炬燵で見た夢
音和
はじまり.手を伸ばせば
私は、炬燵から出るのが苦手だった。
炬燵の温もりは毒なのだ。それ自体が人をだめにする。
思い返せば、私はその温もりに甘んじていろんなものを失ってきたのかもしれない。
スーパーのタイムセール。休日の有意義な時間。部屋の清潔感。
今得られる温もりから抜け出せば、より素晴らしいものを得られるとしても、私はそこから出ようとしなかった。
より良いものを得られるかもしれないとして、今ある温かさを手放すことが出来ない。
安定志向と言えばそこまでだが、言い換えれば私は酷く慎重で、臆病な保守主義者だったのだ。
***
その連絡がやってきたのは、ある冬の金曜日だった。
仕事を終え、コンビニで手に入れた安酒とパスタで夕食を終え、名前も知らない芸能人が軽快なトークを続けるテレビを何の目的もなく垂れ流していたところだった。
当然、私がいるのは炬燵の中。暖房器具がろくにないワンルームで暖をとれるのはこれ一つ。ゴミが床に散らかっているというほど汚れているわけではないが、冬になると家にいる間炬燵の中でほとんどの時間を過ごすばかりに、炬燵の上はそれなりの荒れ方をしていた。
コンビニのパスタというのは見た目よりもボリュームがない。物足りなさを感じて机の上のみかんを取ろうとすると、積みあがった郵便物がそれを邪魔した。
横着をしたばかりに頭に振ってきたのは一枚の写真。先日出席した中学時代の悪友の結婚式のものだ。
一番親しくしていた時代には金に染まっていた頭髪も、今では暗いブラウン程度のもの。
何より学生時代から相手をとっかえひっかえしていた彼女がついにただ一人の相手を決めたのだと思うと、世の中変わらないものなどないのかもしれない、と感傷的になってしまう。
そう思わせるほどに幸せなそう笑顔を浮かべた悪友は、祝いの席の場で次はお前の番だと頬に指を突き立てて来た。
『次はお前の番だぞ~。だらしないところと皮肉っぽいところはあるけど、こーんなに美人だし余裕でしょ! それに……』
それに、その先の言葉は聞きたくない。私は思い起こされた悪友の顔を振り払い、ついでに手に入れたみかんの皮を取り払おうとした。
なんてタイミングで、部屋に響いたのはバイブレーションの音。
不意に通知を鳴らしたスマートフォンに手を伸ばすのにも億劫で、しかし少しずつ足元から這い上がる冷たさに押されるままにくたびれた狸のストラップを引っ張り、手繰り寄せたスマートフォンのロックを解除する。時刻は二十一時を少し過ぎたところ。
社会に適応するための必需品ともなったメッセージアプリを立ち上げると、まず目に入った通知の送り主の名前で胸がざわめくのを感じた。
おそらく、私にとって最も親しく、そして大きなウェイトを占めていた人物からのメッセージ。
『もう事後報告になるけど、籍を入れることになったから』
から、に込められた意味は何なのか。
二年も連絡を取っていなかった幼馴染から送られてきた突拍子もない連絡を見て、私は思わず立ち上がってしまっていた。
『え、突然じゃん。そんな相手いたっけ?』
『一年くらい前から同棲してた。最後に会ったの、二年前にお前が帰ってきたときだろ。そりゃ知るわけないって』
『へえ。そりゃそっか。お前にも結婚してくれるやつがいたんだなあ』
『なんだよ、僻みか?』
『別に。僻むほどのことじゃないでしょ』
『そういう割には素っ気ない返事だなあ。本当のところは?』
『私は私でお一人様生活、満喫しておりますので』
『出た出た。どうせ学生の時と変わらず炬燵と仲良くしてるんだろ。炬燵と結婚するって理由で俺をフッたくらいだもんな』
流れるようなやり取りを続けること、一分ほど。
一つ一つのメッセージを送るたびに震えていた指が、幼馴染の軽口を目にして完全に停止する。
ああ、どうしてそれを言葉にしてしまうのか。
もしかすると、あいつにとっては青春時代のほろ苦い思い出程度のものなのかもしれない。
でも、今この瞬間においては、私にとってもっと大きな意味を持ったもので――
わずかずつこみ上げてきていた冷たさは一気に頭まで到達してしまって、一切の思考が出来なくなっていく。
停止した思考の代わりに、今一番思い起こしたくない記憶が、はっきりと目の前に浮かんできてしまう。
それを振り払うこともできないまま、私は追憶の海の中に沈んでいく。
今更そんなことをしても、何の意味もないことも分かっていながら。
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