追憶.出会いと
私とその男の出会いは、もう二十六年も前に遡る必要がある。
当時私は三歳児。ようやく物心というものを得て、好奇心旺盛にどこへとなくふらふらとしている子だったらしい。それはもう育てるのが大変だった、というのが実家に帰る度に聞かされる親の口癖で、ここまで怪我無く成長したことに感動を覚えるほどだという。蝶を見ては追いかけ、猫を触ろうとしては引っ掻かれ、テレビを見ては大はしゃぎ。
炬燵から出ることのできないでいる今の私を見て、誰が同一人物だと思うだろうか。
振り返ればその頃の私は何かに飢えていて、その何かが幼さゆえにわからないまま暴れまわっていたのだと思う。
だからこそ、落ち着いた理由というのもはっきりわかっているつもりだ。紛れもない、大人になるまで続くような出会い。あいつと出会ったこと。
その日も親に連れられて出た買い物から帰ってきて、住んでいるマンションが見えたとたんに親の手を離し、螺旋階段へ一目散へと駆けていった。
螺旋階段は子供が昇るには少し高さがあり、隙間もあるから、このマンションに住む親たちは絶対に昇らせようとしない。そんな螺旋階段もわんぱくし放題、風の子どころか竜巻に乗って飛んでいきそうな私は両手も器用に使って颯爽と駆け上がる。
今にして思えば、あれが私の人生における最後の活発活動だったのかもしれない、と思うほどの勢いで螺旋階段を駆け上がり、当時住んでいた四階の部屋の前へたどり着くと、そこには見慣れない家族の姿があった。
赤ん坊を抱えた父親に、優しそうな母親。そしてその二人に手をつながれた同い年くらいの男の子。
螺旋階段を使うばかりでエレベーターを滅多に使わない私にとって、同い年くらいの男の子とこのマンションで遭遇するのははじめての出来事だったのだ。
その時の感情をうれしいと表現するのか、どういえばいいのか大人になった今ではわからないものなのだが、とにかくその時の私は大きな声を上げて、目の前の男の子の肩に両手を置いていた。
後ろから大きな声を上げて追いかけてきた母親がその様子を見るなり、一瞬びっくりしたような、でもすぐに理解したような顔になって挨拶をしたことはかろうじて覚えている。
もしあいつが大人しい男の子だったら、ここで縁は繋がっていなかったかもしれない。
しかし、私と同じく幼いころは随分やんちゃ坊主だったあいつは、私がどうして肩に手を置いたのか分かったのかわかっていないのか。私の肩にかかる軽い感触。
『ともだち!』
そんな言葉を発しては手を私の方に置き返した少年と、まさかこんなに長い付き合いになることになるとは。
もちろん、それは今になって思い返せばの話で、当時はそれはもう大はしゃぎで二人手をつなぎ、そのまま螺旋階段を駆け下りようとしたものだ。当然、そのあとすぐに母親を追ってきた父親に捕まり、軽く叱られてしまったが。
家が隣同士で、子供同士がこんなにも仲良くなったのだから、気づけばお隣とは家族ぐるみでの付き合いになっていた。
小学生に上がるころには両家そろってランドセルを買いに出かけ、二人して変わった色の高価なランドセルをねだり怒られたのはいい思い出だ。
鮮やかな緑色のランドセルを指した小さな指は重なって、私たちは歯をむき出して笑った。
『『これがいい!』』
このころから、私はあいつと同じ趣向で、横に並んでいることがとてもとても心地よくて、どこまでも一緒にいるような未来を想像していたのだと、思う。
少しずつ距離が開き始めたのは、性徴期を迎える中学生くらいの頃だっただろうか。
小学生の頃はずっと仲良しのセットとして扱われてきていたものが、いつしか性を知り、恋だとか愛なんてよくわからないものを知った同級生からすると、カップルのように見えていたようだ。
そうなるとなかなか距離を詰められなくて、私は女友達のグループへ、あいつは男友達のグループへと混ざっていく。
幸いにも私たちはコミュニケーション能力とやらがそれなりな方で、仲間外れになるようなことはなかった。
常に行動するような友達も出来、学校が終われば部活へ、部活が終われば買い食いをして、家にいない間一緒に過ごす相手は移ろっていった。
ずっとあいつと一緒にいたせいでろくに知らなかった女性の常識を知り、遊び方もがらりと変わる。
話題作りに交友関係のリサーチ。幾重にも重ねた仮面を被った友人関係という舞踏会のはじまり。
それが次第に億劫になってきて、遊びもほどほどに断っては誰も帰っていない自宅でのんびりと過ごす生活が増え始めていた。
そうしてお互いに趣味も趣向も変わって、あいつと話をするのは登下校の時、たまたま玄関前でそろって顔を合わせた時だけ。
それだけの時間は、きっと私にとってとても大事な時間で、歯を出して笑うようなことはその時にしかなかったのだ。
一緒にいる時間は減ったけれど、私とこいつの関係性は変わらない。心地よい、温かな時間を過ごすことが出来る。
中学生最後の一大行事である修学旅行、その夜に旅館の売店で土産でも買おうか、と伸ばした先で偶然重なった指先を見て、私はそう確信していた。
『『これにする』』
何のご利益もなさそうにしか見えない不細工な狸のストラップを持ち、レジに並ぶ私たちの間には、あの時手を重ねたのと変わらない距離と温かみがあって。
手を振って別れたあと、その心地よさに思わず柔らかい笑みを零しながら早歩きになっていたくらい。
ああ、そういえばあの時だっただろうか。結婚した悪友がいやに期限のいい私を見て、妙な想像を膨らませては私たちの関係を都合よく解釈していたのは。
今ほどそれが困ったことはない。当時はそんな突拍子もない話を振られても、適当に流すくらいの余裕はあったはずだ。
思い返してみてもあいつとの間にある、語るべきエピソードは飛び飛びで、そう多くない。私たちは多くはいないだろうが、それでも世界中にいくつか存在する……そう、幼馴染というものだったのだ。
友達、親友、隣人、知人、家族。それらすべてが相応の温かみを持っていることも知っている。
知っていても、私は幼馴染という関係性の持つ温かさに溺れていたのだ。
他人で、知人で、でも家族でもなく、友人よりももっと深い関係性。
手を重ね合わせても何らおかしくないはずで、何も隠すものもなく、何を被る必要もない。
思いつく限り最高の関係性がそこにあったはずだ。少なくとも、高校生のあの時が来るまで。
炬燵で見た夢 音和 @hine-it
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