第167話 熱田視察(4)

 食事も終わりに近づいた頃、一条さんが一つの包みを差しだした。


「竹中さんにお土産だ」


「何ですかこれ?」


 包みを開けると黒い筒状の代物が出てきた。


「これって、もしかしてスコープですか?」


「一目で見抜くとはさすがだね。まだ試作品の段階だけど、新型船の中に百個ほどあるよ」


「百個とは、試作品にしては随分と作りましたね」


 俺は好奇心から即座にスコープを覗き込むと窓の外を見た。

 驚くほどの倍率ではないが、明るく鮮明な景色が映る。


「北条さんへの増援だすんだろ? 竹中さんのところで使ってもらえればと思ってね」


「え?」


「新型船だけじゃなく試作品のスコープ百個も置いて行くから、実戦での使い勝手とか今後の改良の助けとなる情報をもらえると嬉しな」


「助かります」


 狙撃、という単語が脳裏に浮かんだ。

 命中精度が上がった参式――、パーカッションロック式の鉄砲と組み合わせれば指揮官の狙撃も戦術に組み込めるかもしれない。


「倍率は二倍固定だけど十分に実用に耐えられると思っている」


「試射していませんが、十分でしょう」


 急いで狙撃部隊を組織しないとな。

 いや、鉄砲隊を任せているのだから、ここは光秀の帰りを待って任せるとしよう。


 俺の表情から何か読み取ったのだろう、一条さんの目が輝いた。


「もしかして、そのスコープを使って狙撃ができるような鉄砲が完成したとか?」


「試作品ですけど、パーカッションロック式の鉄砲をある程度揃えられる目処が立ちました」


 狙撃部隊を編制できそうな気もするが、あまり大きなことは言わないでおこう。


「試作品とは言え狙撃ができるとなると、戦術が変わるな」


「次の戦は鉄砲三千丁と狙撃用の鉄砲を百丁投入できそうです」


「三段撃ち?」


「そのつもりです」


 長篠の戦い。

 織田信長が武田勝頼を打ち破り、武田家滅亡の引き金となった戦い。


 歴史上はじめてそこで登場する戦術。

 鉄砲の三段撃ち。

 それは雑兵による鉄砲三千丁の集中運用という、織田信長が考え出したとされる画期的な戦術だ。


 さらに鉄砲百丁による狙撃部隊が投入できれば、鉄砲による戦術史が大きく塗り替わる。


「それは凄いな……」


「鉄砲隊に加えて、クロスボウ、大砲、新型船。次の戦は戦略と戦術を大きく変える要素で溢れ返ります」


「間違いなく歴史に名を遺す戦になるね」


 長篠の戦よりも十四年早い、鉄砲三千丁による三弾撃ち、命中精度が飛躍的に上がった鉄砲とスコープの組み合わせによる指揮官や部隊長の狙撃、クロスボウによる面での集団攻撃、大砲による大火力での遠距離攻撃、新型船による太平洋の長距離航行。どれも世界に先駆けて歴史の表舞台に登場する技術や知見。後の世界史に残る戦となることは明らかだった。


「一条さんも参加しますか?」


「参加したいねー」


 参加したそうな顔をしている一条さんに水を向けると、迷いのない答えが返ってきた。


 ◇


 半兵衛と兼定が物騒な話題で盛り上がっている頃、隣の部屋では二人の若い男女が無言でお膳に箸を伸ばしていた。

 小早川繁平と桔梗である。


 二人とも無言であったが、それぞれ微妙な差異があった。


 繁平はというと。


 桔梗のことしか考えられないあまり、半兵衛と兼定に無理なお願いをし、結果、桔梗に無理強いをしてしまったのではないか。

 それが原因で嫌われやしないかとの不安と桔梗と二人きりになれた喜びがない交ぜとなり、妙な高揚感と自己嫌悪とで溢れ返る感情に翻弄されていた。


 一方の桔梗は。

 天井裏に二人、床下に二人、窓の外にも身を潜めた先輩忍者、さらには引戸の外の小春の気配を感じ取り、こちらも何とも言えない緊張感で言葉を発することができずにいた。


 これまでの行動から小春が聞き耳を立てるだろうことは桔梗も予想していた。


 だが、先輩忍者まで身を潜めて聞き耳を立てるとは完全に予想の斜め上であった。

 それも一部屋に五人の忍者が潜むという異例の大人数である。


 小春が聞き耳を立てているのは独断である。

 護衛と言う名目で三人の忍者を潜ませたのは半兵衛。


 名目は護衛であったが実態は違う。

 自分の好奇心を満たすためと、『茶室』でネタにするためであった。

 

 意を決したように口を開いたのは、そんな周囲の状況にまったく気付かない繁平である。


「桔梗さん!」


「はい」


 周囲の気配を気遣う桔梗が緊張した面持ちで短く返事をした桔梗に繁平が突然頭を下げた。


「私が身勝手なお願いをしたばかりに、こんなことになってしまい申し訳ありませんでした!」


 その一言で潜んでいた五人の忍者に動揺が走った。

 沼田小早川家の元当主がくノ一である桔梗に開口一番、謝罪をして頭を下げたのだから当然である。


「小早川様、頭を上げてください」


「いえ、先ずはきちんと謝っておかないと私の気がすみません」


 この方は自分のような身分の者にも簡単に頭を下げるのだな、と安芸での繁平との日々を思いだす。

 桔梗の脳裏に、繁平のはにかんだ笑顔と困ったような笑顔が浮かんだ。


 おごったところがまったくなく、身分の分け隔てなく他人と接する。

 他人と話すときは笑顔を絶やさなかった。


 優しく穏やかな為人ひととなり

 それは不快なものではなく、むしろ心の奥底で暖かさを感じていた。


「頭を上げて頂かないと私が困ります」


 桔梗から慌てた様子が消え、途端に穏やかなものへと変わった。


「え? そうなんですか? あ、そうですよね。本当に申し訳ありません」


「小早川様が謝られるようなことではありません」


「そう言って頂けると少しは気が楽になります」


「お方様が大殿のお供で足を運ばれるのですから、お方様の護衛であり侍女でもある私が同行するのは当たり前のことです」


「そうですか……、そうですよね」


 恒が熱田視察に共に訪れたのも、元をただせば繁平と桔梗のデートをセッティングするためだったのだが、そのことには二人とも気付かない。


「小早川様、私は素破です」


 再び桔梗の口調が変わった。

 その固く冷たい口調と桔梗の動じない雰囲気に繁平は心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えて息を飲む。


「小早川様のお立場では想像もつかないような卑しい身分の女です。そのような女を側に置くことは小早川様の将来にとって足枷あしかせとなりましょう。ともに逃亡した一時の気の迷いとお忘れください」


 桔梗がその場に平伏する。

 静かな室内に引戸の外で鳴った音が響いた。


「桔梗さん、そう言われるだろうことは覚悟していました」


 今度は繁平の口調が変わった。

 慌てる様子はない。

 どこか落ち着いた口調で思慮深い雰囲気さえ漂っている。


「卑しい身分ですか……。私が身分などという些末なことを気にすると思っていたのですか?」


 身分など気にしないことは分かっていた。

 桔梗の身体が震える。


「将来の足枷とはなんでしょう? 一時の気の迷いなどではありません。この二ヵ月間、私の貴女への気持ちは薄れることも揺らぐこともありませんでした。むしろ思いは強くなる一方です」


 桔梗の胸の奥にあった暖かいものはいつの間にか熱いものとなり込み上げてくる。

 閉じた目から涙が溢れた。


「貴女が傍らに居ない未来を想像しただけで胸が締め付けられます。ただ、貴女に側にいて欲しいのです」


「小早川様……」


 我が身を望まれることなど想像したこともなかった。

 夢にすら見たことがない言葉。


「貴女を幸せにするために全力を尽くします。共に笑顔で手を取り合って歩ける未来を私と作ってはくれませんか?」


「小早川様……」


「私の正室なってください」


「こ……」


 それ以上言葉を紡ぐことは出来なかった。


「返事は熱田視察の最終日に頂けますか? どのような返事でも私は受け入れます」


 力強い繁平の言葉が、桔梗の消え入るような声を掻き消した。





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        あとがき

■■■■■■■■■■■■■■■ 青山 有


『必中必殺の聖者 無敵のデバッグキャラで異世界の悪を討つ』



新作です。

こちらもどうぞよろしくお願いいたします。


https://kakuyomu.jp/works/1177354054893976148

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