第163話 土佐一条家(5)

 土居宗珊どいそうざん、珠の一行は一条兼定いちじょうかねさだ小早川繁平こばやかわしげひらの二人から距離をとってゆっくりと付いてきていた。


「小早川様は上手く説得してくださるでしょうか?」


 珠が心配そうに宗珊を見る。


「少なくとも我々が説得するよりは可能性があるでしょう」


「しかし、殿も頑固なところがあります」


「奥方様、ここは小早川様を信じましょう」


 宗珊が清々しい顔で丸投げをすると、珠もすかさずそれに便乗することを選ぶ。


「そ、そうですね。小早川様は良識のあるお方ですから」


「そうですとも。殿と違って良識がありますからな」


 宗珊と珠の乾いた笑いが冬の空に響いた。

 背後でささやかれる声が前を行く兼定と繁平には届くはずもない。

 それでも雰囲気を察することはできる。


「どうしたの、小早川さん?」


「いえ、何でもありません」


 背後から異様なプレッシャーを感じた繁平は己を鼓舞するように言い聞かせる。

 一条さんの熱田行きを阻止できない以上、次善の策としては熱田訪問を無事に終えて帰ってくることだ。


 繁平はいつの間にか思考を切り替えていた。

 如何に熱田訪問が安全であるかと兼定が竹中領を訪問すべき必要性を創り出すために思考を巡らせる。


 目的はただ一つ。土居宗珊の説得である。

 そんな繁平の苦悩をよそに兼定が次に向かった先はガラス工房であった。


 二人が工房に足を踏み入れると職人たちの動きが一斉に止る。次いで壮年の職人が慌てて駆け寄り、畏まった様子で兼定に用件を尋ねた。


「本日はどのようなご用件でしょうか?」


「見学だよ」


 と軽く告げ、勝手に見学するから気にせずに作業を続けるよう言うが、職人たちとしては『はいそうですか』とはいかない。

 繁平と二人で先に進もうとする兼定に食い下がり、数名の案内役がすぐさま用意された。


「こちらが新式の双眼鏡です」


 京で公家に連なる姫たちを集めてお茶会をした際に、兼定たちが覗きに使った双眼鏡よりも二回りほど大型化した双眼鏡を兼定に渡す。


「またですか?」


 繁平が京での『姫様とのお茶会』を思いだして背後を気遣う。

 繁平による兼定説得のため距離を取っていたのが幸いし、土居宗珊と珠たち一行はまだガラス工房の中には入ってきていなかった。


「違う違う。今回はやましいところは一つもないから、見つかっても大丈夫だって」


 兼定は笑ってそう返すと、


「見た目の割には随分と軽いな」


 弾んだ声で双眼鏡を覗き込む。

 その反応に職人たちの心配そうな表情が一変、安堵の表情を浮かべると双眼鏡の説明を始めた。


「ご指示のあった『長時間水に浸かっていても問題なく使える』、という性能には届きませんが、短い時間でしたら水の中に落としても問題なく使えます。さらに、ガラスの製造技術と研磨技術の向上により、以前のものよりもはっきりと見えるようになりました――――」


 改良の主題である防水技術の説明とより鮮明に像を結べるようになった双眼鏡の性能について説明を聞いた兼定が職人たちの労をねぎらった。

 そして、ひとしきり褒め、


「今日、持ち帰れる物は幾つある?」


 と訊いた。


「すべて試作品となりますが、こちらを合わせて三つございます」


「すべて持ち帰っても今後の開発や改良に差しさわりがなければ持ちかえりたい」


「問題ございません」


 職人が即答した。

 兼定は他の工房の視察を終えたら帰りに寄る旨を告げ、今回の視察で出来映えを確認したかった別の試作品を要求する。


「例の試作品を見たいんだが大丈夫か?」


「お見せできる機会を心待ちにしておりました」


 案内の職人が目配せすると後方に控えていた若い職人が進み出る。

 そして手にした細い茶筒のようなものを恭しく兼定に差し出す。


「こちらでございます」


 兼定が受け取ったものを見て繁平が首を傾げた。


「望遠鏡ですか?」


「スコープだよ。鉄砲に取り付ける」


「狙撃するつもりですか? 火縄銃って、そんなに命中精度の高い銃でしたっけ?」


 繁平が自分の記憶を手繰るがそんな情報はかけらもでてこない。


「いまの鉄砲には狙撃ができるほどの精度はないだろうけど、改良が進めばそう遠くない将来には狙撃も可能になるんじゃないかな? そうなれば精度の高いスコープが必要になる」


「狙撃ができる銃の開発の目処が立ってからでも良かったのでは?」


「どうかな? 案外早いかもよ」


「竹中さんと伊東さんのところですか? 確かにもの凄いお金をかけているようなことを言っていましたね」


 尾張と美濃を領有する竹中半兵衛と日向を治める伊東義益の二人が鉄砲の製造・開発のために人材を集め、多額の費用を投じていることを繁平と兼定は『茶室』を通じて知っていた。


「スコープが先にできたとしても、大きく見えれば多少は命中精度があがるんじゃないかな?」


「これ、随分と開発費がかかったんじゃないですか? 土居さんに怒られても知りませんよ」


 熱心にスコープを覗き込んでいる繁平の肩に手を回すと、


「おや? そんなことを言ってもいいのかな?」


 兼定が意地の悪そうな笑みを浮かべる。。


「何ですか?」


「こいつを開発した技術を応用して、次は顕微鏡を作る計画があるんだ」


「顕微鏡……」


 絶句する繁平に兼定がさらに追い打ちをかける。


「確かにスコープ開発にお金はかかったけど、その技術は顕微鏡を含めて色々と再利用できるんだよなー」


「作りましょう! 顕微鏡!」


「欲しいよね、顕微鏡」


「絶対に必要です!」


「注射器も試作品があるんだ」


「注射器! もしかして注射針もあるんですか?」


「注射針も作らせるよー、極細の注射針だよ」


「一条さん、素晴らしいです!」


「注射器や注射針だけじゃなく、医療関係の道具に関して、小早川さんの意見が聞きたいな」


「ガラスと鉄製品の研究開発をガンガン進めましょう!」


「でもさー、当主だからって俺も好き勝手できなんだよねー。土居さんとか、土居さんとか、土居さんとかさー」


「土居さんの説得は任せてください。土居さんの奥さんや娘さん、何でしたらお孫さんにも協力してもらって説得します。大丈夫です、彼女たちは味方になってくれます!」


 外堀は容易に埋められると断言した。


 家中の主だった者とその家族の健康管理を、繁平は一手に引き受けていた。

 健康になれば肌の張りや髪の艶もよくなる。


 当然のように家中の婦女子の間で繁平の評判は一変した。

 沼田小早川家を隠居させられた気の毒な若殿から健康と美貌をもたらす悲運の当主へと。


 今や、家中の婦女子からの信頼は絶大なものとなっていた。

 当然、彼女たちは繁平の言葉に耳を傾ける。


「やってくれるか、小早川さん!」


「私と一条さんの仲じゃないですか!」


 土居宗珊が当主説得のための最大武器と目していた男が、自身の妻や娘、孫娘もろとも兼定の味方になった瞬間だった。



【予告】

次回から熱田視察エピソードとなります


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