第10話(後) そうして……わたしを利用しますか?

6月6日 1430時 【航宙軍艦カシハラ/士官室】


 当直で艦橋に詰めていたハヤミ・イツキ(准尉/航宙科)は、艦長代理のツナミに呼び出され士官室の長テーブルに着くこととなった。

 いずれ幹部生が集められるだろうと思っていたイツキだったが、その前に例のヽヽ議員さん対応で声が掛かったのには意外であった。

 一緒に召集を掛けられたシンジョウ・コトミの姿を見て、ツナミのヤツがこの状況シチュを相当嫌がってるのが理解できわかり、ミーティングの前からイツキもゲンナリさせられる。

 それでも仕方なしにイツキは席に着いた。


「──それでこの宇宙船ふねにはエリン皇女殿下をお迎えしていると聞いたが……」

 邦議会議員──フレデリック・クレークは航宙軍艦の質実で飾り気のない長テーブルに着くと挨拶もそこそこに本題に入ってきた。議員の横には彼の友人の実業家という男と主治医が座っている。

 ──そらきた……。 イツキは内心で身構えた。

 テーブルの向かいの議員の顔は自らの音頭でミュローン筆頭ベイアトリス王家の姫君を送り届けることで耳目を集めようという魂胆がもう見え見えで、溜息を吐きたくなる。ご丁寧にジャーナリストを名乗る男まで連れてきていた。

 この状況で一つ救いだったのは、あの与圧室エアロックからツナミを詰問してきた少女──確かクリュセの首相令嬢だと聞いた──の姿がなかったことくらいだ。

 イツキは思う。

 ──…あの娘には結構キツイことを言われたからな。たぶんツナミのやつ、今は冷静に対応できないだろう。これで真面目なやつだから……。


 そんなイツキの心中を他所に、議員はツナミら幹部生を値踏みでもするように見回しながら続けた。

「なぜ皇女殿下を速やかに連合ミュローンへお送りしないのかね? このような学生ばかりの、とても正常な状態とは言えない宇宙船ふねにあって殿下はさぞ不安を感じていよう。それに失礼でもある」


 ──…おいおい……、何を言ってるんだ、こいつは……。

 イツキはゲンナリと議員の顔を見て、それからツナミの横顔を見遣った。

 そしてその時にふと思った。暇つぶしに引きったツナミの顔からその心理心の声を読んでみよう、と──

〝何言ってんだコイツは──。学生じゃない、士官候補生だよ! こっちにだって送り届けたくとも届けられない事情があるんだ──いまそのミュローンから攻撃を受けてるんだぞ! 正規の乗組員クルーが皆いなくなったのはこっちの責任じゃない。礼節の話ならそっちだってどうなんだ……! エトセトラ、エトセトラ……〟


 ──まあ、こんなところか……。


 他にも色々とツナミは思ったろうが、最終的にはこうなったはずだ…──

 〝この議員コイツは『気に入らない』!〟……と。


 すると、冷ややかなツナミの返答が聴こえてきた。

「──…交戦中です」


 〝大当たりビンゴ〟だ……。こりゃ相当そーとー癇に障ったらしい。面白くなりそうだ……。

 イツキは不謹慎な笑みを浮かべてしまった。

 素っ気のないこの回答に、議員とその友人だというネイハム・レローが眉を顰める。

 どうも心証を害したらしい。それを面白がるふうのイツキの隣で、シンジョウ・コトミが目線を泳がせた。

 もうその次の瞬間には、詰問するような一際大きな声が室内に響いていた。

「だいたいなぜ航宙軍の船が連合ミュローンと交戦しているんだねっ? ──星系同盟はミュローンの庇護の下、帝政連合下にあるわけだから彼らは友軍じゃないか!」


 レローお友だちがわかったふうなことを言い始めた。こいつは傑作だ……。

 大丈夫か、こいつ等。──実際に攻撃されたのは航宙軍俺たちの方だぜ。理由はあっちに訊いてくれ。俺たちが知るもんか。


 そんなふうに思っているイツキと長テーブルの同じ並びに座るツナミはと言うと、不機嫌そうな表情かおを隠そうともせずにこう言い放ったのだった。

「〝友軍〟の定義を見直す必要がありますね」

 コトミがもう一度視線を泳がす。一瞬後れて、言われたことの意味を解したレローが顔を強張らせた。


 議員クレークが話の切り口を変えようと再び口を開いた。──考えてみれば、この人も災難だろう。

「──聞けば君らは正規の乗組員を待たずに候補生だけで桟橋を離れてしまったそうじゃないか」

 が、またしてもレローがその言葉尻を引き取って追及するように高い声を張り上げている。

「そもそも、いったい何の権限で勝手に戦艦を動かしているんだね、キミたちは?」


 ──この素人トーシロが。

 さすがにこれには苛立ちが募り、イツキは内心で毒づいた。ツナミも同じ思いだったろう。


 イツキの思いはその通りだったようで、ツナミは真っ直ぐにレローを見、次に議員へと視線を向けた。

 大きく息を吸って口を開こうとする…──が、そのツナミより早く〝余所行き〟に改まった声になったアマハ──女性おんなにはいくつも顔がある──が横から割り込んでいた。

「──航宙軍としては、降伏の命令を受けていない以上、艦の保全を優先する必要がありました」 日本人形張りの涼やかな表情で二人を見据える。「──艦の指揮権も航宙軍の継承序列に則り正しく移譲されており問題ありません」

 将来の若手エリートキャリア官僚を思わせる容姿と冷静さとでそう切り返したアマハに議員とその友人らは口を噤んだ。


 議員の傍らに座る主治医──ラシッド・シラは大きく頷くと分別ある者の表情かおを保って目を瞑った。ジャーナリストを自称するマシュー・バートレットはと言うと、場の行く末を愉しむように無遠慮な目線をあちらこちらに巡らせている。


 少ししてからクレーク議員が再び口を開いた。

「確かこの練習艦ふねにはオオヤシマの『ミシマ家』の御三男も乗っておられたと思ったが……。なぜ彼がここに居ないのかね?」

 切り口をまた変えることにしたようだ。ツナミはいよいよ面白くなくなった表情かおを議員とその取り巻きに向けた。


 イツキは思う……。

 ──このミーティングは、もう少し長くなりそうだ……。




6月6日 1445時 【航宙軍艦カシハラ/特別公室】


「──では『国軍』の手にエリン・エストリスセンが渡れば、彼女は軟禁されるというのか?」

 航宙軍艦の士官候補生に連れてこられた部屋の中、──ガブリロ・ブラムは当のエリン・エストリスセンを前にして士官候補生──ミシマ・ユウに対し釈然とせぬ想いを口にしていた。

 理解し難いというガブリロの視線をミシマ候補生は涼やかに受け流している。

 彼の言は、心情において納得し難いが理屈の上では通ってはいた。

 ガブリロは事の進展に自らの理解がようやく追いついてきたところで、ミシマかれの言う状況をもう一度頭の中で整理する。


 ミシマの言う状況とはこうだ──。

 嫡出子のない3人の直系皇子のうち、穏健派で知られた皇太子のアルヴィドは『国軍』によって既に逮捕拘束されている──おそらくその嫌疑は『反逆』ということになるだろう。

 残る二人の皇子のうちの一人にでも何かしらの奇禍が起これば、エリン・エストリスセンの皇女としての価値は大きく上昇する。そして既に成人している他の二人の継承権者に比べ、皇女エリンは扱いやすい〝駒〟といえた。

 先ずもって他の二人の皇子に比べ過度に露出していない。彼女の政治信条を知る者など居はしなかった。そして後見を必要とする未成年であり、庶流の家系と言うことで有力な外戚がない。まさに〝象徴アイドル〟としてうってつけの存在と言える。

 であれば、現体制ミュローンはこの〝駒〟の存在を軽視できないだろう。潜在的な脅威となり得、と同時に体制の補完または維持の〝切り札〟ともなる。早急に確保すべきと言えた。

 またそれを裏付けるように、現在これまでのところ皇帝陛下崩御に続く皇太子殿下の逮捕拘束の一報の後には皇位継承に関する情報は一切報道に漏れ伝えられず、帝国軍の特殊部隊が秘密裏にエリンを追う中、ミュローン装甲艦は本艦カシハラ彼女エリンが入ったとみてその身柄の引き渡しを迫っている。

 ──現時点で新皇帝が立たない事実ことからも、彼女の皇位継承権が最有力となった可能性は高い……。

 とミシマは結論付けた。


 法学の徒であるガブリロからすれば、この航宙軍の士官候補の言うことは状況から飛躍しておりそんなことでミュローン当局がエリン・エストリスセンを拘束できる意味が解らない。が、当のエリンはそれを否定せず、むしろ肯定の色合いのしょうとした微笑みさえ浮かべていた。


おおよそのすじ道は、外れていないと思います」

 そう応えたエリン・エストリスセンの整った貌を見遣り、ガブリロは思った、

 ──この女性ひとはどうして孤独なのだろう?

 言って目を伏せているエリンの横顔に、ガブリロは訊いていた。

「しかし軟禁される理由がどこにあるというのです? 後主がベイアトリスに戻られるというだけでしょう?」

「理由は必要ないのです……」 皇女エリンはゆっくりとガブリロを見て言った。

「──国にれば、わたしは〝わたしの役割〟を演じなければなりません。それ以外のことに意味があってはむしろ不都合でしょう」


 そんな彼女と目線が合ったとき、ガブリロは理解した。

 ──それは我々ヽヽが彼女に期待したことだ……。


「…………」

 ガブリロは恥じ入りまともに殿下の顔を見れなくなったが、それでも心中の想いを口にした。

「──しかし、そこに貴女の意思は……」

 そんな彼に、むしろエリンの方が優しい表情かおをしてみせた。

「わたしの意思はこの際意味を持ちません──。もし帝国ミュローンの意に沿わぬ意志であれば〝洗脳〟くらいはされるかも知れませんが…──その程度のものです」

 どこか投げ遣りな声の響きでそう言い薄く笑った少女は、それが嫌な笑い方だったと自覚しているのだろう、すぐに恥じ入るように目を伏せた。

 ガブリロ・ブラムは、いよいよ自分の起こした行動の結果を思い知らされた。



「わたしをミュローンに引き渡してください……」

 少し時間を置いてから皇女は口を開いた。目を伏せた彼女がミシマに言う。

「──あなたのいうことは、たぶん正しいと思います。わたしがここにいることで帝国ミュローンは混乱しているのですね……」

 まだ幼さを残す十代の女子の顔に似つかわしくない疲れた声だったことが、ガブリロにやるせなさを覚えさせた。

 ミシマは、すぐには応えなかった。

 室内を沈黙が支配する──。


 彼女よりも、ガブリロの方がその沈黙に耐えられなかった。

「──引き渡すのか⁉ ミュローンに?」

 ガブリロは航宙軍の士官候補生ミシマ准尉に向くと責めるような声になって訊いていた。

 ──いったい、どの口が言っているのだ……

 そうガブリロは自分を嗤う……。が、思わず口を吐いて出た自分の言葉を、彼はそれほどおかしいとは思っていない。

 一方ミシマの方は、そんなガブリロをおかしそうに見遣った。

 ガブリロの言い様に、いったい彼の中でどのような心境の変化が起こり、どんな理屈に到達して航宙軍の士官候補生たる自分ミシマ・ユウを責めるのか、と内心で苦笑しているようだった。


 しかしミシマは、ふと不思議な微笑を口元に浮かべて頷いた。

 それから皇女エリンに向き直り、言った。

「いえ ……貴女はこのふねに留まるべきです── その上で、我々航宙軍がベイアトリスへお送りします」

 はっきりとそう言ったミシマにエリン皇女が息を飲んだ。

 皇女はミシマの目に視線を遣ると言葉なくただ彼を凝視する。

「どういうことだ……? 何を言っている?」 ガブリロもまた怪訝な表情かおをミシマに向けた。


 ミシマは真っ直ぐに皇女の顔を向いて言う。

「殿下は『国軍』には渡しません。貴女は自らの意思でベイアトリスに赴き、帝位に就くべきです」

 それほど気負いのある言い様ではなかったが、彼のそのはっきりとした静かな口調にエリンは気圧されたようだった。

「──何を……そんな……」 皇女は何かを言おうとして、しかし結局は言葉を飲んだ。

 ミシマは続けた。

「怖いのですか? ベイアトリスを── エストリスセンの名を継ぐことが…… それはそうでしょうね」

 エリンはそのミシマの言葉に視線を逸らすことができないでいるようだった。「──でも貴女はいいましたよ ……現状いま帝国ミュローンの在り様を是とはできない、と……」 少女が垣間見せる寄る辺のない表情を敢えてこの男ミシマは無視して続ける。「──貴女の是とする世界とは何です? それは貴女にしかわからない ……そしてそれは貴女自身で切り拓かねば得られない ──それがミュローンというものではないですか?」

 声を昂らせるでもなくそう言い終えたミシマを、エリンは声を押し殺すようにして見つめ返していた。


 ──まるで追い詰められた、逃げ場を失った小鹿のようだ。

 ガブリロはその時そう思った。



「──そうして……わたしを利用しますか?」

 やがてエリンは彼女の言葉を待っていたミシマに向かい、頬を上気させ震える声になってなじるように小さく叫んだ。

 怒りからか微かに顔を赤らめた彼女はミュローンの乙女のままに美しかったが、やはりどこか力強さに欠けていた。

 そんな彼女に、ミシマの返しは早かった。

「否定はしません」

 そのすげない言い様に、エリンは今度こそ言葉を失ってしまう。

 彼女の細い肩の線がわずかに震えたように見えた。ガブリロは皇女が泣き出すのではないかと思ったが、ミシマの前で彼女は涙を流さなかった。


「出て行って……」

 ざらついたその声が自分のものであることに驚いたのか、続くエリンの声は小さく遠慮がちなものになった。「──独りになりたい……」


 ミシマは一礼するとガブリロに目で合図をし特別公室を退出した。

 ガブリロも彼に続いて部屋を出る。


 後にはただ一人、孤独な皇女が残された──。

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