第9話 しっかりしろ、ツナミ・タカユキ‼
6月6日 1230時 【航宙軍艦カシハラ/右舷
「こ、こちら
眼前のその場景に呆然自失となりつつも、士官候補生ミナミハラ・ヨウ准尉は、
「──ツナミ…… いま…
そのミナミハラの動揺は通話機を通じ、確実に〈カシハラ〉の
「
成り行きとは言え
──分離ボルトの炸裂によって切離された搭乗橋の残骸が流れていく……。その中に混じった色とりどりの服の人影は、民間の人のものに違いないだろう……。
「
コトミは正確な情報を得られていないことは伝えてきたが状況を否定はしなかった。──それは一目瞭然だったからだ……。ツナミは歯を喰いしばると通話機の先のミナミハラに呼びかけた。
『ミナミハラ──』
右舷
彼女──メイリー・ジェンキンスの黒い瞳は、哀しみと、怒りに燃えていた。その瞳に気圧される
そのミナミハラの耳に
『聞け── いいか、これは俺の指示の結果だ、気にするな。全部俺の責任だ、お前に非はない──』
──ツナミ…… オマエ、いいヤツだよ…… けどな…… そういうコトじゃ、ないんだぜ……。
ミナミハラは、弛緩した意識でそう思う中、メイリーが
「あなたが艦長? いま……いま人が死んだわ! 兵隊じゃない普通の子……まだ子供だったっ!」
火が付いたように
「……気にするな、ですって? よくも…よくもそんな……」
その先に続くであろう言葉はもう解っている…──。
「──〝人殺し〟……っ ──あなたがしたことは、人殺しよっ! そうでしょう⁉」
ミナミハラは歯を喰いしばった……。
そんなメイリーの涙声を止めてくれたのは、戦闘服に身を包んだ小柄な一人の女性士官候補生だった。
その候補生──イチノセ・アヤは黙って
「ごめんなさい、こんなことになって…… でも、わたしたち皆が最善を尽くしています。起きたことの責任は受け止めます ……ですから……いまは──」
それでメイリーは口を噤んだ。でも喉の奥の、込み上げてくる声にならない声は押し殺し切れず、しゃくりあげるように面を上げると涙が頬を伝って流れ落ちる。
アヤはそんなメイリーをそっと包むように抱きしめてやった。メイリーはただもう声を押し殺して泣いた。
6月6日 1233時 【航宙軍艦カシハラ/
特に、まともにその言葉を浴びせられたツナミは、拳をきつく握り顎を引いて固まっている。
何と声を掛けるべきか思い悩むコトミの前で、ツナミはつと面を上げた。それから
「タカハシっ‼ ──俺を殴れ!」
「え……⁉」 いきなり荒れた口調でそう言われたタカハシの方は、まったく要領をのみ込めないでツナミを見返した。「──な、何⁉ どうして……?」
何をどうすればいいのか解からず、委縮したようにただツナミを見返している。
「いいから殴れ! 早くしろっ‼」
だがタカハシは狼狽えて動けない。そんな奇妙な沈黙を破ったのは主管制の席を立ったコトミだった。
「しっかりしろ、ツナミ・タカユキ‼」
コトミが両の手で挟んだツナミの顔の中の瞳を見上げるように覗き込む。それでツナミの表情が落ち着いた。
ツナミはコトミの手を外すと、静かな、それでも
「たすかった、コ── シンジョウ……」 表情を消した顔が言う。「──
それから観測と浮遊物監視の要員が詰める左右両舷の観測室に回線を繋ぎ、もういつも通りとなった声で確認をした。
「──観測・監視! ミュローンの
『
観測からの応答は素早かった。
「操舵艦橋! 増速する ──このエコー1を振切って遠心方向の空域に遷移、遷移後は重力懸垂に移行」
「艦橋了解──」
操艦を担う艦橋でその指示を受けた副長役のミシマ・ユウ准尉は、内心で搭乗橋での民間人のことで動揺するツナミが冷静でいられるかどうか不安を抱いてはいた。
が、どうやらその心配は杞憂だったようだ。
──士官学校の次席卒は、
「操舵士!
自身は主席のミシマだったが、そんなツナミの指示に沿って艦橋のクルーに航宙指示を下すことをもう割り切っている。
「砲雷長‼ ──
砲雷長のクリハラ准尉が抑揚を押さえた声で復唱し、火器管制の
ツナミは後は正面のメインモニタを向いて、小艇と装甲艦のそれぞれの映像を凝視した。
この時になってツナミは、
6月6日 1340時 【
1時間程前に大桟橋を離れ我が軍の特殊作戦艇を振切った巡航艦は、現在は
聞けばこの
そんな
「それでこの巡航艦は、二度にわたって情報部の特殊作戦艇の接近を跳ね除けたというわけだな?」
『そのようです……』
メインスクリーンの端に
『──航宙軍4等級練習艦〈カシハラ〉…… モガミ型大型巡航艦の練習艦
同じくスクリーン端に
練習艦という航宙軍の公式発表を信じてよいのか、という意味だ。
仮に練習艦としての
そして航宙軍がしばしばこういった欺瞞を行うことを
「少なくとも機動機3機は撃墜された──
アルセはそう言うと傍らのバールケに問い直した。
「それでこの
「その公算が極めて大です」
バールケは簡潔に答えた。どのみち特殊部隊が航宙軍艦への接舷移乗に失敗した時点で、情報本部による皇女殿下の〝救出保護〟の目論見は潰えている。本事案の情報本部主導での解決はあり得なくなった。それならば情報を全て宇宙軍に提供し協同するのが合理というものだ。
『では砲戦での撃沈はできませんね』『──これは厄介だな……』
兵装管制を主とする第二艦橋を預かるネイ少佐と、航行管制も担当する第一副長のマッティア中佐が、それぞれの思いを口にした。マッティアはバールケに重ねて訊いた。
『航宙軍からの働きかけは期待できないのか?』
「そちらの線も進めています」
『拘束した艦長以下の幹部乗員を使うのか?』
「──…
情報本部は外交部局とも連携し、航宙軍の艦隊本部から武装解除と投降を呼び掛けさせるという
『──ですが、
バールケとマッティアの会話に割って入るようにネイ少佐が生真面目に主張した。
関係部局を介して皇女殿下の身柄引渡しを要求することは本国の参謀本部も了としていることである。問題はその皇女殿下が過激な独立自治運動組織である〝黒袖組〟のシンパと共に行動していたことだった。
──
仮に
最悪、皇族を人質に取られようとも
『……だから厄介だと言っている』 ネイの指摘に苛ついた声でマッティアが応じた。
もはやこの
航宙軍の巡航艦に入ったエリン皇女殿下は、この時点において皇位継承権第一位であり
もし原理原則に従って皇女を失うことになれば、その時には帝政連合の統治権は、帝政成立時の取り決めに従って
「何れにせよ、攻撃再会ということになれば接舷攻撃ということになる」 アルセは取敢えず、この場をまとめた。「──だがその前に、彼らに再度の武装解除と投降を呼びかけるべきだろうな…… 人質の解放も、だが……」
6月6日 1345時 【航宙軍艦カシハラ/艦橋】
何か状況に変化があればすぐにでも
一先ず打てる手はすべて打ったと思う……。
ミシマ・ユウ候補生准尉は、副長席の隣の予備席に収まると
通話モニタに映し出されたツナミの顔はまるで死人のようだった。──すでに第1配備を下令して4時間余りが経過している。
「CIC-艦橋。ミシマ船務長補より意見具申。一部要員に休息の要ありと考えます、艦長代理…… ──…タカユキ、お前も少し休んでくれ」
通話モニタの中でツナミの目線が動いた。何か言いかけたようだが、結局口を噤んだ。
『艦橋-CIC、了解した。指揮を交代する── 何かあれば
『船務長補、操艦頂きました』
ミシマはモニタの中のツナミに敬礼をし、彼の姿がモニタから消えると後は予備席で
それほど間が置かれるでもなく、艦橋前方の操舵席に着いていた航宙長補のイツキが操舵席越しに訊いてきた。
「タカユキのヤツ、よくやってるんじゃないか?」
いま艦橋にはミシマとイツキの二人だけだった。
「──よくやってるよ」
ミシマは、ほぼ即答のタイミングで応えた。
実際、正規
するとイツキは、彼にしては珍しく言葉を選ぶようにして問いを重ねてきた。
「民間人のことな── アレ、お前が指揮してたら、避けられたと思うか……?」
これには即答という訳にはいかなかった。
「……──どうだろうね……」
搭乗橋の
それがミシマの
ただ自分ならもっと早い段階で搭乗橋を閉鎖していただろうと思う。結果事故は起きなかったろうが、クリュセの首相令嬢をはじめ多くの同胞を収容することもできなかったろう。
結局ミシマは、明確な回答を言葉にすることはできなかった。
ミシマの逡巡を感じ取ったのか、イツキは前方へと視線を戻すと、同期中の首席のミシマにどこか同意を求めるような感じに続けた。
「俺はさ、ミシマ…… ──タカユキは〝いい艦長〟になるんじゃないかと思うんだ」
「…………」
ミシマも、そうだろう、と思う。
タカユキは何事も正面から捉える。逃げないし、常に最善を尽くそうと努力する。真っ直ぐに、だ。
「いまは経験の不足から、こういうことになっちまうけど……」 イツキは少し間を持たせてから続けた。「──俺は…… あいつみたいな艦長の下で
なるほど……。そうだろうな、とミシマも思う。
──自分とタイプの異なるツナミに魅かれている自分が居ることに気付いたのは、もう随分と前のことだ。
だがそんなミシマが口にしたのは、そんな思いとはまた違った視点からのものだった。
「こういうことで死ぬ事になった人間の身になれば、そんな事言えないけれどね……」
嫌な性格だ……。──自分で自分のことをそう思う。だが〝責任〟とはそういうことだろう。
「…そりゃ……」 嫌な沈黙になった後、イツキは肯定した。「──そうだな……」
それきりイツキは黙ってしまった。
そんな沈黙の中、ミシマも思っていることがある。
そうだよ……。
僕だって、自分の将旗は
6月6日 1400時 【航宙軍艦カシハラ/
第1配備中の
それはそうである。──ツナミだって本来、
実を言うと少しの間でいいから、
──正直、艦の指揮権なんかミシマのヤツに放り出してもよかった。……いや、放り出したかった。
ツナミは明かりの絞られた
──酷いもんだ……。
その落ち窪んだ目を見ると『敗残兵』という単語を連想した。
──…すると俺は、負けたわけだ。
フ…、と嗤った自分の顔が惨めだった。
──〝人殺し〟、か……。
硬化合成樹脂に映り込んだ、反射の中の自分が問い掛けてきた。
──俺は何で軍人になったんだっけか……。嗚呼……そうだった……。あいつを、守りたかったんだ──。
こんなんじゃ……ぜんぜんダメだけどな……──。
ふと気付くと、硬化合成樹脂に映る暗い
──なんでいるんだよ……。
いまこんな姿を一番見せたくないやつなのに……。
できればいまは言葉を交わしたくはなかったが、透明な硬化樹脂に映り込んだ視線があってしまった。──仕方ない……。
「なんだ──?」
振り返るとき、投げ遣りな目になっていた。声がささくれているのが自分で解かる。コトミは静かな声で応えた。
「……
そう言うとコトミはツナミの許へ真っ直ぐ近付いていき、黙ってツナミの首の後に両の腕を廻した。ツナミはされるがままコトミの腕の中で目を閉じた。そんなツナミに、コトミが優しい声で言う。
「そんなふうに、何でも一人で抱え込まなくていいよ──」 ツナミは抱きしめてくれるコトミに温もりを感じた。「
しばらくツナミは、そう言うコトミの腕の中にいた。
こんなんじゃだめだ……。力が欲しい……と、そう思う。──冷静に、皆を率いる力が要る。
俺がちゃんとすれば誰も死なない…、傷つきもしない──。ちゃんとしなければ誰も守れない……。こうしてくれているコトミすら守ることができない……。
──俺は、
その時、
慌てて身体を離す二人。
コトミがカメラの視野から外れながら居ずまいを正すようにするのを視界の端に見ながら、ツナミは
『休んでもらってるところ悪いね、艦長代理──』 画面の中のミシマが困惑の表情なのに不安を覚えた。『ミュローン艦から通信が届いた。艦橋に上がって欲しい』
ミシマがわざわざ自分を呼び出したことに、ツナミは現実に呼び戻された。
──そうだ、
ツナミは頷くコトミに頷き返すと、
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