第165話 熱田視察(2)
小姓や使用人たちだけでなく、戦場で指揮官として見かけた武将たちまでが声を張り上げて屋敷内を走り回っていた。
「食材だ! 旬の食材を急いで調達しろ!」
「漁師たちのところへは誰が走っている?」
随分と慌てているな。
一条さんが来てくれたお陰で熱田視察中の食事が随分と豪勢になりそうだな。
俺は側を足早に通り過ぎようとした小姓を掴まえて言う。
「一条さんは肉料理が好物だ。旬の海の幸だけでなく、猪や山鳥の肉料理がお膳に並ぶと嬉しい、千秋季忠に伝えてくれ」
「え? ええー!」
返事の代わりに叫び声が返ってきた。
「半兵衛様、それは小春から伝えさせましょう」
「お殿様、小春にお任せください」
「そうか、それじゃ、小春に頼むとしよう」
俺が改めて小春に牡丹鍋をリクエストしていると、混乱する小姓に早くここから離れるよう恒殿がうながした。
逃げるように立ち去った小姓の姿が見えなくなるのと同時に、
「土佐一条家のご当主様がご到着されました!」
一条さんが到着したことが遠くで告げられた。
「左近衛大将様がおいでになるぞ!」
「屋敷の確保に言っている者が戻ったらすぐに知らせてくれ!」
先ほどよりも殺気だった声を上げながら、幾人もの者たちが屋敷内を駆け回っていた。
「どうやら一条さんたちが到着したようだ。出迎えに行きましょう」
恒殿の手を取って歩き出すと、
「小春、桔梗、行きますよ」
彼女が二人に声をかけた。
俺と恒殿の後に、善左衛門、百地丹波、右京、小春、桔梗が続く。
突然の来客に騒然となっている屋敷内を抜けて正門に到着すると、街道をこちらへと向かう数十人の集団が見えた。
その集団の先頭を歩く身なりの良い武将が手を振る。
「竹中さーん」
「一条様……」
「珠様もご一緒ですね……」
恒殿と小春が信じられないようなものを見たような表情つぶやく。
その傍らで善左衛門が別の意味で信じられないと言った様子で首を振ると、
「殿、気軽に手を振り返してはなりませんぞ」
小声でクギを刺した。
危ない、危ない。
危うく手を振り返すところだった。
一条さんの晴れやかな顔とは裏腹に同行している武将たちの疲れ切った顔から察するに、土居宗珊殿は同行していないようだ。
これはあまり羽目を外すと俺一人が悪者になるパターンだ。
ここは自重しよう。
「竹中さん、来ちゃったよ」
茶目っ気たっぷりに口元をほころばせると、奥さんの珠殿も同行していることを視線で示した。
「一条さん! 来るなら事前に教えてくださいよ。」
「いやー、急に決まったんだよ」
急に決まるはずがない。決めたのは一条さんだ。
「本当、急でしたよね」
小早川さんが申し訳なさそうな顔で言った。
「予定外なので大したもてなしはできませんよ」
「ああ、俺のことは気にしなくてもいいよ。今回の主役は小早川さんだからさ」
「主目的は新型船の引き渡しですよね?」
一条さんのなかでは新型船の受け渡しよりも小早川さんの熱田デートの方が重要なのは間違いないんだろうな。
内心で苦笑しながら小早川さんに助け舟をだす。
「新型船の引き渡しはいつやりますか?」
「今頃やっているはずだよ」
一条家の宇都宮豊綱と当家の九鬼嘉隆との間で、引き渡し作業が行われている真っ只中であることを知らされた。
実務の責任者は九鬼嘉隆だけど総責任者は千秋季忠だ。
これはあとで千秋季忠のフォローをしておく必要がありそうだな。
「熱田港の責任者は千秋季忠なのですが、別件で私が任務を与えていたので対応できなかったようですね。申し訳ありません」
それにしても九鬼嘉隆が偶然にも港に居てくれて助かった。
内心で胸を撫でおろす俺を小早川さんが気の毒そうな目で見ながら偶然の種を明かした。
「竹中さんのところからの出迎えの船団を率いていたのが九鬼嘉隆さんだったんですよ。でまあ、その流れで新型船十隻の引き渡しも済ませてしまおうということになりました……」
「そうでしたか。いや、九鬼嘉隆が船団を率いていてよかった」
良くない。
どんな流れだよ。
俺も大概無茶振りをするけど、そこまでのことはしないぞ。
これは九鬼嘉隆のフォローも必要だな。
「どうします? いまからでも熱田港に向かいますか?」
小早川さんの至極常識的な提案をした。
だが、ギルティな一条さんはそれを聞き流して、俺の背後の女性たちを興味深そうに見回した。
「で、どの娘が桔梗さん?」
主役は小早川さん、と言い切ったもんな。
当然の流れだろう。
「桔梗、こちらへきなさい」
俺の傍らに進み出た桔梗が片膝をついて一条さんに挨拶をする。
「桔梗です」
「おお! 可愛らしいなー。小早川さんが惚れるわけだ」
一条さんはそう言うと、片膝をついて頭を垂れる桔梗の手を取って彼女を立たせる。
「何を言っているんですか!」
照れながら慌てる小早川さんに向かって、
「そうだな、俺が手を取っちゃだめだよな」
一条さんはそう言うと驚きのあまり言葉を失っている桔梗の手を小早川さんに預けた。
するとたちまち二人が赤面する。
「まあ!」
「きゃー!」
傍らと背後で恒殿と小春の小さな悲鳴が上がった。
その悲鳴に煽られて小早川さんと桔梗の顔がさらに赤みを増すが、それでも小早川さんが先に言葉を発した。
「きゃー! 桔梗!」
「小早川様、男です!」
いつの間にか二人で手を取り、俺の背後から覗き見るように小早川さんと桔梗に声援と視線を送っている。
「あ、あのお久しぶりです。お元気そうで安心しました」
「恐れ多いことです」
「無理をお願いしたのは重々承知しています。もし、嫌でしたら言ってください」
「え……?」
桔梗が一瞬の戸惑いを見せると間髪を容れず俺の背後から二人の声援が飛ぶ。
「桔梗、小早川様は奥ゆかしい方です」
「ほら! 嬉しそうに!」
いい雰囲気を作るのは熱田視察の最中にでも、と思っていたのだが……。
もはや俺も一条さんも口を差し挟む隙もない。
「とても楽しみにしいました、と正直に伝えましょう」
「お気持ち、嬉しいです。って言うのよ」
それにしても二人とも随分と俺に毒されているのだと実感するよ。
一条さんの奥さんの珠殿や侍女たちは興味深げな視線を向けているが、誰一人としてはやし立てるような真似はしない。
「桔梗さん。ここでは色々と話しづらいですし、あとでゆっくりとお話ししませんか?」
「はい」
小早川さんは、頬を染める桔梗を俺と一条さんの視線から隠すように背後に庇うと
「と言うことで、先に仕事を済ませましょう」
そう言ってこの場を切り上げようとした。
一条さんと視線が合うと、互いに静かに首肯する。
この場で無理に話を進めても上手く事が運ぶ可能性は低い。ここはやはり恒殿と小春の力を借りて雰囲気を演出するとしよう。
懸念があるとすれば二人の恋愛知識が、『源氏物語』だと言うことくらいか……。
いや、あまり深く考えないようにしよう。
「一先ず屋敷に荷物を置いたら早速熱田の視察に行きましょう」
「早速仕事か……」
「一条さん、そう落胆しないでください。視察と言っても初日ですからね。先ずは軽く海の幸でも楽しんでもらえればと考えています」
「さすが竹中さん、分かってるねー」
何が分かっているのか知らないが、善左衛門の視線が痛いので早々に話を進めるとしよう。
「じゃあ、桔梗は小早川さんを部屋に案内して――」
「あの、半兵衛様。まだどの部屋をお使い頂くか決まっていませんが?」
と恒殿。
「この屋敷を丸ごと使っていいと言っていたから、空いている部屋を適当に――」
「殿、それでは千秋の面目が立ちません」
「善左衛門さんだっけ? 気にしなくていいよ。俺と珠ちゃんは細かいことには拘らないからさ」
そう言う一条さんの傍らで珠殿がコクコクとうなずく。
「あの半兵衛様」
「どうしました、恒殿」
「予定よりも人数も増えたことですし、お部屋の割り振りを私と小春、桔梗にお任せ頂けませんでしょうか?」
「おお! お方様、それはよいお考えです」
「そうです! そうしましょう!」
善左衛門と右京が恒殿の提案に即座に賛成する。
お前ら、俺の提案にそんな簡単に賛成したことないだろ。
「小早川様と桔梗が人目に触れずに会えるように部屋を手配いたします」
恒殿が俺の耳元でささやいた。
「さすが、恒殿。お願いできますか?」
「もちろんです! 善左衛門様にもご協力頂けるととても助かります。こういう事は頼りになる方ですから」
「そうか?」
善左衛門と細かな仕事が直結しないが、恒殿がそう言うなら任せるか。
「頼めるか、善左衛門」
「お任せください」
「ところで一条さん、昼食は?」
「まだだよ」
俺は熱田港で漁師が上げた魚をその場でさばいて食べることを提案した。
「獲れたて? 刺身? いいねー」
「清酒も用意しましょう」
「土佐から料理人を連れてきてるんだ」
「私も尾張から連れてきてますから、料理人同士も技術交換させましょうか」
「どうせなら、漁師から買い上げた魚を土佐と尾張の料理人たちに料理させよう」
「面白そうですね」
こうして土佐と尾張の料理人を伴って俺たちは視察のために熱田港へと向かうことにした。
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