第159話 土佐一条家(1)

 土佐一条家の居城、中村城の渡り廊下を身なりの良い二人の男が歩いていた。


 前を歩いているのは百八十センチメートルを超す長身に端正な顔立ちの若者で、線の細さは感じられるが美丈夫と呼ぶにふさわしい容姿である。

 後を追うのは百五十センチメートルほどの、小柄でやや小太りの若者。どことなく自信のなさそうな顔つきをしていた。


 前を行く若者は一条兼定いちじょうかねさだ。わずか一年足らずで四国の半分以上を切り従えた大大名、土佐一条家の当主である。

 後を追っていたのは小早川繁平こばやかわしげひら。沼田小早川家の先代当主であったが、毛利元就の策謀によりその地位を追われ、いまは土佐一条家の食客となっていた。


 繁平が兼定に訊く。


「一条さん、いいんですか?」


 あとで土居宗珊どいそうざん殿に怒られますよ、との言葉は口にしなかったが、言いたいことは伝わった。


「宗珊にはすべての準備が整ったら話す」


「事前に説明して許可をもらいましょう、と言っているんです」


 そうでないと、あとで私が小言を言われます。という言葉も飲み込むが、兼定は背後に宗珊の影を感じ取っていた。


「宗珊もずるいよな。最近じゃ、直接、俺に言わないで、何でもかんでも小早川さんに言わせるんだもんなー」


 土居宗珊は彼の主君である一条兼定が食客である小早川繁平の意見を尊重することを京の都に滞在している間に見抜き、いまでは繁平を自分の代弁者として活用していた。

 竹中半兵衛から宗珊が優秀な人材であると知らされていたが、最近では頻繁にその言葉を思い返すことが多くなっていた。


 俺の操縦方法を把握しつつあるよな。

 宗珊対策の必要性を感じていると、繁平の言葉が耳に届いた。


「お世話になっている手前、できるだけ協力したいと思っています」


「協力するなら俺に協力してよ」


 兼定の言い分を繁平が聞き流す。


「竹中さんも言っていたじゃないですか。土居宗珊殿を大切にするように、って」


「十分大切にしているよ」


「そうは思えません。土居殿が胃潰瘍いかいようになったら一条さんのせいですからね」


「小早川さんに言われると重みがあるなー」


 廊下を歩きながらそんなやり取りをしていると、前方から三人の女性が歩いてきた。


「旦那様、このようなところで何をされていたのですか?」


 十代半ばの大人しそうな少女が穏やかに問いかけた。

 少女の名前はたま


 伊予一帯を支配する宇都宮豊綱うつのみやとよつなの娘で、一条兼定の正室である。

 付き従っている二人の女性は彼女の侍女たちであった。


「台所に行くところだよ」


 これまで台所に近寄ることすらしなかった兼定であったが、今年の春先から頻繁に台所に足を運んでいた。

 現代日本風の料理を再現することが目的なのだが、周囲の者たちはそんなことは知らない。


 台所の女中に意中の相手でもいるのではないか、と城内ではすぐに噂となった。その噂は侍女を経由して正室である珠の耳にも入ってくる。

『お殿様が隠れて台所女中の誰かと逢引きをしている』と。


「そう、ですか……」


「どうしたの、珠ちゃん?」


 兼定がうつむく珠を気遣うが、彼女はうつむいたまま泣き出しそうな声で答える。


「いえ、何でもございません」


「顔色が悪いよ」


 兼定の手が珠の額に当てられた。


「こんなところで!」


「熱はないようだな」


 兼定が心配そうに顔を覗き込む後ろで、繁平が珠を気遣うように口にする。


「台所にお弁当を作ってもらいに行くんですよ」


「お弁当、ですか?」


 珠が繁平を見た。


「ええ、これから一条さんと建設中の町の視察に行くんです。夕方までかかる予定なので、お弁当を用意してもらおうとしたんです」


 医療施設と様々な工房を集めた町を、中村城の城下町から然程さほど離れていない場所に建造中であった。


「まさか、お二人だけで?」


「そのつもりだ」


 兼定が即答する。

 驚いたのは同行する繁平だ。


「え? 二人? 聞いてませんよ」


「いま、言った」


「護衛の者はご一緒では?」


 よもや、と疑いつつ珠が訊いた。


「いらない」


「付けます。護衛は付けます。それに出掛ける前に土居宗珊殿にも、許可をもらいますし、挨拶もしていきます」


 当たり前のように護衛を付けないと告げた兼定の言葉を繁平が必死に取り繕う。


「ちょっと、城下町の外れに行くだけだから必要ないって。他国へ行くわけでもあるまいし、俺の領地、それも城下からそれほど離れていないところを歩くだけなのに大袈裟だな」


「そういうわけにはいきませんよ。一条さんは大名なんですよ」


「小早川さんは心配性なんだよ」


「普通だと思います」


「あの、それで護衛は……?」


「付けますから安心してください」


 繁平の言葉を聞いた珠が兼定をじっと見つめると、彼は諦めたような表情で両手を挙げた。


「降参だ。護衛は連れていく。そうだな、五人連れていく。約束する」


「五人ですか?」


 珠が心配そうに兼定を見た。


「分かった、十人だ! 十人連れていく」


「それなら……」


 十人の護衛が十分な人数なのか、視線で繁平に問いかける。


「そうだ! 奥方もご一緒に如何ですか? 護衛十人と侍女を引き連れて皆で視察に行きましょう」


「え?」


 侍女二人と珠の声が重なった。

 戸惑う三人をそっちのけで繁平が話を進める。


「土居宗珊殿もお誘いしましょう」


「ちょっと、小早川さん、何を言ってるの?」


 慌てた兼定が繁平の口を押えようとするが、繁平はそれをかわして珠に訊く。


「土居宗珊殿がいれば、奥方も安心ですよね?」


「そうですね……」


「安心だそうですよ、一条さん」


「分かった、分かった。土居宗珊も連れて行く」


 兼定が天井を大袈裟に仰いだ。


「あの、旦那様? 本当に、私などがご一緒してよろしいのですか?」


「珠ちゃんさえ良ければ一緒に視察しよう。俺が新しく作っている町を見てもらいたいな。それとも外にでるのは嫌かな?」


「ご一緒いたします」


 珠はどこか嬉しそうにそう答えた。


 ◇


 珠たちに出掛ける準備をするように言い、兼定と繁平の二人は台所へと向っていた。


「一条さんはもう少し奥さんのことを考えるべきです」


「小早川さんの口からそんなセリフを聞くとは夢にも思わなかったよ」


 そう言って笑う兼定に憮然ぶぜんとした表情で返す。


「からかわないでください」


「珠ちゃんには優しくしているつもりだけどなー」


「先週、村の視察と称して側室探しをしていたじゃないですか? 奥さんはそのことに気付いてますよ」


「え!」


 気付かれないように上手くやっていたつもりだった兼定は心底驚いて繁平を振り返るが、


「絶対、気付いています」


 彼の口から出てきたのは念押しの言葉だった。


「気付かれないようにしたつもりだったんだけどなー」


「本気で言ってます?」


「もちろん!」


 胸を張る兼定を見て繁平が肩を落とした。


「そんなことだから妹さんにダメ出しされるんですよ」


「あ、それは言っちゃだめだろ」


「てっきり昔の一条さんに対してダメ出ししているのかと思ったら、つい最近も同じようにダメ出しされているじゃないですか」


 京での兼定と彼女の妹とのやり取りが脳裏をよぎる。


「質が違うよ、質が。昔と違って最近の俺は頑張ってるよ。宗珊の言うこともそれなりに聞いている」


「当たり前です。死にたくないでしょ」


「そうなんだよ、長生きさせてくれよ、小早川さん」


「そっちは私が頑張りますから、一条さんは奥さんのことをもう少し大切にしてください」


「はいはい。大切にします」


 兼定は肩のあたりまで両手を挙げてうなだれた。


「可愛い奥さんがいるんですから、側室なんて必要ないでしょ」


「この時代、大名が側室をとらない方が不自然じゃないか?」


「私も良く分かりませんが、普通の大名は村娘から側室はとらないんじゃないですか?」


「そうかな?」


「そうだと思いますよ、多分。今度の茶室で皆に訊いてみましょう」


 この時代と女性問題に疎い二人の会話なので、どうにも決め手に欠けた。

 この話をこれ以上しても埒が開かないと思った繁平が話を戻す。


「一条さんは奥さんのことを大切に思わないんですか?」


「大切に思っているよ。可愛いとも思う。可愛いんだけど、いずれ実家に帰すことになるんだよな……」


大友宗麟おおともそうりんの娘でしたっけ?」


 史実の一条兼定は大友宗麟と同盟するため、正室の珠と離縁して彼女を実家に帰し、宗麟の娘を正室に迎える。


「あまり情が移らないようにした方がお互いのためでもあるだろ?」


 兼定の口から珠をおもんばかってのことだと告げられた。


「歴史も変わっていますから、そんな未来はなくなっているんじゃないですか?」


「いまの状況を鑑みれば、大友と同盟する可能性は高いよ」


 それは繁平も予想できた。


「一条さんの気持ちはどうなんですか?」


「できれば実家に帰すようなことはしたくない」


「なら、そうしましょうよ!」


 普段の繁平からは想像もつかないような強い口調で言った。

 対して兼定は気圧されるままに言葉を発する。


「そう、だな」


「歴史は変えられます! 愛した女性を歴史に逆らって守り抜きましょう、一条さん!」


「お、おう」


「奥さんと仲睦まじい未来を勝ち取りましょう!」


 繁平が拳を突き上げた。


「どうしたんだ、小早川さん?」


「私たちは自分の未来を勝ち取るんです!」


 そんな繁平を見て兼定が口元を綻ばす。


「それで、自分の方はどうなんだ?」


「え?」


「桔梗さんだっけ? くノ一の女の子」


「桔梗さんです、ね……」


「竹中さん、熱田で逢えるようにするって言ってたけど、上手く行ったのかな?」


「どうでしょう? きっと断られていると思いますよ」


 急に声が小さくなり、困ったような表情で頭をかきだした。


「小早川さんは、俺のことだと強気にヅケヅケ言うくせに、自分のこととなるとからっきしなんだよなー」


「そうでしょうか?」


「そうだよ」


 兼定のジト目を正面から受け止めた繁平の乾いた笑いが静かに漏れた。

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