第154話 熱田への出発準備

 稲葉山城の一室、荷造りの手を止めて大きく伸びをした右京が『少し休みませんか?』、とでも言いたそうな顔で俺を見る。


「もう昼食の用意ができてる頃じゃないでしょうか?」


「昼食の用意が整ったら小春が呼びに来るはずだから、よけいな心配をせずに手を動かしなさい」


 人選を誤った。

 黙々と荷造りするの辛そうだからと、話題が豊富で話好きの右京ではなく、無口だが真面目で整理整頓の上手い十助に命じるべきだった。


 右京が手を止めて口を動かす。


「明智様は清洲きよす城を出発された頃でしょうか?」


「何事もなければそうだろうな」


 京の三条家へ、久作に嫁ぐ予定のあき姫と北条さんに嫁ぐ予定のけい姫の二人の姫君を明智光秀あけちみつひでが迎えに行くこととなった。

 だが、明智光秀は清洲城の城代であり、尾張の統治を任せている。


 姫君を迎えに行っている間、城代不在と言うわけにはいかない。

 彼に代わって尾張を統治する者が必要となる。


 白羽の矢が立ったのは西美濃三人衆の一人、稲葉一鉄いなばいってつ殿。

 美濃でもトップクラスの有力領主であり、二度に渡る尾張侵攻戦でも十分な功績を挙げているだけあって異論を唱える者はいなかった。


 稲葉一鉄殿が清洲城に到着するのが一昨日おとといで、昨日、丸一日がかりで引継ぎをしているはずだ。

 予定通りなら明智光秀が京へ出発するのは今日の昼頃だが、光秀のことだから昨日中に部隊全員分の弁当を用意させ、昼前には出発しているんだろうな。

 

 俺がそんな風に思っていると、


「私だったら、しっかりと腹ごしらえをしてから出発しますが、明智様だったら二時間前行動とかしそうですよね」


 荷造りの手を休めた右京が軽やかに笑う。

 そのとき、恒殿とその侍女である小春の声が部屋の外から聞こえてきた。


「楽しそうですね」


「右京様、荷造りははかどっていますか?」


「寒いだろ、二人とも入ってきなさい」


 熱田へ向かう荷造りの手を止めて二人を部屋へと招き入れた。


「半兵衛様、間もなく昼食の用意が整います」


 恒殿の言葉に、俺と右京の返事が重なる。


「ありがとう」


「わざわざありがとうございます、お方様」


 荷造り途中の部屋を見た恒殿は、


「小春が手際よく手伝ってくれたので私の方は荷造りが終わりました。食事を終えたら小春と一緒にお手伝いしますので、どこから手を付けていいか仰ってください」


 そう言って、わずかに肩を落とした。

 その傍らで小春が冷ややかに訊く。


「右京様は午前中なにをされていたのですか?」


「えーと、荷造り?」


 たじろぐ右京に助け舟をだす。


「小春、私も右京も身の回りの荷造りは終わっているよ。今回の視察に必要な新製品や道具類が多くてね。それで手間取っていたんだ」


 ここ二、三日で届いた、新しく開発させた品々の荷造りに少々手間取っていた。

 それが部屋に散らばっている品々だ。


 俺と右京の足元にある新製品に目を留めた恒殿が訊く。


「これは何ですか?」


「新たに開発させている製品の試作品で、組み立て式のコタツです」


 それが昨日届いた。


「組み立て式? コタツを?」


「船は寒そうですからね。たとえ船の中でも恒殿に寒い思いをさせませんよ」


 この荷造りは熱田視察のためだったりする。

 津島港から船に乗って熱田へ向かうのだが、この視察に恒殿も同行することになった。


「それだけの理由で新型のコタツを作らせたんですか……」


「まさか、違いますよ」


「ですよね」


 恒殿が穏やかな笑みを浮かべた。


「旅行先や戦場にも持って行くつもりです。特に戦場の朝晩は冷えますから」


「さすが半兵衛さまです。誰も考え付かないようなことをお考えになるのですね」


 恒殿が尊敬の眼差しを向けた。

 その傍らで小春が何事もなかった様に訊く。


「視察に必要な新製品や道具類というのはこちらもですか?」


「こちらは?」


 続いて恒殿が訊いた。


「布団です」


 現代日本と違って、この時代はまともな布団などない。

 着物を布団代わりにして寝ている。


 現代知識を利用して作らせた布団モドキも麻の布を幾つも重ね合わせて作らせた、現代人の俺からすればとても布団とは呼べないような代物だ。

 だが今回、新たに作らせた布団は見た目からして違う。


 その布団を恒殿が興味深げに覗き込む。


「随分と厚くありませんか?」


「ちょっと、持ってみてください」


 俺は恒殿に新開発の布団を手渡した。


「軽い!」


「え?」


 恒殿の反応に小春も驚いた。


「小春も持ってごらんなさい。とっても軽いから」


「軽くてとても柔らかいです」


 新開発の布団を手にした小春が驚きの声を上げた。


「中にヤギの毛が詰まっているんだ」


「え!」


 どうやらヤギの毛というものにあまりいいイメージを持っていないようだ。

 小春の顔に嫌悪の色を浮かべ、抱えた布団を身体から遠ざけようとした。


「別に汚くないよ。熱湯消毒して清潔な毛を詰めたから安心しなさい」


「お殿様がそういうなら……」


 再び布団を抱え直す小春から、恒殿が布団を受け取って抱きかかえる。


「それでこんなに軽いんですね。それになんだかとても暖かそうです」


 恒殿が抱きかかえた布団を右京に渡し、着物の上から着られるウサギの毛皮で作った真白なロングコートを彼女に羽織らせた。


「布団とは別に、ウサギの毛皮でこういうモノも作らせました」


「とても柔らかいですね。それにフワフワです」


 コートの表面を興味深そうに撫でている。


「これはコートというモノで、こうしてボタンで留めるんです」


 ハマグリの貝殻を削って作らせたボタンを実際に留めてみせた。


「私もやってみていいですか?」


「お方様、お手伝いいたします」


 途端、恒殿と小春がキャイキャイ言いながらコートのボタンを留めだした。


「喜んで下さったようですね」


 右京が次の品物を俺に手渡した。


「まだありますよ」


 ウサギの毛皮で作ったロシア帽子とマフラー、手袋、ロングブーツを渡す。


「これもウサギの毛皮ですか?」


 一つ一つを丁寧に触りながら試着する。


「どうですか?」


 室内ではあったが、ロングブーツも含めてすべて着用してもらった。


「とても暖かいです」


「お方様、とても綺麗です」


 嬉しそうに微笑む恒殿とはしゃぐ小春。

 うん、実に可愛らしい。


 真っ白なコートに揺れる長い黒髪が映える。

 図面を見た職人の『白一色でこれを作るなんて無理です。素材が集まりません』、という抗議の声に耳を貸さなくて正解だった。


 視線で右京に合図をすると、


「小春殿、これは殿からだ」


 恒殿と一緒になってキャイキャイとはしゃぐ小春に右京がコートとロシア帽子、マフラー、手袋、ロングブーツが入った竹で編んだ箱を差し出した。


「まあ! 良かったわね、小春」


「え? え?」


 我がことのように喜ぶ恒殿とは対照的に戸惑いの表情でコート類の入った箱と俺の顔とを交互に見る。


「小春も恒殿と一緒に船に乗るのだから、寒い思いをしては可哀想だ、と右京が言うものだからね。色は白じゃなくて申し訳ないが、温かさは変わらないよ」


「殿、な、なにを、へ、変なことを言わないでください!」


「あ、ありがとうございます。お殿様、右京様」


 慌てふためく右京の声に続いて、頬を染めて泣き出した小春の声が室内に響いた。


「と、殿、昼食です。昼食にしましょう!」


 朱に染まった頬を膨らませる右京に続いて、恒殿が思いだしたように言う。


「ところで、昼食の用意が六人分と聞いていますが、どなたか同席されるのでしょうか?」


「そう言えば、言ってませんでしたね。百地丹波ももちたんば桔梗ききょうが同席する予定です」


「それでも四人分です。後の二人は?」


「ああ、荷造りを手伝ってもらったので、右京と小春も同席させるつもりでした」


「まあ、それはいいですね」


「お殿様、滅相もありません」


「殿、私は別室で頂きます」


 恒殿、小春、右京の声が重なるのと、百地丹波の声が廊下から聞こえるのが同時だった。


「殿、参上いたしました」


 振り向くと百地丹波の後ろに桔梗が付き従っている。


 桔梗も含めて相談したいことがあると手紙をだしたのだが、どうやらそのことは彼女に伝わっているようだ。

 顔色が悪くなるくらい緊張している。


「桔梗も一緒に来なさい。六人で昼食を摂りながら話をしよう」


「それは――」


 何か言いかけた百地丹波の言葉を遮って言う。


「先般、毛利領からの脱出を手助けしてもらった小早川繁平こばやかわしげひら殿から、『是非とも桔梗さんをいただきたい』と懇願こんがんされた。そのことについて相談したい」


 そう言って、俺は先頭に立って歩きだした。

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