第15話 わたしは、〝わたし〟としてベイアトリスに参ります
6月6日 1745時 【カシハラ/艦橋 ⇔ アスグラム/第一艦橋 〈通話回線〉】
航宙軍の練習巡航艦〈カシハラ〉の艦橋──。
航宙軍の士官候補生准尉ツナミ・タカユキ艦長代理らが見守るメインスクリーンの中。そこに映る通話画像から
艦橋内の候補生らに動揺が走る。
「……艦長!」
留守の間に艦長代理を任されることになっていたツナミ候補生は、素早く航宙軍式の敬礼──右上腕を斜め前45度に出して肘を張らない挙手の敬礼──でゴジュウキ1佐を振り仰いだ。
ゴジュウキ1佐はやはり航宙軍式に答礼すると、何度か小さく頷いた。
『皆無事だな? また貴様らの顔を見れてほっとしたぞ──』
そう言って笑う顔を、これが
ゴジュウキ1佐はそんなツナミらをモニタ越しに見遣り、静かに続けた。
『
艦橋内のあちこちから小さく溜息が漏れ聞こえてくる。それは当然の、予想された指示であった。ツナミもまた、それを待っていた節もある……。
そのツナミが目線だけを小さく振ると、視界の中のミシマの
ツナミの脳裏を、ミュローン皇女エリン・エストリスセンの寄る辺ない顔が
航宙軍人は、その
ツナミは軍歴らしい軍歴が始まりもしないうちに
コトミはその目線を受け留めると、そこに浮かぶ何かしらの決意を読み取ったのか、慎重な面差しながら小さく肯いてくれた
それを待ってツナミは真っ直ぐに1佐に向き直って言った。
「申し訳ありませんが、それはできかねます──」
スクリーンの中で1佐がわずかに身じろぎした。視界の端ではミシマがこちらを向く。ツナミは意を決して言った。
「──本艦は既に航宙軍の指揮を離れました」
*
「どういうことだ?」
「…………」
バールケは小さく首を振り、スクリーンに映る航宙軍練習艦の艦長代理を務める士官候補生の言葉を注視する。
『──本艦は現在、ベイアトリス王家の私有艦艇であります』
候補生の言うことの意味を正確に理解するのに数秒掛かった。やがて一つの可能性に思い当たったバールケ特務中佐は呟く様に言った。
「──…〝勅任〟したのか……」
どうやら
──ではやはりエリン皇女殿下はあの
*
言ってしまってからツナミは、敢えて艦橋内の様子は見ないように努めていた。
意見集約も何もなく全くの独断である。彼自身、その決断の根拠が甚だ薄弱なことを知っていた。艦橋内で異なる意見が噴出する
それにこの時点でエリン殿下からハッキリした言質を得ていない。殿下の与り知らぬ所でこのような事を──士官候補生23名、その他収容者22名共々の命運を決してしまう言動を口に──したのだから、これは越権どころではない。
何れにせよ重圧を感じなければならないハズだったが、不思議と気負いなく事を進める自分がいるのを理解していた。
『それはいったい、どういうことか?』 スクリーンからゴジュウキ1佐が思案顔を向けつつ訊いてきた。が、詰問するということをしない。彼は本当に思案する顔を向けてきた。
「──本艦は本日、ベイアトリス王室皇女殿下エリン・エストリスセンをお迎えし、その勅命を受けました」 ツナミはできる限り簡潔に言った。「……ですので、現在〈カシハラ〉とその乗組員は殿下の元、エストリスセンの私有、ということであります」
唖然としている者の方が多い中、フリーのジャーナリストを自認するマシュー・バートレットは口元を綻ばしていた。もう一人、ミシマもまた〝次席〟の腹の座り様に、内心で目を見張っている。
*
一方、ミュローンの側──
士官候補生の言うことが本当であるなら、期せずして皇女殿下の在所こそ確認することができたわけだが、よりにもよって航宙軍艦に逃げ込まれ、
そして『国軍』のみならず
バールケはそこまで考えを進めたものの、次に打つ
そんなバールケの様子を感じ取ったアルセ大佐はカメラを切り替えさせると、ゴジュウキ航宙軍1佐から通話を引き継いだ。
「この期に及んでは詭弁かね?」 スクリーンの先の候補生──ツナミ艦長代理を見据えて言う。「──卿の言だが、その真偽をどう確認すればいい?」
そのアルセの冷静な物言いに、バールケには候補生が怯んだように見えた。そしてもう一つの仮説に思いが及んだ。
──勅任していない? すると殿下は航宙軍と結んでいないのか……?
だがバールケのその疑念は、通話越しの凛とした声音に氷解することとなった──。
*
──ゴジュウキに替わり再びスクリーンに立ったミュローン大佐が言った。
『この期に及んでは詭弁かね? ──卿の言だが、その真偽をどう確認すればいい?』
帝国軍人のその冷静な物言いに、ツナミは確かに怯んでしまった。
先刻のエリン皇女殿下の、あの醒めた瞳が思い浮かばれた。頼みのアマハ姐さんも、あの後何も言って来ていなかった……。
この状況下では刻限いっぱいの2000時まで時間を稼ぐことしかできない──ミュローンは刻限まで実力行使はしないだろうとの確信は何故か揺らいでいなかった…──が、それまでにエリン殿下が決断をしないのであれば、このようなことには何の意味もなくなってしまう。
もっとも、それが道理としては正しいのかも知れないが……。
そんなツナミが背中に冷たい汗をかいて
「──詭弁ではありません」
ツナミらが声の方を向くと、艦橋へと長身のすらりとしたアマハ准尉を従えて入室するエリン・エストリスセンの姿があった。誰が用意させたのか、航宙軍の礼装軍服によく似たスーツを身に纏っている。
「確かにツナミ艦長にはわたしの代理人としてこの
その姿はなるほど凛々しく、ミュローンとは男女を問わず生来の軍人である、との風評に一理を感じさせるに充分だった。その場にいた全員が自然と姿勢を正して迎えるほどに……。
「──ツナミ艦長。ご苦労でした」
エリンは敬礼をして場を譲ったツナミに代わると、臆することなく通話の矢面に立った。スクリーンの先では
『殿下──』 アルセ大佐はゆっくり右手を下ろしつつ慎重な眼差しで皇女を見遣る。『先ずは無事で在らせられ、何よりであります』
そんな大佐に、エリンは内心で警戒しつつも礼節として頷いて返した。
スクリーンのアルセもまた、エリンの澄んだ瞳を警戒するように口を開く。
『航宙軍には大きな借りを作ることになりましたが──』 その後はもう単刀直入な物言いであった。『ベイアトリスへの帰還は、我ら「国軍」が担うのが正道と存じます』
エリンは慎重に言葉を選ぶようにして大佐を見遣る。
「確かにそれは正道でしょうが…… 断ります」
そしてキッパリとそう言った。アルセ大佐は目で理由を問うように殿下の顔を凝視した。
「信用できません」 アルセの問い掛けの視線に、エリンはもう一度はっきりとした口調で言う。
アルセは簡潔に問い返した。
『
「はい」 通話映像越しの表情のない帝国軍人にエリンは静かに言う。「──
そんな皇女殿下に、大佐は目を細め重ねて訊いた。
『
エリンは息を吸うと、真っ直ぐ帝国軍人の目を見直して言った。
「国の道理はわかりません ──ですが人としての道理はわかります…… わたしは、〝わたし〟としてベイアトリスに参ります」
『……では〝押し通る〟と?』
「──…はい」
暫しの沈黙があった。
皆が固唾を飲むような間を置いて、
『ミュローンはそれは〝是〟とできません。殿下』 右手を上げ敬礼した。『──〝叛乱艦〟を排除し、殿下を救出奉ります』
エリンも小さく顎を引いた。〝
ルールは簡単である。
だが
そしてこの〝
だが
そんな〝大博打〟である。
6月6日 1755時 【
「あれこそが
通話回線が切られスクリーンの映像が掻き消えた第一艦橋で、
「──そして我らもまたミュローン……ということですか?」
アルセの顔に浮かぶ表情を見て取っての言だった。
エリン・エストリスセンが不退転の決意を示したように、
この宇宙には退いてはならぬことが確かにあり、それに直面したときに初めてミュローンはミュローンたるを知るという、その旧い
情報本部に属するバールケにとり、軍事ロマンチシズムは〝百害あれども一利なし〟である。常ならば冷笑の一つも浮かべて済ますところだったが、アルセとエリン・エストリスセンとの遣り取りに、バールケはそれができないでいた。
「──2000時までは待つ。退艦の希望者についても引き続き受入れの用意のあることを伝えろ」
そんなバールケに構わず第三艦橋の副長に指示を伝えると、アルセはゴジュウキ1佐に目礼し第一艦橋を後にした。
6月6日 1755時 【航宙軍艦カシハラ/艦橋】
一方、〈カシハラ〉の艦橋では通話を終えたエリンが小さく吐息を漏らしている。
そんな皇女に恐々とした視線を遣っていたツナミであったが、遂に彼女に視線を向けられると覚悟を決めて向き直った。
「艦長……
ツナミは背筋を伸ばして不動の姿勢となる。コトミは〝見て見ぬふり〟をしてくれた。
傍らのアマハがやれやれと腰に手を充てツナミを見遣る中、エリンは続けた。
「──わたしも、今後はこのようなことにならぬ様、努めます」
そう言ってエリンは、心苦しい
ミシマが──内心はどうであったかはともかく…──涼しい
「ミシマ准尉── 貴方にはアマハ准尉と共にわたしの私的軍事顧問を命じます。以後、ツナミ艦長と共にわたしを助けなさい」
その言葉にミシマは、まったく臆せずに完璧な所作で敬礼してみせてその命を受けたのだった。
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