第161話 土佐一条家(3)

「着いたようだな」


 兼定のつぶやきが聞こえたかのようなタイミングで馬車が停車し、外から扉を叩く音が響いた。続いて土居宗珊どいそうざんの声が聞こえる。


「到着いたしました」


「寒い中、こんなところまで引っ張りだしてすまないね」


 馬車から降り際に兼定が土居宗珊に声をかけた。

 上機嫌な兼定の後姿を目で追う宗珊であったが、すぐに珠と侍女二人へ眼差しを向けた。


 だが、珠たちは特に反応もせず、いつものように澄ました顔で馬車を降りる。

 最後に馬車を降りる小早川繁平こばやかわしげひらが、心配そうに兼定の後姿を視線で追う宗珊に声をかけた。


「土居さん、どうかされましたか?」


「小早川様、移動中に何かございましたか?」


 土居宗珊が兼定の方を気にしながら聞いてきた。


 少し離れたところから注がれる珠と侍女たちの視線に、自分が宗珊への告げ口役として期待されているのだとすぐに察する。

 宗珊のことを心配して声をかけた軽率な行動を呪うが後の祭りである。


「どうしてそう思ったんですか?」


 繁平は宗珊の勘の鋭さに舌を巻きながら問い返した。


「殿がいつになく上機嫌ですし、お方様と侍女たちの顔色が優れなかったので馬車の中で何かあったのでは、と心配になりましてな」


 軽い口調で快活に笑っているが目は笑っていない。


「領民たちが新しい馬車を見て驚いてくれたから上機嫌なんだと思いますよ。お方様と侍女のお二人は慣れない馬車でお疲れになったのでしょう」


「私が知らなくてもよいことであれば、それに越したことはございません。ですが、もし思いだされましたら後ほどでよろしいので、詳しいお話をお聞かせいただけますな?」


 繁平だけで解決できるのであれば白状する必要はない、と笑顔でほのめかす。

 宗珊の醸し出す雰囲気に『逃げられそうにない』と悟った繁平が、内心で天を仰ぎながら厄介事を引き受ける覚悟を固めた。


「正確には移動前からですが……、あとで詳しいお話をします」


「そうですか。では、後ほど相談に乗らせて頂きましょう」


 いつの間にか問題解決の主導が自分になっていることに己の未熟さを痛感する繁平だったが、悪あがきとばかりに一言口にした。


「今回の件、解決できなかったら大事になり兼ねませんので、くれぐれもよろしくお願いしますね」


「大事、ですか……」


 脅かさないでください、と言いたげな表情をした宗珊と半ば諦めた表情の繁平。その二人の視線が同時に兼定の後ろ姿に注がれる。


「町の名前も考えないとな」


 当の兼定はそんな独り言をつぶやきながら大きく伸びをしていた。


 ◇


 鉄砲工房の視察を終えて工房の外へ出ると笑顔を引きつらせた宗珊が繁平を待ち構えていた。

 宗珊と目が合った瞬間、繁平の視線が珠と侍女二人に向けられる。すると、年配の侍女が目を逸らした。


 繁平はその瞬間、兼定の熱田行きの計画がバレてしまったのだと理解する。

 思い余った侍女の一人が移動中の出来事を知らせたのだと。


「土居さん、どうしました?」


「小早川様が付いていながらなぜそのようなことになったのですか!」


 土居宗珊のささやきが繁平の良心を抉る。


「どうして、と言われましても……。いま思い返しても、どうしてそうなったのか不思議でなりません」


 繁平にしても『気付いたら』としか言いようがない。

 自分に何ができたと思うのか、と視線で訴えるが宗珊は届かなかった。


「殿の暴走を思い止まらせることができるのは、小早川様しかいないのですぞ。お願いですからしっかりしてください」


『筆頭家老のあなたがしっかりしてください』、と思わないでもないが、繁平としても宗珊の働きや苦労を知っているので、つい、同情してしまう。


「起きてしまったことは取り返しがつきません。これをどう乗り切るかを考えましょう」


 繁平の言葉に宗珊がうなずいた。


「それで、殿の熱田行きをどのように阻止されますか?」


「それって私の役割ですか?」


「小早川様がやらずに他の誰ができるというのです」


 押し付けられたな。

 とは思うが第三者の立場で見れば自分が適任であることも理解できる。


「分かりました。この視察の間にできる限りのことはしてみます」


「おお! 頼りにしておりますぞ、小早川様!」


 宗珊が繁平の手を握った。期待の大きさに比例しているのか、痛いほどの力強さだ。

 それに反して繁平は力ない笑顔で応える。


「視察の間、一条さんと話をしたいので、皆さんには少し距離を取るようお願いいたします」


 茶室の話題に触れる可能性もあるのでその対策を講じる。


「もちろんでございます。すべて、小早川様にお任せいたします」


「解決できるかは分かりませんが、最善の努力をします」


「吉報をお待ちしておりますぞ」


「またご相談させて頂くと思いますのでそのつもりでお願いしますね」


 どうにもみ合わない会話を切り上げた繁平は、兼定の方へと足取り重く歩を進めた。


 ◇


『そもそも熱田行きを中止させることなんてできるのかな?』、と繁平が悩んでいると兼定の方から話が切りだされた。


「熱田には長距離航行用に開発している新型の船も引き連れて行こうと思うんだ」


「新型船の開発は極秘事項ですよね?」


 単に長距離航行用というだけでなく大砲を搭載できる。

 海上戦に投入する戦力であるから、当然、他国の目にはギリギリまで触れさせないで置くべきだと繁平が主張するが、兼定はこれを一蹴した。


「秘密兵器は他にもあるから、新型船を遠目に見られても問題ない。むしろ、こちらの戦力を過剰評価してくれれば儲けものだな」


「本当は商人たちが驚く顔が見たいだけでしょ」


 繁平の言葉に曖昧な笑みを浮かべると、


「それも半分あるかな。でも一番驚かせたいのは三好と北畠だよ。三好と北畠の鼻先をうちの船団が悠然と航行して竹中領の熱田へ向かう。一条家の力と同盟の強固さを示すいい機会だろ」


 冗談めかして口にした。


「三好や北畠が攻められたと勘違いして戦に発展しませんか?」


「朝廷には根回ししておくさ。三好と北畠にも朝廷を絡めて手紙をだすことにするよ」


 助言を感謝する兼定に繁平が思い切って切りだす。


「本当に一条さんも熱田に行くんですか?」


「小早川さんの晴れ舞台なんだから側で応援しないと!」


 兼定が目を輝かせる。

 本気で繁平の恋路を応援しているのが伝る。

 嬉しい気持ちを抑えて繁平が言う。


「行先が竹中さんの領地とはいえ、道中は危険がありますし、現地でも暗殺者が潜んでいないとも限りません」


「危険なのは承知しているよ」


「せめて、奥さんだけでも同行させないようにはできないのでしょうか?」


「無理かな。目的の一つになっちゃったから」


「やっぱり奥さんとの関係修復も兼ねているんですね」


「珠ちゃんに竹中さん夫婦の仲の良さと小早川さんと桔梗さんのラブラブを見せつけて触発させようというゲスイ考えだけどね」


 自虐的な笑みを浮かべる兼定に繁平が問う。


「土居さんをどう説得するんですか?」


 兼定が天を仰ぎ見た。


「説得できるとは思ってないよ。でも、俺の正直な気持ちを話すつもりだ」


「それは……」


 兼定の雰囲気が変わったことに気付いた繁平が口を閉ざし、兼定が話を再開するのを待つ。


「珠ちゃんが嫌いなわけじゃないんだ」


 兼定がポツリと言った。


「それはよく分かります」


 普段の様子を見ていても、お互いに距離こそ置いていても気遣いが感じられる。


「転生したばかりのとき、三日間高熱で寝込んだだろ? 珠ちゃんはあの日の初日に嫁いできたんだ」


 兼定が転生直後のことを語りだした。




―――――――――

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