第172話 光秀、戻る

 小早川さんの恋路は前途多難そうだよなあ……。


「殿、手が止まっております」


 障子越しに射し込む冬の陽射しに照らされた書類をぼんやりと眺めながら物思いに耽っていると、本多正信の感情を押し殺したような声が響いた。


「なあ、少し書類が多すぎやしないか?」


「熱田視察の間に溜まった分です」


 そう、昨日の夕方に熱田から戻ったのだが、疲れてぐっすり眠ったまでは良かった。

 しかし、朝食を終えたらこれである。


「熱田視察の間の差配はお前に任せていたはずだよな」


「殿の目の前にある書類は私の権限を越えるものばかりでございます」


 俺の責めるような視線をさらりとかわして、決してサボっていたわけではないのだと暗に告げる。


 熱田で羽を伸ばしたは事実だし、ここは観念して片付けるか。


「ところで、正信。このなかで急を要するものはどれだ?」


 選別をさせようと書類の山を正信の方へと押しやると、その書類をそっくり押し返しながら正信が言う。


「それも含めて殿の判断を仰ぐように、と善左衛門様よりのお申し付けでございます」


「熱田視察で疲れているのに鬼のような仕打ちだな……」


「お疲れのところ恐縮でございますが、善左衛門様がお見えになる前にできる限り片付けて頂かなくては困ります」


 一歩も引く気は無いようだ。

 ここで善左衛門の名前を出す辺り、お前も大概非情になってきたな……。


 俺の代わりに書類仕事をこなせる人材の育成が急務だな。

 何しろ、安心して任せられるのが光秀くらいしかいない。


「光秀がいたらなー」


「明智様は京です」


 ぼやきながら書類に手を伸ばすと間髪を容れずに正信が返した。


「分かっているよ」


 光秀は久作の嫁さんと北条さんの嫁さんを迎えに京へ行ってもらっている。

 どちらも三条家の姫君だ。

 今後の朝廷との関係強化だけでなく、武田家や本願寺との関係強化にも必要な人材である。


 と、そのとき引き戸の向こうから小姓の声が響く。


「明智様がお戻りになりました」


 三条家の二人の姫君を連れてきたのか。


「三条家の姫君たちはどうしている? 体調不良を訴えてはいないか?」


 美濃と京を休みなく往復している光秀も気になるが、運動不足の深窓の姫君に長旅をさせたのだ。

 姫君二人の健康状態の方が気になる。


「奥方様がご対応されております」


「では予定通り、湯殿ゆどのにお通ししたんだな?」


「はい」


 長旅で汚れている姫に会うのも失礼だろうと先に湯殿に通す手はずとなっていた。

 手はず通り進んでいることを確認すると次の行動に移る。


「分かった。光秀に会おう」


 呼んでくるという武将を制し、光秀が待機しているという部屋へと向かった。


 ◇


 部屋に入ると光秀が即座に平伏した。

 俺は光秀に頭を上げるように言って、改めてねぎらい声を掛ける。


「光秀、ご苦労だった。疲れているようなら話は一息ついてからでも構わないぞ」


「滅相もございません」


 疲れた素振りなど露ほども見せない。


「それで、姫たちの様子はどうだ?」


「お二方ともお元気でおられます。ただ、お付きの侍女たちの何人かは到着するなり倒れる者がおりました」


 主人である姫君が気丈に振舞っているのに、主人を差し置いて倒れる侍女たちに腹を立てているようだな。

 俺は光秀の生真面目さに内心で苦笑しながら、


「侍女たちも長旅で疲れたのだろう、適当に労ってやるとしよう」


 姫君に同行してきた侍女たちへの見舞いを案内していた小姓に指示すると、改めて光秀に向きなおり三条家の様子を聞く。


「それで、クギは刺せたか?」


 この度、三条家の姫を京まで迎えに行くことになった発端は三条家からの一方的な書状でだ。

 久作の許嫁である暁姫と北条氏規の許嫁となった憬姫の二人に竹中家で新年を迎えさせたい。ついては二人の姫君を迎えに来て欲しい、とのことが書かれていた。


 先手を打たれる形で已む無く光秀が迎えに行ったのだが、同じようなことが起きないよう、俺が直々にクギを刺す書状を光秀に持たせていた。


「書状を読むなり渋い顔をしてはおりましたが、『承知した』とのお言葉を承って参りました」


「三条家に力が集中したり、我々との関係を利用して周囲の公家たちといさかいが起きたりしそうな様子はなかったか?」


「本家の再興が悲願というのもあるので、殊更に目立った動きをする様子はなさそうです」


「なら、桔梗を三条家の養女にしてから小早川さんのところへ嫁にだしても問題はないな」


「何のことでしょう?」


 光秀が窺うように半兵衛を見た。


「先日の熱田視察に一条兼定殿と小早川繁平殿が来たんだが、そのおりに小早川殿から桔梗に正式に結婚の申し出があった」


 もっと前から話は上がっていたのだが、家中でもごく一部の者しか知らない極秘事項で光秀にも伏せられていた。

 俺はまるで熱田視察がきっかけで急遽決まったかのように告げた。


「それは、決定事項なのでしょうか?」


「結婚は決定事項と思ってくれ」


 桔梗から承諾の返事がないことは伏せ、桔梗を養女に出す先が三条家になるかは未定であることを告げた。


「三条家を通じて当家、北条家、沼田小早川家が姻戚関係となるわけですか……」


 それを聞いた光秀がうなる。本家が断絶している状態とはいえ、三条家の力が強くなり過ぎるのではないか、との懸念の声が上がっているのは容易に想像できた。


「何か気がかりでもあるのか?」


「実は、憬姫様が少々……」


「ハッキリ言え」


「子どものような見た目とは裏腹に、とても気丈で頭の切れるお方です。道中、仕える者たちばかりか我々への気遣いも怠りがありませんでした」


「それのどこが問題なんだ?」


「資質としては北条家の正室として望ましいのでしょうが、本家の再興、ひいては三条家の力の強化をお考えにならないとは思えません」


「野心があると言うことだな」


「そのように感じました」


 京で短い会話を交わした限りでは気付かなかったが……、明智光秀に野心家と思われる公家の姫か。

 憬姫に急に興味が湧いてきた。


「会うのが楽しみだな」


 いまは恒殿が二人の姫君の相手をしているが、俺の準備が整えば二人が目通りにくる。


「善左衛門様をお呼びいたしましょうか?」


「そうだな、頼む。それと、疲れているところ申し訳ないがお前も同席をしてくれ。少し試したいことがある」


「承知致しました」


 光秀が警戒するような表情で答えた。



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        あとがき

■■■■■■■■■■■■■■■ 青山 有


【漫画版】『転生! 竹中半兵衛 マイナー武将に転生した仲間たちと戦国乱世を生き抜く』5巻が、11月13日(土)発売となります。


舞台は安芸に移り、いよいよ小早川繁平脱出作戦の幕開けです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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