エピローグ

「頼む、頼む、頼むぞ……」


 俺は手を合わせ、祈るような気持ちで手のひらを擦り合わせていた。

 まだ寒さの残る三月の上旬。


 足取りが自然と重くなるのを感じた。

 この先に、半年間の奮闘の結果が待ち受けている。


「……お前、少しは落ち着けよ」


 須郷が呆れたように言う。


「落ち着けるかよ、足が震えそうだ」

「出産に立ち会う夫みたいね」

 

 綾瀬がため息を吐く。 

 

「お前一人があたふたしたところで、結果はもう出てるんだからよ。それに、本人が落ち着き払っているんだから、お前も胸張って送りだせや」

「で、でもよぉ」


 我ながら情けない声を出した。

 正直美也と二人きりで行くのもよかったが、不安を紛らわせたくて須郷と綾瀬を呼んだのだ。


「……シュウ?」


 隣の美也が手を握ってくる。


「私は、大丈夫、だから」

「み、美也」

「あのねえ、そのセリフは本来は秀斗がいうべきなんじゃない?」


 ぐうの音の出ない正論である。

 情けないものだ。


「俺の受験の時はこんなに不安に思ったことなかったんだけどな……」

「お前半年間美也ちゃんのこと見てたんだろ? 実際さ、感触としてどうなの?」

「いや、美也は自信満々だったけどさ」


 試験から帰ってきた美也は確かな感触があった、といった顔をしていた。

 合格発表の今日まで不安も憂いも、一つとして見受けられなかった。

 だからといって結果が出るまで安心できない。

 

 美也の学力に関しては何一つ心配はしていないが、一つ問題と挙げるとするなら。

 帝東大医学部医学科の二次試験では数学、英語、理科に加え、面接がある。

 この面接が難所だな、と俺は思っていた。


 面接の配点はそう高くはない。

 しかし入試は一点の失点が命取りだ。

 俺も入試の際に面接を受けたことがあるが、入学後の抱負はもちろんだが、高校時代のことを聞かれることもあった。


 主に受験者の主体性を測るための質問だったのだろう。


 高校に行っていない美也は、例えば部活で頑張ったとか生徒会で功績を残した、といったエピソードは使えない。

 さすがに高認取得者が面接で不利になるということはないだろうが――もしそうだったら社会問題だ――質問内容は変わってくるはずだ。


 例えば高認を取ってまで大学に行きたいのは何故なのか、高校を卒業しなかったのは何故なのか、といった質問が想定される。


 これらの質問に対し、美也がしっかり答えられるよう準備しなくてはならないのだ。


 俺と美也で――たまに須郷や綾瀬にも見てもらって――何度も模擬面接を行って、だいぶ明瞭に答えられるようにはなっていたが、それでも想定外の質問に対応できるかは不安だ。


「お、着いたな」


 視線の先には、数字がずらっと網羅された掲示板が設置されていた。

 その前では多くの人が写真を撮ったり、歓声を上げたりしている。

 しかし中には思うような結果が出ず、肩を落としている人も何人か見受けられた。


「美也ちゃんの受験番号は?」

「……11451、だ」

「11451、ね」

 

 三人の視線がすっと掲示板の上をなぞる。


「……此処じゃ見えないな」

「そうね、もうちょっと前に行きましょ」

 

 人混みをかき分け、前に進む。

 美也は一体、どんな顔をしているのだろう。

 気になって、隣をちらりと見た。


「……」


 珍しく美也は眉間にしわを寄せ、掲示板を注視していた。

 手がぎゅっと握られるのを感じる。

 

「あるか? あるか?」


 集中が乱れ、目が滑る。

 今自分がどこを見ているのかさえ分からなくなっている。


 もしかして番号がないのでは?

 背筋が凍る。


 落ち着け。

 ちゃんと一つひとつ番号を見なければ。

 目をかっと見開く。

 11443、11447、11448、11450……


「あ」


 美也と俺が声を上げたのはほぼ同時だった。

 

 ――11451


 呼吸が一瞬止まった気がした。


 何度も美也の受験番号を確認する。

 確かに、そこにあった。


「あぁ」


 声が漏れた。

 それは誰のものだったか。

 俺のものだったかもしれないし、美也のものだったかもしれない。


「あった、な……」

「……あったね」

 

 須郷と綾瀬が顔を見合わせた。


「おい、しゅう――」

「あったああああぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」


 三人がビクッと肩を震わせる。

 ちょっと引いている様子だった。


 しかしそんなことはもはや些細なことだった。

 宝くじに全財産をつぎ込んだ男が当選発表を見ながら歓喜するかのように、俺は感情を爆発させていた。


「美也! あった! あったぞ‼」


 美也の手を取り、ぶんぶんと振る。


「……う、うん♪」


 驚き、安堵、そして喜び。

 美也の感情が、その言葉一つにすべて込められていた。



「シュウ……あったよ」

「ああ、あったな」


 頷き合う。

 もう一度、受験番号を見る。


 夢じゃない。 

 夢じゃないんだ。


「あー、お二人さん?」


 俺と美也の世界に、須郷が申し訳なさそうに割って入る。

 

「とりあえず、写真だけ撮って退散しようぜ? 人が多いし」

「そ、そうだな」


 用が済んだなら、長居は無用だ。

 合格が決まったとなれば、この後諸々の手続きが待っている。


「じゃあ、写真だけ撮るか」


 携帯を用意する。


「美也、掲示板の前に立って。そして、番号を指さしてくれ」

「うん」


 指示された通り、美也は自分の受験番号を指さした。


「よし、撮るぞ」


 他の人も見るので、何度も撮るわけにはいかない。

 チャンスはこれ一度きりだ。 


「ハイ、チーズ」

「……♪」


 シャッターを切る。

 静かにほほ笑む美也が、写真に納まった。

 それは、とても自然な笑顔に見えた。

 

「よし、じゃあ退散だ。出るぞ」

「わかったわかった。美也、行こう」

「うん」


 再び手を繋ぐ。


「ねえ、この後どうするの?」

「ん? そうだな……もう解散でいいけど」

「どうせなら合格祝いに、どっか食いに行こうぜ」

「どこって……どこだ?」

「どこでもいいけど、どうせならパーッと使いたいわね」

「じゃあさ、駅の方にいい店があるんだけど」

「ここから駅ってちょっと遠くない? もっと近くでもいいんじゃない?」

「ここらの店はもう軒並み踏破しちまってるからなあ」



 須郷と綾瀬があれじゃない、これじゃない、と行く店の名前を出し合う。

 その時、美也が立ち止まる。

 

 俺は振り返る。

 美也は少しボーっとした、まるでずっと遠くの景色を眺めているかのような目をしていた。


「どうした、美也?」

「……ううん」


 美也はかぶりを振った。

 握った手を握り直し、指を絡ませた。


「何でもないよ」

「そうか?」

「……行こ?」

「うん、行こうか」



 風が美也の淡色の髪を揺らした。


 まるで俺たちの背中を押すような、優しい風だった。

 その風は明日の方角へ流れていく。

  

 その流れに導かれるように、俺たちは歩き出した。





〈完〉

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