第166話 熱田視察(3)
俺は恒殿と共に、一条さんと珠殿、小早川さんと桔梗。それぞれの侍女とお供の武将、料理人、護衛たちを引き連れて熱田港にある千秋季の別宅へと来ていた。
「護衛の方たちは?」
周囲を固めていた護衛の姿が見えなくなったことが不安なのか恒殿が訊いてきたので、俺は安心させるべく落ち着いた口調で返す。
「幾つかの部屋に分散して待機します」
「お食事はどうされるのですか?」
「さあ? 交代で摂るでしょう。その辺りのことは任せているので大丈夫ですよ」
恒殿が心配するようなことでないとやんわりと言うが、
「小春、お屋敷の方に護衛の皆さんにも食事を振舞うよう伝えてきてください」
幾ばくかの金銭を手渡し、二言三言小春になにかを告げた。
「気を使わせてしまったようですね」
足早に駆け寄る彼女にそう言うと、小声で謝罪の言葉を口にする。
「出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」
「恒殿が謝るようなことではありません。むしろ私が感謝しないとならないことです。さあ、私たちが遅れるわけにはいきません」
俺は恒殿の手を取ったって急ぎ皆の後を追うのだった。
◇
歓談が始まって少しすると、竹中家と土佐一条家の料理人の手による料理が運ばれてきた。
並ぶのは取れたての海の幸。漁師たちから新鮮な魚介類を買い上げ、同行させた尾張と土佐の料理人たちが共同で用意した食事に舌鼓を打つ。
焼き
「実は牡蠣の養殖を始めたんですよ」
「牡蠣(かき)の養殖? そんなことができるんですか?」
「あの筏(いかだ)のようなものを海に浮かべて、そこに何本ものロープを垂らすヤツ?」
小早川さんと一条さんが驚きの声を上げた。
「その筏を使うやつです。正式に垂下(すいか)式養殖法と言うらしいのですが、その方法を取り入れました」
まだ実験段階ではあることと、牡蠣が成長するまでに一年以上かかるので、実際に養殖した牡蠣が市場に流通するまでには二、三年はかかるであろうことを付け加えた。
「養殖に成功したら牡蠣がたくさん食べられるな」
一目でわかる。
他の料理と焼き牡蠣を見る目と表情が違う。
「牡蠣がお好きなようですね」
「魚介類全般好きだけど、牡蠣は特に好きなんだよねー。中でも生牡蠣は最高だよ」
お膳の上の焼き牡蠣を食しながら満悦そうな笑みを浮かべる一条さんに小早川さんがけしかける。
「一条さん、土佐でも牡蠣を養殖しましょうよ。もしかしたら生牡蠣で食べられるかもしれませんよ」
「生牡蠣かー。いいねー」
「毛利領と接するので不安はありますが、瀬戸内海は波も穏やかですし牡蠣の養殖には向いているようです」
牡蠣の話題に夢中になっている俺に恒殿が訊く。
「あの、半兵衛様、養殖とはなんでしょうか?」
同席したほとんどの者たちが恒の質問にうなずく。
改めてみると一条さんと小早川さん以外は俺が説明を始めるのを待つようにこちらをうかがっていた。
養殖という概念がないのか?
いや、そんなはずはないんだが……、もしかしたら、限られた地域だけで行われ、広く知られていないのかもしれない。
俺は皆が注目する中、ゆっくりと口を開いた。
「養殖というのは、海に住んでいる魚介類を鶏のように人間の手で増やすことを言うんです。例えばこの牡蠣は漁師たちが海に潜って岩場に貼りついているものを獲ってきます。これを決まった場所で育てるんですよ」
「池に鯉をたくさん放し飼いしているのも養殖ですか?」
恒殿が美濃領で行っている鯉の養殖を引き合いに出した。
「そうです。田鯉農法で利用した鯉を池でさらに大きく育てて食料にするのですが、それが養殖です」
珠殿もその説明に何か思い当たったようで一条さんを見た。
「旦那様、もしかして最近よく食卓に上るのは土佐でも同じことをされているのですか?」
「バレたかー。養殖している鯉がもっと大きくなったら一緒に視察に行くつもりだったのに、竹中さんのせいで気付かれちゃったよ」
一条さんが冗談めかして答えた。
「それは申し訳ありません。この後の視察はもっといろいろとネタバレがありますけど、女性陣抜きで行きますか?」
「もうバレちゃったし、隠し事は無しで行こう。何と言っても小早川さんが桔梗さんと一緒に行きたがっているからね」
からかう一条さんに小早川さんが慌てて反論する。
「な、何を言っているんですか! 一条さんだって珠さんと一緒に視察したいくせに」
小早川さんの祖の反応に、『キャアー、キャー』と小さな悲鳴を上げながら恒殿と小春が即座に反応した。
「桔梗! 小早川様ったら照れてらっしゃるわよ」
「お方様、桔梗も小早川様に負けないくらい赤くなっていますよ」
そんな二人の思惑通りに小早川さんが動いた。
真っ赤な顔で桔梗に話しかける。
「あの、桔梗さん。なんだか、迷惑をおかけしたようで、本当、すみません」
「い、いえ、私の方こそ、その、申し訳ございません」
小早川さんと桔梗の間を取り持つのは放っておいても恒殿と小春は居れば自然と急接近しそうだな。
となると、臨時で先ほど頼まれた、一条さんと珠殿の関係修復か。
まあ、その辺りは今夜にも一条さんと詳細を詰めるとしよう。
俺はしどろもどろの小早川さんと桔梗をよそに一条さんに養殖の本題を切りだす。
「実は牡蠣の養殖実験はついでなんです。本来の目的は真珠の養殖です」
「真珠貝か!」
「そうですね! 真珠も養殖できました」
声に上げたのは一条さんと小早川さん。
小早川さんは真珠の養殖よりも桔梗の方を気にして欲しいのだが、雰囲気的にそうもいかないか。
周囲を見回すと一条さんと小早川さん以外、一言も発することなく驚いたように俺を見ていた。
無理もないか。
この時代、日本の真珠は世界的にも一級品だ。
実際に南蛮人からも喜ばれる輸出品目となっていたし、高額で取引される日本の真珠を養殖することで安定供給できるようになる。
価格はある程度下がるかもしれないが、総収入は格段に上がるのは間違いない。
その事実にその場に居た者たちの大半が言葉を失った。
恐る恐ると言った様子で恒殿が訊く。
「真珠を鯉のように育てることができるのですか?」
「できます」
「それはどのくらいの量でしょうか?」
質問する右京の顔つきが変わっていた。
彼だけではなかった。同席した者たちの反応が牡蠣の養殖の話のときとは明らかに違った。
「まだ実験段階だが、これまでの真珠よりもずっと大きく形の整ったものを作ることができるはずだ。成功すれば、二年後には大量生産され、貿易で高額取引される優良輸出品目になるだろうな」
俺の言葉に一条さんを除いた全員が息をのんだ。
一条さんはというと、独り、目の色が変わっていた。
「いいねー。うちでも真珠の養殖を始めることにするよ」
「技術交換しましょう」
「小早川さんの結婚式に間に合わないのが残念だなー」
「一条さん、私と桔梗さんを話のネタにしないでください」
「あれ? 俺は『小早川さんの結婚式』と言っただけで、相手が桔梗さんだなんて一言も言ってないよ」
いい返しだ。
俺も煽っておこう。
「小早川さんには桔梗しか見えないんでしょう」
「一途だねー」
「二人ともやめてください! 桔梗さんが困っているじゃないですか!」
困っているのは小早川さんで、桔梗は放心していた。
助け舟を出したのは恒殿と小春。
「半兵衛様、桔梗が混乱しています」
「小早川様! 桔梗を連れてすぐに別室へ!」
「え?」
小春は混乱する小早川さんを無理やり立たせると今度は桔梗の腕をとって話しかける。
「桔梗、小早川様が静かなところで心を落ち着けましょう、と言ってくださっています。さあ、二人で隣の部屋へ」
そんなことは一言も言っていない。
ただ混乱しているだけだ。
そこへ恒殿が追撃する。
「小早川様、さあ、桔梗の手を取って」
小春が戸惑う桔梗を立たせ、恒殿が繁平を煽る。混乱した繁平は抗うこともなく桔梗の手を取ると、小春に追い立てれるようにして隣の部屋へと消えていった。
アドリブとは思えない見事な連携だ。
もしかして、計画していたのか?
恒殿と小春の手際の良さに感心していると、小春が詰め寄るように訊いてきた。
「お殿様、小早川様と桔梗のお膳を隣の部屋へ運んでもよろしいでしょうか?」
「そうだな。そうしてくれ」
小春と珠付きの侍女たちが手分けして二人のお膳を運びだす。
その後ろ姿を見ていた一条さんが我に返ったように言う。
「隣に空き部屋を用意しておいたんだ?」
事前に作戦を知らせて欲しかったと目が訴える。
「私も知りませんでした」
「両隣の部屋には護衛の方しかいないと伺っていたので、ちょっと小春と相談しました」
どうやら俺の知らないところで、恒殿と小春が小早川さんと桔梗を二人きりにする計画を画策し、見事、計画通りに事が運んだようである。
「別に責めてはいません。むしろよくやったと褒めたいくらいです」
「半兵衛様はお優しいですね」
ほほ笑む恒殿の向こうで小春が行儀悪く昼食をかき込んでいた。
何を慌てているんだ?
「それでは食事を続けましょうか」
さて、隣の部屋の様子をどうやって確認するか。
俺は百地丹波に目を留めた。
――――――――
ほ……ほし……★…… (´・ω・`).;:…(´・ω...:.;::..(´・;::: .:.;: サラサラ..
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