第164話 熱田視察(1)

 一五六〇年十二月、予定通り熱田港の視察に向かっていた。


 馬車のなかには五人の男女。

 俺と右京、恒殿と小春、それに桔梗である。


「この換気というのはどうしても必要なんですか?」


 右京はそう言うと、馬車に設けられた換気用の窓から流れ込む冷気に、小さく身を震わせながら恨めしそうに窓を見た。


「閉め切っていると悪い空気が溜まって死んでしまうと以前も説明しただろ。それにときどき開ける程度なんだから我慢しろ」


「嫌ですよ、殿。我慢どころか、このコタツには感謝しているくらいです」


 五台の馬車で移動しているが、三台は荷物しか載せていない。

 我々の乗る馬車ともう一台だけが特注で作らせた馬車用の組み立て式コタツを搭載していた。


 因みにそのもう一台には五人の侍女と彼女たちの監督をするという名目で善左衛門が乗っている。

 監督などと言っているが、本当のところは馬車のなかでまで、善左衛門の小言を聞きたくなかったのと、換気を忘れた侍女たちの一酸化炭素中毒死を防ぐためだ。


 右京は『善左衛門様が羨ましいです』、などと言っていたが、当の善左衛門はもの凄く嫌そうな顔をしていたな。


「この季節にこんなに楽に移動できるなんて想像もしていませんでした」


 小春が幸せそうな顔でコタツ布団に頬ずりをした。

 その幸せそうな顔に、熱田港への道中、移動が馬車だけであることを告げたときの小春と桔梗の驚いた顔を思いだしてしまった。


 二人とも熱田港まで街道が馬車の通れるほど整備されているとは思っていなかったらしく、あとで聞いた話だと俺が馬車と籠を勘違いしたと思ったそうだ。

 対照的に『はい』と朗らかに返事をした恒殿は、安藤家で大切に育てられたお姫様なのだと実感した。


 恒殿の可愛らしい笑顔を思いだしていると、傍らの右京が現実に引き戻した。


「街道整備が間に合ってよかったですね」


「この日のために急がせたからな」


 視察地である熱田港まで馬車を利用できるよう、稲葉山城から熱田港までの街道を取り敢えず使える程度までの整備は急ぎ完成させていた。


「いやー、罪人が大勢いて助かりました」


「不謹慎なことを言うな。罪人も動員したが、完成したのは領民たちが協力してくれたからだ」


 まるで労働力目当てに俺が罪人を量産したみたいに聞こえるじゃないか。

 右京の言うように罪人の数が多くて助かったのは事実だし、そのほとんどをこの街道整備に投入した。だが、公共事業として領民たちもかなりの数を雇い入れていた。


「罪人と領民たちを一緒に働かせるのは良い案でした」


「まあ、罪人と一緒に? 領民の皆さんは怖がりませんでしたか?」


 そう口にした恒殿の隣で小春が小さく身震いした。

 そんな小春の反応を見て取った右京が安心させるように何でもない事のように言う。


「大丈夫ですよ。罪人には手枷足枷をしていましたし、ちゃんと家中の者たちが監督していましたからね」


 武装した兵士たちを配置してあったことを口にしなかったとは気が利くじゃないか。


「すぐ隣で自分たちよりも辛い作業をしている罪人は無給なのに自分たちは給金を貰える。領民たちは悪事を働くことが如何に割の悪いことか痛感したでしょうねー」


 右京、お前はどうしてそう斜め上の発言をするんだ。


「罪人には気の毒だが、これも領民のためだ」


 竹中領で罪を犯せば酷い報いがあると知らしめることで、犯罪を未然に防ぐ効果がある。善良な領民たちや力の弱い女性や子どもたちを守るためにも必要な事なのだとフォローした。


「実際、犯罪が減りましたよね」


「だろ」


 右京の言葉に短く返す。

 その後は雑談しながら、二泊三日の行程で熱田港へと向かうのだった。


 ◇


 視察地である熱田港に到着すると、熱田港を含めたこの一帯を任せている千秋季忠が出迎えた。


「殿、お方様、お待ち申し上げておりました」


「年末の忙しい時期に申し訳ない。迷惑をかけるがよろしく頼む」


「他の護衛の兵士はどちらに?」


 視察団一行を見回した千秋季忠が善左衛門に視線を止めた。

 護衛の少なさに驚いているようだ。


「あまり大人数できても迷惑だろ? 今回はこれで全員だ」


「忍者の皆様は?」


 視線を向けられた百地丹波が静かに首を横に振った。


「護衛の兵士たちはこちらでご用意いたします」


 せっかく身軽に動き回れるようにと、善左衛門の猛反対を押し切って護衛を減らしたのにそれでは意味がない。


「自分の領地なのに大勢の護衛は必要ないだろ?」


「ですが、土佐一条家からもお客様が訪ねて来られると伺っております」


 土佐一条家からの来客は小早川さん。

 彼の来訪の目的は桔梗のデートである。


 あちこちに護衛が見え隠れしていてはせっかくのデートが台無しだ。


「千秋季忠の治める領地にそんな大勢の護衛は必要ない。私が如何にお前を信用しており、この地が如何に安全かを一条家の者たちにも知らしめたい」


「それは……」


「ただの視察だ。そんな大勢を引き連れて視察なんてできないだろ?」


「おっしゃることは分かります。ですが、万が一と言うこともございます」


 粘るな。


「今日の昼頃には土佐一条家の船団が到着する予定だ。そちらの出迎えに兵士を割かなくても大丈夫なのか?」


「万事抜かりなく手配しております」


 九鬼嘉隆が先導する船が一条家の船団を出迎えに行っていることが告げられ、


「ささやかながら、冬の味覚をご用意させて頂いております――――」


 到着後の手はずも抜かりがないこと、入念な準備がされていることが語られた。


 どこの大名が来るって言うんだよ。

 まるで一条さん本人を出迎えるようじゃないか。


「客人といっても、私の友人のようなものだ。そんなに気を使う必要ない。気楽に接してくれ」


「殿のご友人となれば――」


「千秋殿、殿もお方様もお疲れだ。細かなことは我らで話そうではないか」


 畏まる千秋季節忠の言葉を善左衛門が遮ると、


「承知いたしました」


 千秋季忠は、即座に善左衛門の案に乗った。

 二人して何か企んでないだろうな?


 ◇


 視察の間、滞在する屋敷の一室で寛いでいると、廊下を走る音が急速に近づき、


「殿! 大変でございます!」


 右京が慌てて飛び込んできた。


「どうした? 騒々しいヤツだな」


「間もなく土佐一条家からのお客人が到着するのだ。少し落ち着いたらどうだ」


 俺と善左衛門から窘められた右京は、なんとか固唾を飲んで落ち着くと、


「大変でございます! 土佐一条家の船団がご到着されました!」


「予定通りだな」


「無事に到着されたのだろ?」


 右京の慌てぶりに、何か重大な事故でもあったのかと一抹の不安がよぎる。

 この時代の日本の船には竜骨と呼ばれる、船の強度を上げるための構造がなく、波の高い太平洋を航行するのは困難があった。


 土佐一条家では竜骨構造のある船を開発し終えた新型船を熱田へ届けるのが目的の一つだと半兵衛から聞かされていたのだが、途中、何かしらの事故が起きる可能性はある。

 俺が胸騒ぎを覚える傍ら、善左衛門が問い質す。


「それとも何か問題でも起きたのか?」


「土佐一条家のご当主とその奥方も船に乗っておられました」


 右京が泣きそうな顔で言った。


「一条さんが来たのか!」


 なるほど、実に一条さんらしい。


 これは小早川さんと桔梗のデートを間近で見るためだな。

 これは楽しい熱田視察になりそうだ。


「土佐一条家のご当主と奥方だと! 右京、護衛だ! 護衛をすぐに手配するよう千秋殿に伝えよ!」


 善左衛門が慌てて腰を浮かした。


「既に護衛と宿泊される屋敷を手配するため四方に人を走らせておいでです」


「そ、そうか。そうだな」


 善左衛門が安堵のため息を漏らした。


 図らずも気を回し過ぎと思えるほどの準備を進めていた千秋季忠の行いが吉とでた。

 あとで褒美をだすとするか。


 さてそれはそれとして、一条さんが奥さんを同伴してきたとなると、ダブルデートでなくトリプルデートで予定を組み直さないとな。

 俺は予想した以上に楽しくなりそうな熱田視察に胸を躍らせながら、一条さんの出迎えに向かう準備を進めた。



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