第168話 熱田視察(5)
熱田視察、五日目の朝。
本日、三回目となるトリプルデートを予定している。
一条さんから相談されていた、珠殿との関係修復は問題らしい問題もなく二回のデートを終えていた。
正直なところ、修復の必要があるとは思えないくらい夫婦仲はいい。
小春も『京でお会いした頃よりも間違いなく仲が良くなっています』、と言っていたくらいだ。
恒殿に至っては『あんなに仲がよろしいのに更に仲良くなりたいとおっしゃるなんて、一条様はとても珠様を大切に思っているのですね』、と俺に甘えてくる始末である。
うん、たまには仲の良い他の夫婦と一緒に過ごすのも刺激になっていいかもしれないな。
意識を朝食に戻すと、珠殿が箸を置くところだった。
「今朝の料理はどうでしたか?」
俺と恒殿の対面で食事をしている一条さんと珠殿に聞いた。
すると、事前の打ち合わせ通り、一条さんがウナギを始めて口にした演技を始める。
「手紙でウナギのかば焼きという料理を創作したと知らされてはいたけど、こんなに美味しいとは思わなかったよ」
奥の手、『手紙でやり取りしていた』作戦である。
面倒ではあるが、話の整合性を保つため、茶室でのやり取りは概ね手紙でもやり取りしていた。
「実はウナギのかば焼きは今回の料理でお出しする予定はなかったんですが、せっかく一条さんが来てくれたので尾張から
「気を使わせてしまったようで申し訳ない」
「気にしないでください。私が食べたかったのもありますし、他にも取り寄せたかった代物がありましたからね」
「へー、ウナギの他にどんな代物を取り寄せたのか興味あるな」
迂闊にも綻んだ口元に一条さんが目聡く気付いた。
相変わらずこういうところは鋭いよなー。
「もう少し待ってください。お膳を下げ終わったら持ってくるように指示してあります」
少年のように期待に目を輝かせている一条さんにそう告げると、恒殿がタイミングよく珠殿に語り掛けた。
「珠様は初めてのウナギは如何でしたか?」
「実は何度か口にしたことがございますが――――」
実家の宇都宮家にいた頃に何度か食べたことがあったそうだが、あまりにも不味くてウナギにはいい印象がなかったそうだ。
なので、今朝も『ウナギのかば焼きです』と料理の説明をされたときも、
「――――美味しそうに食べられるか不安でなりませんでした」
と恥ずかしそうに語った。
そんな恥ずかしそうにする珠殿の肩を抱いて大笑いした後、珠殿を抱き寄せると彼女に耳元で一条さんがささやく。
「で、どうだった? 正直に言っていいんだよ」
「同じ魚とは思えないくらい美味しくて驚きました」
一条さんは事あるごとに珠殿の肩を抱いたり腰に手を回したりしているが、珠殿の方は慣れないようだ。
その度に頬を染めて下を向いてしまう。
「そう言って頂けると嬉しいです」
恒殿はそう言って微笑むと、急に安堵した表情で言葉を続ける。
「一条様と珠様が褒めていたと知れば、台所を任せている者たちにも安心すると思います」
ここは『励みとなる』が本来のセリフなのだろうが、恒殿も台所を担当する者たちの昨夜の様子を知っているので、図らずも『安心する』と言ったのも理解できる。
一条さんのに出す食事を任された者たちは、比喩ではなく緊張で何度も吐いていた。
下魚(げざかな)――、いわゆる不味くて安い魚のことなのだが、ウナギは戦国時代では泥臭くて不味い魚と一般的に思われていた。
そのウナギを出すように指示したときの料理人たちの顔が脳裏をよぎる。
いや、料理長だけは腕に自身があったのか、覚悟を決めたのかは知らないが、最後は悟ったような顔をしていたな。
昨夜、生きたウナギの入った箱を抱えた料理長が昨夜遅く俺の下を訪れた。
「ご領主様、尾張からウナギが届きました……」
そもそも、そう報告してきた段階で顔が強ばっていた。
あのときは料理長の顔色の変化を気にも留めずに、一条さんが食べたがっていたウナギのかば焼きを振舞えることで頭がいっぱいだった。
「明日の朝食はウナギのかば焼きとウナギの肝のお吸い物を出してくれ」
俺の言葉に料理長が一瞬言葉を詰まらせたような気がした。
「一条様にウナギをお出しするのですか?」
「そうだ。何か問題でもあるのか?」
「高貴なお方ですし、ウナギを口にされたことがないと思うのですが……」
転生者である一条さんがウナギを食べたことがないとは思えないが、そんなことを知らない彼らからすれば下魚を土佐一条家の当主夫婦の朝食に出すのは
気持ちは分かる。
一条さんから不興を買ったら責任を取らされるのは自分たちだと思い込んでいるのかもしれない。
ここは安心させてやるとしよう。
「口にしたことがないからこそ、お出しするんじゃないか。一条さんが怒り出したからといって、お前たちに責任を取らせるようなことはしない」
責任は俺が取るから心配せずにウナギのかば焼きを出すようにと告げるが料理長の顔から不安の色は消えない。 強ばっていた顔が蒼ざめ、泣き出しそうな顔に変わった。
いまから思えば気の毒な事をしたと思うが、料理長たちも一条さんと珠殿の反応をしれば喜んでくれるだろう。
「承知いたしました。腕によりをかけて朝食の準備をさせて頂きます」
あの悟った顔をみて、俺も任せて大丈夫と安心したのを思いだしていた。
そのとき、一条さんの声が俺を現実に引き戻す。
「このウナギのタレのレシピを教えてもらってもいいかな? それと、ウナギのかば焼きの作り方も頼むよ」
「兼定様、幾ら何でもそれは……」
珠殿が驚いた顔で一条さんを
料理とはいえ新たな収入源になるかもしれない情報だ。武家の姫だけあってその辺りのことには敏感なようだ。
「そう言うと思って、レシピを用意しておきました」
俺は傍らに置いた冊子を一条さんへと差し出しながら、
「帰国するときには
と付け加えた。
「ありがとう!」
軽いノリで感謝する一条さんと驚いて言葉が出て来ない珠殿が実に対照的だ。
こちらとしては、新型船と造船技術、スコープを貰っているのだからウナギのかば焼きのレシピとタレくらいは安いものだ。
というか、釣り合わないよな。
そこへ扉の向こうから右京が聞えた。
「失礼いたします。昨夜、尾張から届きました品々を持ってまいりました」
「入りなさい」
幾つか箱を恭しく抱えた数人の武将を従え、右京が部屋へと入ってきた。
それを目にした一条さんが俺に聞く。
「竹中さんがさっき内緒にしたヤツかな?」
「ご名答です。一組は阿喜多殿への贈り物。もう一組は珠殿への贈り物です」
それぞれ、一条さんと珠殿の前へと並べられた。
勿体ぶったところで、一つ開ければ他に何が入っているのか想像できてしまう。
ここはサクッと空けよう。
珠殿の正面に置かれた一番大きな箱を開けるよう、右京に視線で指示した。
「おお! これを貰えるの?」
「まあ……!」
箱の中にあったウサギの毛皮で作った白いロングコートを目にした一条さんと珠殿が同時に歓喜の声を上げた。
珠殿がもの凄く嬉しそうか顔をしている。
一条さんと珠殿が熱田視察に同行するとは思っていなかったので帰国に間に合うように手配していたのを急遽早めたのだが正解だったようだ。
「ありがとう、竹中さん。珠ちゃんの喜ぶ顔が見られて俺は凄く嬉しいよ!」
そう言うと、俺から珠殿へと視線を移すと、珠殿の顔を本当に嬉しそうに見つめた。
困惑したのは珠殿。
やっぱり夫婦仲の修復なんて必要ないよなー。
そう思っていると、
「一条様はとても情熱的な方なんですね」
恒殿が楽しそうに耳打ちした。
俺も一条さんくら情熱的に恒殿に接した方がいいのかな? 残りの日数、小早川さんと桔梗のデートのセッティングはするとして、一条さん夫婦のことも注意深く観察しておくとしよう。
「これは、あれですね。その、恒様が来ていらした着物です、ね」
一条さんの熱い視線にさらされ、しどろもどろになりながらも珠殿がようやくウサギのコートへと話題を戻した。
「はい。半兵衛様が外国の羽織を参考にして領内の職人と一緒になって作って下さったものです」
「まあ! 竹中様が自ら!」
「着物の上から羽織れるようにと、それは何日もかけて打ち合わせをしていらしたんですよ」
その通りなのだが、恒殿の口から改めて言われると照れるな。
そこへ一条さんが追い打ちをかけた。
「竹中さん、やるねー。俺も見習って珠ちゃんだけのために何か作ろうかな」
「兼定様、そう言うことは後ほどにしませんか?」
焦燥感漂う珠殿の前で、次々と箱が開けられる。
ロシア帽子、マフラー、手袋、ロングブーツ。白兎の毛皮で作られている。恒殿に贈ったものと変わらない品物だ。
真っ白なウサギの毛皮で統一されたそれらの品々を見た一条さんが驚きの声を上げた。
「もしかして、阿喜多への贈り物も?」
「もちろんです」
「ありがとう、竹中さん。改めてお礼を言わせてもらうよ」
「一条さん、私たちの中じゃないですか。水臭いこと言わないでください」
「そうだな。甘えさせてもらうよ」
俺たちが会話する側で恒殿が珠殿にすぐに試着をするようにすすめていた。
それを聞いた一条さんも言う。
「珠ちゃん、せっかくだから着てみなよ」
「え?」
「そうでね、お方様、着てご覧になられては如何でしょう」
「そうですよ、殿もあの様におっしゃっているじゃないですか」
珠殿の侍女たちも彼女がこれを着たと事を見たいのだろう、戸惑う珠殿に試着を勧める。
そこへ恒殿と小春が援護に加わった。
「小春、手伝って差し上げましょう」
「はい、お方様!」
珠殿は恒殿と小春、彼女の連れてきた侍女たちに引っ張られるようにして隣室へ消えていった。
◇
――――その頃、左右の部屋に忍びを控えさせた別室では。
小早川繁平と桔梗とが、思いだしたように言葉を交わしはしたが、黙々とウナギのかば焼きを口にしていた。
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あとがき
■■■■■■■■■■■■■■■ 青山 有
『必中必殺の聖者 無敵のデバッグキャラで異世界の悪を討つ』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893976148
新作です。
こちらもどうぞよろしくお願いいたします。
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