私の荒い息が、祠の中で響く。祠の中に逃げてもどうしようもないのに、私は後ろに下がるしかなかった。後ろに下がって、下がって。行き止まりに背中がつくころ、勇者の手が私の手首をとらえた。勇者のきれいな透き通るような青がただただ怖かった。

 引き寄せるように、手首をとらえた手に力が入る。

 私の脳裏に、殺されたおばさんやおじさんや、犯された姉の姿がよぎる。

 私の中の血が一気に恐怖で沸き立った。



「いやあああああああああ」

 瞬間、まばゆい光が爆発して私と勇者を飲みこんだ。


 


 ——契約は成された。汝の魂が朽ちるときまで——。




 どこかで小さく聞こえた気がしたが、それが何を意味するのか、その時の私にはわからなかった。私の意識は、破裂した白に飲み込まれていった。




 妖魔の村を襲った人間の軍は、目的の神器とやらを手に入れることなく撤退していった。同行していた勇者は、軍の略奪行為に嫌気がさして、離れていったと噂され、軍の評判は堕ちていった。


 そして一年過ぎたころ。

 年の離れた兄妹の冒険者二人組が、軍の評判を落とした国からだいぶ離れた北の街道を歩いていた。

「今度はここの村の妖魔を退治して」

 少女は地図を広げ、あるポイントを指さした。街道から少し離れた森の中だ。ここにはゴブリンが巣を作っているとされていた。

「お前なあ、同胞だろ、いいのかよ」

「いいのよ、私達をさんざんいじめた奴らだもの、やるの? やらないの?」

「わーた、わーたよ、リリィの言う通りのするよ」

 兄は妹の要望にげんなりした顔を浮かべ肩を落とした。


 リリィと呼ばれた妹の細い腕には乳白色の腕輪がはまっていて、げんなりしている兄のほうは勇者と呼ばれた男によく似ていた。


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