第171話 熱田視察(8)

「やはりだめか……」


 竹中半兵衛たけなかはんべえが残念そうにため息を吐いて天井を仰ぎ見た。

 手元には忍者がもたらした一通の書状の表書き。


小早川繁平こばやかわしげひら様、並びに桔梗ききょうに関する逢い引き経過報告書 五日目 その五』


 と記されている。

 それには小早川繁平と桔梗とのデートの一部始終が克明に記されていた。


「ここまで進展がないとはね……」


 一条兼定いちじょうかねさだも残念そうな表情を浮かべた。

 とはいえ、これまでの四日間と先の四通の報告書から、二人ともある程度この結果を予想はしていた。


「最終日だというのに芳しくありませんね」


「無理かなあ」


 半兵衛と兼定に諦めの雰囲気が漂い始めた。


 半兵衛と兼定の手元を離れた報告書を、待っていましたとばかりにこう小春こはるが勢い込んでのぞき込む。

 まあまあ、きゃあきゃあ、と嬌声きょうせいを上げながら報告書を読む二人を横目に、半兵衛がかたわらに控えた忍者に聞く。


「小早川さんと桔梗は?」


「予定通りお屋敷の方へ向かわれました。間もなく到着する頃かと存じます」


 寒風吹きすさぶ海岸線でのデート後は、十分に暖の入った屋敷で温かい鍋物を食べる手はずとなっていた。


「屋敷の方の準備は整っているのだな?」


 念のためにと半兵衛が聞いた。


「はい。既に小早川様と桔梗が使う部屋には暖が入っておりますし、両隣の部屋には朗読隊が既に配置されております」


 さらに海岸沿いでのデート中、音楽を奏でた楽隊も移動を開始しているので間もなく到着するだろうとのことだ。

 段取りの方は問題なかった。


「朗読隊?」


 珠が不思議そうに聞いた。


「小早川さんたちが使う部屋の両隣に一条家の楽隊と竹中家の有志による朗読隊を配置して、二人の雰囲気を盛り上げようという作戦です」


「楽隊は聞いていましたしたが、朗読隊とは何をする方々なのでしょう?」


 楽隊についても珠は反対なのだが、兼定がノリノリで決めたこともあり特に意見を口にしないでいた。

 そこへ加えて朗読隊という耳慣れない部隊の登場に胸騒ぎを覚える。


「朗読隊はこの日のために竹中家の有志で結成された部隊です」


 答えたのは恒。

 繁平と桔梗が食事をする間、両隣の部屋に控えた朗読隊が源氏物語のなかでも特に恋心くすぐりそうな一説を、タイミングを見計らって読むのだと嬉々として説明した。


「ご実家から屏風びょうぶも取り寄せたんですよ」


 と小春が付け加えた。


「屏風?」


「ええ、実はお方様がまだ嫁がれる前に、お部屋いっぱいに源氏物語の屏風を並べていたんですよ」


 小春が恍惚こうこつとした表情で語りだす。


「屏風の一つ一つを見るたびにまだ見ぬお殿様とのご結婚を夢想して頬を染めたりキャアキャアと可愛らしい声を上げて部屋の中を転がりまわモガッ!」


 耳まで真っ赤にした恒が小春の口を後ろからふさいだ。


 お姫様と侍女とはいえ体格差が著しい。

 加えて、竹中家に来てから力仕事が減った小春は恒に簡単に取り押さえられてしまった。


「小春ったら、何を言っているんでしょうね」


「あの、今のお話は……?」


 珠の疑問に恒が即答する。


「妄想です。半分以上、小春の妄想です」


「そ、そうですか」


 そんなことはないだろうと思うが、それを口にすることも出来ないので話を現在進行中の屏風作戦に戻すことにした。


「それで、その屏風を使った作戦というのは?」


「お二人がくつろがれる部屋に屏風を並べて、さらにその屏風の絵に描かれた場面を両隣の部屋で朗読をするのです」


 恒が説明する隙を突いて彼女の腕を抜けだした小春が勢い込んで言う。


「これで雰囲気はバッチリです!」


 その瞬間、珠の眼の焦点がズレた。


「それは……、私にはり……」


 珠は「理解できない」、と言いかけたがなんとか言葉を飲み込んで続ける。


「考えも付かない作戦ですね」


 絶対邪魔にしかならない。

 口には出さなかったが珠の引きつった笑顔がそれを如実に物語っていた。


 間違っている。

 この人たちのやることは絶対に間違っている。


 珠のなかで渦巻うずまいていた疑問が確信に変わった。

 これまでは他家のこと、知将と名高い竹中半兵衛のすること、夫である兼定の決めたことと口を出さずにいた。


 まして相手の女性は素破すっぱという身分の女性。

 自分とは感性が違うのだろう、と。


 自分が間違っているのかも知れないと言い聞かせてきた。

 しかし、珠にもはっきりと認識できた。


 間違っているのは自分ではない。

 自分以外の人たちすべてが間違っているのだ、と。


 意を決した珠が兼定に言う。


「旦那様、今回は次回への布石ふせきと割り切っては如何でしょうか?」


 いまから半日で繁平と桔梗のなかを修復するのは不可能だと判断し、次回の作戦には自分も積極的に参加しようと心に決めていた。


「うーん、もう一押しって気もするけど……。珠ちゃんの言うことも一理あるな」


 兼定は「どうする?」、と半兵衛に問いかける。


「桔梗も満更でもないようですし、なんとか起死回生の一手はありませんかね?」


 半兵衛の態度に「だめだ」と珠は思う。

 竹中半兵衛の知略や画期的な内政については聞き及んでいた。


 しかし、それはいくさまつりごとの上でのことである。こと恋愛に関しては自分の旦那である兼定と大差ないのだと改めて理解した。

 だが、それを正直に口にするわけにもいかない。


 繁平に悪者になってもらうことにした。


「ここ数日間の小早川様の言動を見る限り、ご自身のお気持ちをお伝えになるばかりで桔梗様のお気持ちをお考えになっていないように思えます」


「言われてみれば」


「さすが珠ちゃん、いいところに気付いた」


 感心する半兵衛と兼定に「女の戯れ言でございます」と言って話を続ける。


「女性としては小早川様の力強い言葉は嬉しいでしょう。しかし、女性側の気持ちへの配慮が足りなく不安もあると思います」


「なるほど、不安を払拭すればいいのか!」


「どうやる?」


「そこまでは……」


 半兵衛と兼定の視線が珠へと注がれる。


「今日明日でどうにかなるものではありません」


「やっぱり」


「そんな気はしてたんだよなー」


「そこでご提案です」


 慈愛に満ちた笑みを湛えて言う。


「繁平様をしばらくの間、この珠にあずけては頂けませんでしょうか?」


 珠の提案はこうだった。


 繁平を自分の側仕え兼医師として傍らに置き、その間に女性に対する接し方や気持ちのくみかたを覚えてもらう。

 桔梗には竹中領と一条領の書簡のやり取りを担当してもらい、都度、繁平と過ごす時間や会話する時間を作って親密さを増してもらうというものだった。


「素晴らしいです!」


 恒が珠の手を取った。


「是非、私とも文のやり取りをして頂けませんか? いろいろとご相談したいことも出てくると思うんです」


「それは名案です!」


 小春が後押しする。


「え?」


 戸惑う珠の手を握りしめたまま恒が半兵衛に嘆願する。


「半兵衛様、是非そうなさってください」


「そうですね、恒殿がそういうなら」


 半兵衛が兼定に助け船を求めると、兼定も曖昧な返事をする。


「そうだね、珠ちゃんがいいならいいんじゃないかな?」


 こうして、繁平と桔梗とのお見合いは第二ステージへと持ち越されることとなった。

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