第162話 土佐一条家(4)

 ――――一五六〇年二月 一条兼定の居城 中村城


 一条兼定いちじょうかねさだの診療を終えて城内に用意された居室に戻った医師を土居宗珊どいそうざが掴まえた。


「殿のご容態はどうだ?」


性質たちの悪い風邪でしょう。安静にして栄養のある食事をお摂りいただくしかございません」


 具体的な治療方法はなく自然な回復を願うしかないと言外に告げた。


「それでは――」


「幸い、お殿様は若く体力がございます。三日……、三日持ち堪えれば回復の兆しも見えてくるかと」


 何とも頼りないことを言うと、宗珊が内心で歯噛みする。


「あたりまえだ! 殿には何としてでもご快復頂かないければ」


 昨夜、突然の高熱で倒れてから意識が戻っていない状態が続いていた。

 倒れたのは、ここ中村城の主であり、土佐一条家の若き当当主である一条兼定。跡継ぎ不在の状況で万が一のことがあれば一大事である。


 家中をまとめる要職にあるというだけでなく、幼いころから兼定を叱咤激励しったげきれいしてきた宗珊からすれば胸が締め付けられる思いであった。

 慌ただしく廊下を走る音が聞こえたと思うと、引き戸の外から若い武将の声が響く。


宇都宮豊綱うつのみやとよつな様の姫様がご到着されました」


「そうか、今日であったな……」


 予定通りとは言え、『なんとも間の悪いときに到着したものだ』、と宗珊が苦虫を噛みつぶしたような表情を見せた。


「宇都宮様もご一緒でございます」


「豊綱殿と姫様を離れにお通ししろ。詳しい話は私からする。それまで殿のことは伏せておけ」


「承知いたしました」


 若い武将が足早に立ち去ると、昨日までの華やかな雰囲気を思いだした医師が訊く。


「御輿入れですか……」


「うん」


「御輿入れ早々、奥方様まで倒れては大変です。宇都宮様の姫をお殿様に近づけぬようにしてください」


 原因不明の高熱で生死の境をさまよっているのだから当然の指示である。

 宗珊も深くうなずいて承諾した。


「他に気を付けることはあるか?」


「容態が急変しない限り、見守るしかございません」


「分かった。宇都宮様と姫には私から説明するので、貴殿はそのまま別室で休んでいてくれ」


 宗珊はそう言い残して離れへと向かった。


 ◇


 離れに通された宇都宮豊綱であるが、中村城に足を踏み入れてすぐに城内の様子が普段と違うことに気付いた。

 なんとも居心地の悪いざわつきが城内を支配している。


 正式な祝言は半月ほど先ではあるが、今日は娘の珠が主君である一条兼定の正室として嫁いでくる日だ。

 本来歓迎されるはずの自分たち親子が、歓迎されている様子がまるでないだけでなく、対応したものたちの様子がどこかよそよそしく感じた。


 不満よりも不安が先に立つ。


「城内が随分と慌ただしいようだが、何かあったのか?」


 お茶を持ってきた女中に豊綱が訊いた。


 だが、女中が答えられるわけもなく、いまにも泣きそうな顔を見せると『申し訳ございません』、と言い残して逃げるように部屋を出て行ってしまった。


「父上……」


 珠が不安げな顔で父である豊綱を見る。


 名門、土佐一条家当主の正室としての婚姻である。

 ここまで障害がなかったわけではないし、母方の実家である大友家から横槍が入ることも懸念していた。


 だが、懸念は杞憂に終わり今日に至った。

 当然、珠もそのことは知っている。

 再燃したその懸念が豊綱の脳裏をよぎり、珠の心を掻き乱す。


「宇都宮殿、珠殿、ようこそ起こしくされた。歓迎いたしますぞ」


 声と共に土居宗珊が現れた。

 だが、その表情は言葉とは裏腹に翳がある。


「土居様、家中で何か問題でも起きましたか?」


 いまになって娘の婚姻に横槍が入ったのでは、と不安に思うがそれは口に出さない。


「……実は昨夜、殿がお倒れになりました」


 隠しても何れ知れること、と事実を伝えることにした。


「ご容態は?」


 先ほどまでの身勝手な杞憂が霧散する。


「三日……、三日持ち堪えれば助かると医師は申しておりました」


 裏を返せばこの三日間がとおげと言うことになる。

 豊綱が身を乗り出す。


「せめてお見舞いに――」


 宗珊はそんなと豊綱の言葉を遮ると、傍らで顔を蒼ざめさせる珠に好々爺然とした笑みを見せる。


「殿は原因不明の高熱で浮かされており、意識もはっきりしない状態です。万が一、珠殿が倒れられては殿がご快復されたときに悲しみましょう」


 そして、兼定に近付くなと言外に語った。


 ◇


 ――――一五六〇年十二月 名もなき工房区画


 ガラス工房へと向かう兼定の歩みが緩やかになったと思うと、転生直後のことを小早川繁平こばやかわしげひらに語りだした。


「俺たちって夜中に突然高熱をだして倒れただろ? 珠ちゃんが中村城に嫁いできたのって、その初日なんだよ……」


 彼ら八人が転生者として記憶を取り戻すきっかけとなったのが、生死の境を彷徨さまようほどの高熱であった。その事実を全員が『茶室』での情報交換で知った。

 繁平が無言でうなずくのを目の端で捉えた兼定が話を続ける。


「口さがない連中は俺が高熱で倒れたのが、まるで珠ちゃんの責任でもあるかのように言うんだ」


 表立って口にしない者も陰でささやいたり、口にこそしなくとも態度に現れていたりしただろうことは容易に想像できた。

 繁平の場合はもっと間が悪く、小早川隆景の配下から届けられた食材を口にしたその日に高熱で倒れた。


 あとから聞いた話だが、逆上した田坂頼賀よりよしが隆景のところへ一人で討ち入ろうとするのを下男と下女が必死になって止めたそうだ。

 隠居の身である己でさえそんな騒ぎになるのだ。土佐一条家の当主が謎の高熱で生死を彷徨うとなれば家中は大騒ぎだったろうし、その矛先が弱者である珠に向くのも十分に想像できた。


「珠ちゃんの立場からすれば、自分が嫁いできたら旦那になる相手が謎の高熱で生死の境をさまよう状況ってだけじゃなく、当主の生命が危うって言うんで家中が騒然としているんだ」


「オロオロするしかなかったでしょうね」


「しかも、嫁いできたばかりだから俺に近づくこともできない。というか、遠ざけられていたらしいんだ……」


「一条さんにはどうしようもなかったことです」


 繁平の優しい言葉を否定するように兼定はゆっくりと首を振った。


「十五歳の少女には酷だったよな……」


 消え入るような語尾と、寂しそうな、悔しそうな表情から兼定の後悔の気持ちが伝わってきた。


「……そこからだと思う。歯車が狂い始めたのは」


「そこから?」


「俺が意識を取り戻したときには珠ちゃんと距離っていうの? いや、溝っていうのかな? ともかく、ギクシャクしちゃってたんだ」


『それは一条さんの責任ではないでしょう』


 それを言えば家臣たちに責任があると言ってしまいかねないと、繁平は喉まで出かかったその言葉を飲み込む。


「でまあ、俺の方も転生したばかりで余裕なんてないし、珠ちゃんを放っておいたら益々距離ができて……」


「お互いに気まずくなっちゃったんですね」


「気まずい状態のまま三月には祝言。生き残るために大友との同盟関係を強化する必要があって、史実では珠ちゃんを離縁してるっていうしさ。何となく俺の中では『やがて実家に追い返す嫁さん』、って位置づけになっちゃったわけよ」


「不運に不運が重なった感じですね」


 すべては巡り合わせが悪かったのだと言う繁平に、


「不運なんてクソくらえだ! 俺は俺の手で運命を切り開くって決めたんだ!」


 突然、勢いよくそう言い放った。


「話が飛んでますよ?」


「俺もさ、思うところあって色々と反省したわけよ。話が飛んだのは、その、察してよ」


「その色々が気になりますね」


「あれー? そんなこと言っていいのかな? 熱田で虐めちゃうぞ」


「やめてくださいよ」


「で、何でこんな話を聞きだしたんだ?」


 意外と鋭い、と繁平が覚悟を決めた。


「土居さんが一条さんの熱田行きを嗅ぎつけました」


 いたのが侍女であることと、これから詳細を報告するのが自信であることは伏せた。


「珠ちゃんか……、いや、侍女だな」


 兼定が年配の侍女を思い浮かべる。


「犯人捜しはやめましょう。それよりも解決策を模索しませんか?」


「土居ちゃんを説得する方法か」


 違う。そうじゃない。

 内心でそう叫びながらも、


「ソフトランディングしましょう。出来るだけ穏やかな解決策を一緒に考えましょう」


 兼定の熱田行きを阻止するのは『戦でも起きない限り無理だろうと』と、半ば諦めて宗珊を説得する方向に思考を切り替えた。



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本日(2020年1月24日 第6話 ① 更新されました!

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