第16話 キミの能力が僕には必要だ
78期卒の士官候補生23名中、離艦を希望する者は5名であった。18名がエリン皇女と共に引き続いての乗艦を望んだ
同時に、艦内に収容していた避難民ら22名に対しても状況の説明と退艦の勧告とが行われている。こちらの方は民間人17名の
シング=ポラス邦議会議員のフレデリック・クレークとその主治医であるラシッド・シラ、フリージャーナリストのマシュー・バートレットは、それぞれの職業意識から残留を希望したと伝えられる。
クレーク議員は何人かいた取り巻きを下艦させると、自身は政治的な人脈と経験の必要性を説いて残留を迫った。その本心が自身の政治的な
シラは元星系同盟航宙軍の艦医という軍歴を持つ身であり、衛生科の機能を失っていた〈カシハラ〉の状況から残留を申し出たと言われる。
また学究都市テルマセクでパン職人として家庭料理を振舞っていたビルギット夫妻もまた、同道を申し出ている。彼らも若かりしときに航宙船に乗っていた経歴を持つ。──〈カシハラ〉は主計科の機能も半ば以上失っていた。
バートレットはこの
民間人のうちの残りの2人──クリュセ自治惑星政府首相の娘、メイリー・ジェンキンスとその友人で
民間人とは別に、軍属として〈カシハラ〉に収容されていた航宙軍技官職の3名はいずれも〈カシハラ〉への残留を希望している。正規乗組の機関科員が不在の中、彼らが事実上の機関科エンジニアを担うこととなった。
6月6日 1850時 【航宙軍艦カシハラ/艦長公室】
つい昨日までゴジュウキ1佐が使用していた室内で、艦長となったツナミは彼が航宙長に指名したハヤミ・イツキと共に離艦を希望する候補生5人が退室するのを見送った。
彼らには退艦の勧告に応じた民間人の引率を引き受けてもらった。
「23人中18人──」 公室の扉が閉じると、部屋に残る面々にイツキは言った。「案外に残ったな」
「……ああ」 そんなイツキに、ツナミは窓外を見遣りながら応える。
イツキはツナミの横顔に言った。
「いまさら後悔なんてしてないだろうな……?」
その問いに、ツナミは視線を戻した。
「いや…… そう見えたか?」
ふんと笑って訊き返すイツキ。「──じゃなんで浮かない
しばらくイツキの顔を見ていたツナミだったが、結局、正直に答えた。
「……あいつらの
航宙軍も組織である以上、内部の人間は経歴の積み重ねで評価を受ける。ツナミら候補生は今回の練習航宙を終えた後に、自らの思い描いた将来に向かって各々の
ツナミはその航宙軍人としての経歴を捨てベイアトリスの勅任艦長として〈カシハラ〉を預かることを選んだわけだが、そのことによって〈カシハラ〉乗組みの士官候補生たちの経歴も期せずして塗り替えてしまったことになる。彼らの将来に責任を負うことなどできようはずもないが、それでも責任を感じないわけはない。
「さてな。状況の全てを見通すことができて、決断ができるわけじゃないからな……」 そんなツナミに、イツキは必要以上には立ち入らなかった。「──でも、決めるのは結局自分だろ? それに俺には他人の選択をどうこう考えてやる余裕なんてないしな……」
サバサバとした
「貴様はなんで残った?」
「俺? そうだな……」 わざとらしく握った拳を顎に充てながらイツキは席を立った。「やっぱお前とミシマが残ったからじゃないか」
言って退室しようと扉へと向かうイツキに、ツナミが重ねて訊く。
「──俺とミシマ……?」
「面白いんだよ、お前ら二人」 イツキは振り向くとニヤリと言った。「──航宙科は任せろ。〝お姫さん〟と
言って公室を出て行ったイツキのこの時の後ろ姿は、当に〝肩で風を切る〟というふうだった。
6月6日 1855時 【航宙軍艦カシハラ/艦橋】
エリン皇女から私的な軍事顧問として仕えることを求められたミシマは、ツナミからも勅任艦長の権限で船務長兼副長に任命されており、その定位置である艦橋で発進準備の指揮を執っていた。ツナミの人使いの荒さが遺憾なく発揮されている、というわけであった。
そのミシマの指揮する艦橋に、
「副長── 艦内システムの再
敬礼もそこそこにそう報告したマシバに、チェックリストの束から顔を上げたミシマは主管制卓のシンジョウ・コトミと安堵の目線を交わした。最も懸念していたシステムの安全の確認がなされ、船務科の幹部である二人の表情も綻ぶ。
「どうやら間に合ったか ──なるほど…… 優秀なようだね、彼女」
ミシマはマシバの不精を咎めるでもなく、不穏当な経緯とは言え折よく助力を得られた民間人の凄腕ハッカーのことを言った。──途端、わずかにマシバの表情が曇る。
「……ええ。とても優秀ですよ」
ミシマはそんなマシバに気付いたが、敢えて気付いていないふうを装って言った。
「珍しいな。マシバが手放しで褒めるなんて」
「…………」 マシバは目線を落とした。「──実際、ホントに優秀なんですよ」
(ん──?) 普段の彼からは似つかわしくない表情のマシバに、ミシマが怪訝な視線を向ける。マシバはそのミシマの怪訝な視線に気付いた訳ではなく、ただ事実を告げた。
「……正直、僕一人じゃ無理でした」
実際、膨大な作業の内の相当量を彼女──
ミシマは努めて簡潔に、重ねて訊いた。
「艦の運用に必要なのか?」
「必要、と、思います……」
今後、戦闘航宙ともなれば膨大な演算処理が必要となる局面もあるだろう。マシバには一人でそんな状況の全てを支え切る自信はなかった。それを察したミシマは、ただ冷静に言った。
「なら、残ってもらうしかないな」
「はい……」
それでマシバは、今度こそ正しく敬礼をして艦橋を退出していった。ミシマは、こういう物言いをする自分に内心で溜息を吐いている。
6月6日 1900時 【航宙軍艦カシハラ/
星系同盟航宙軍の士官を目指していたはずのミナミハラ・ヨウは、いつの間にかその道が閉ざされてしまったらしいことを理解しても特にどうということもなかった。実感が湧かないのだ。
だから彼は残留を選択した。それは
変わり映えしない新しい艦内配置に従っての慌ただしい発進準備の中、作業の合い間に時間を見つけたミナミハラが
その人影は
「どうしましたか? あなたは退艦者の引率で忙しいかと思ってましたが」
ミナミハラにそう訊かれて、メイリー・ジェンキンスは
二人で座った丸テーブルから
「皆さん、そう思うみたいですね……」 溜息を吐いて横目を向けてくる横顔。「──ミナミハラさんも、
「行きますよ ──男ってのは、お姫様の
ミナミハラはそうお道化たふうに言ってみた。全くの嘘でもないが、当然、現実はそんな単純なものではなく、だからといってその単純でない現実を正直に話すのも面倒だということもあって、そうミナミハラは言ったのだった。
ただ言われた方のメイリーは真に受けた。
「エリン……エストリスセン…──皇女殿下……」
あの艦橋で、
メイリーのその様子を見て、ミナミハラはわざとらしく思案顔を浮かべてみせた。
「じゃあ、あなたが
流石にそれには、メイリーは気後れしたふうに言い淀んでしまう。
「わ、私は…… あんなふうには、とても……」
「誰もあんな貴婦人と比べてなんてないよ」
そんなメイリーに、ミナミハラは目元だけ笑みを浮かべて言った。
それでミナミハラに揶揄われたことに気付いたメイリーは、勢いよく席を蹴った。その彼女の二の腕をミナミハラは掴んで言う。
「それ── その目とその
「…………」
そんなミナミハラに、いよいよどう応えてよいかわからなくなってしまったメイリーは、黙って士官次室を後にした。
6月6日 2000時 【
「──どうだ動きは?」
装甲艦〈アスグラム〉の第一艦橋。そのメインスクリーンの片隅に表示された銀河標準時の標示が〝20:00〟を告げたとき、
同じスクリーンに映る航宙軍の
が、いまになって目に見えぬ変化があったようだ。
「
情報担当士官の報告にアルセは眉を寄せた。かつてのそのコードは『
──よくもまあ、こんな旧いコードをデータベースの中から引っ張り出してきたものだ。
『──艦長……』 運航支援室から観測士が
メインスクリーンに小窓が
『──〝旧ベイアトリス軍艦旗〟と〝エリン第4皇女旗〟です』
流石にこれにはアルセも閉口した。航宙艦への軍艦旗の掲揚など、この数世紀、式典等を除けば忘れ去られた慣習である。
「なるほど…… いっそ徹底してますな」
情報本部付きの特務中佐であるメルヒオア・バールケが言った。彼にしては素直な感想を口にしたことがおかしかった。
「航宙軍艦──いえ、ベイアトリス軍航宙艦より呼びかけあり。レーザー通信による映像通話回線です」
「繋げ」
「回線、開きます」
程なくメインスクリーンに艦長代理だった航宙軍士官候補生が映し出された。──確かツナミとかいったか。軍服は航宙軍のもののままだったが、いまは階級章を外している。
『〝
「──
アルセが答礼し頷いて返すと、スクリーンの中の新任の艦長は右手を下ろし、緊張した面差しで続けた。
『退艦者の受入れを感謝します、大佐』
「この件での謝意は無用だ」 そう素っ気のない返答をアルセはした。「──そちらの段取りは
スクリーンの中で青年艦長は安堵したふうであった。実際、航宙軍士官候補5名が引率した10名の民間人の
「……さて、最後に訊こう。他に退艦者は?」
退艦者の
『ありません ──士官候補生5名、民間人10名。それで全員です』
「……了解した」 内心で息を吐く。アルセにはもうこれ以上言うことはなかった。
スクリーンの中で青年艦長が再び敬礼をした。
『本艦はこれよりエリン殿下を奉じ
「うむ。では、我らも果たすべきを果たすとしよう ──貴艦の航宙に加護の在らん事を」
アルセは答礼し、通話を打ち切った。
*
20分後の
メインスクリーンの中を〝
「いよいよ〝幕開き〟ですか……」 隣の席からバールケ特務中佐が訊く。「──仕掛けないので?」
「まだ早いだろう」
アルセは〈カシハラ〉を
「機関長、どう思うか?」
機関制御室の機関長を呼び出す。すぐさま〈アスグラム〉の機関を預かるラウラ・セーデルバリ機関中佐の涼やかな声が返ってきた。
『現在の加速度は1.85Gというところです。スペクトラムから導き出される燃焼効率を考えれば余力は相当にありそうですが、それでも本艦を上回るということはないと考えます』
アルセは彼女に、各種センサーが捉えた情報から〈カシハラ〉の諸元を推測させていた。航宙軍の新鋭艦の実力──とりわけ、その機関性能を推し量るのに、機関長の分析能力を
「確かか?」
『ええ』 セーデルバリ機関中佐は笑顔で請け負った。
男性優位のミュローン社会にあって、技術畑を実力で歩んできた彼女の言をアルセは信頼している。アルセは頷いて通話を切り、今度は航行を管制する第三艦橋のマッティア中佐を呼び出した。
「追尾を
スクリーンに
『──可能です』
「よし」
アルセが頷くとマッティア中佐は敬礼と共にスクリーンから消えた。とりあえずこの設定であれば、
──さて、訓練生らに〝実戦〟を教えてやることとしようか。
6月6日 2100時 【航宙軍艦カシハラ/准士官私室】
メイリー・ジェンキンスは、結局
この1日、いろいろなことがあった。何もできなくて、そんな自分に苛ついて、それでも何か自分に出来ることをと、そんなふうに思わなければやり切れない1日だった。
でも、そんなふうに思いはしても、実際何が出来るという訳でなく、せめて自分に何が出来るのか、それを見極めたいと思った。
それに、この
彼女の近くに居れば、何が自分に出来ることなのかを見つけることができるのではないだろうか……。そんなふうに思えたのだ。
だからメイリーは
割り当てられた准士官用の2人部屋。その二段ベッドの下段に腰を下ろしたメイリーは、再び
「上手くいって良かったわね」
「──
両肩にエポレット──そこに階級章は付いていないのだが──のある白の長袖ワイシャツに青を基調としたスカートとクロスタイという出で立ちのキムが、部屋の中央で得意げにくるりと回ってみせながら言う。
「そんなに難しくはなかったから…… ただ量がバカみたいに多くてイヤんなっちゃったけど……」
「あのメガネの〝
「あー、ユウイチね? うん、ダイジョブだった ──最初はいろいろアレコレ指図してきてうるさかったけど、最後は自由にさせてくれたよー」
シャツの袖丈の長さを気にしながら、しれっと言う。
(えーと……) それは結局キムが話を聞かなくなっただけなのでは? との疑念をメイリーは口にできなかった。
「……あーそう、それでね、最後にはこんなことも言われたの。メガネ外した目で真っ直ぐボクの目を見てさ…──『悔しいけどキミの
黄色い声を上げて身体をよじらせるキムに、メイリーは意味ありげな表情を向けて言った。
「あら、ずいぶんと進展しちゃってるのね? そうなんだ、それがキムが残る理由なのね」
キムを揶揄うようにメイリーも黄色い声になって言った。
「ち、ちがうよ!」 途端にキムが反応を返した。「──ボクは、メイリーが残るから、心配して残ることに…したの……」
「私──?」
「うん……」 頷くと視線を外した。「──メイリー、いろんなことに責任を感じちゃうでしょ? ──アンナマリーもいないし…… だから、さ…… 少しでも貴女のこと、わかってあげてる人、居た方がいいんじゃないかな、って……」
「…………」 そんないじらしいキムに、メイリーはたまらなくなった。「──ありがとう…──優しいね、キムは」 ──思わず抱きしめてしまいたくなる。
言われると、キムは無理に笑顔を作って向けてくれた。そんなキムをあらためて見て、ふとメイリーは思う。
──
6月6日 2120時 【航宙軍艦カシハラ/指令私室】
一日を終え、エリンは充てがわれた指令用の個室に入った。
明かりの灯っていない室内には、当然のことながら
エリンは設えられたベッドに腰を下ろすと、そのまま深く息を吐いてベッドに倒れ込んだ。
長い一日だったと思う。
瞳を閉じると、瞼の裏に女性の顔が浮かぶ。
──母様……。
思わず、口許から漏れた。
これからいったい、どうすればよいのだろう。
本当のところはわからない。
本当のわたしは、何もわかってなんかいない。
ただ〝あるべき〟を演じているだけ。
それでも──
エリンは記憶の中の母の背を追い、やがて眠りに落ちた。
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