第153話 熱田構想
さて、増援に参陣させる候補者も一通り
この辺りで締めて次の議題に進むとするか。
「叔父上、そろそろ
「おお、そうでしたな。まだその議題が残っていました。つい夢中になってしまい申し訳ありません」
叔父上が居住まいを正すと、室内が静まり返り、皆の視線が俺に集まる。
熱田構想。
現代の名古屋港を海の玄関口として大々的に開発する一大構想で、近い将来、九州から始まり、四国、尾張、駿河、関東を結ぶ太平洋側航路確立のための布石でもある。
「さて、
九鬼嘉隆の肩がビクンッと動いた。
そう警戒するなよ。
叔父上と善左衛門、明智光秀、本多正信の四人が、憐れむような視線を彼へ向けた。
無理もない。
熱田構想について事前説明ができていないのは九鬼嘉隆だけだからな。
そんな何も知らない彼に一つずつ確認するように問いかける。
「津島港周辺の様子はどうだ?」
九鬼一族には暫定の拠点として津島港を与え、
「
百地丹波の配下からの報告と一致していた。
とはいえ、数か月前まで一介の国人領主だった俺が、従四位下・
いくら自身が俺よりも上位の
長尾軍が撤退するまでは
「伊勢方面が平穏であるのは好ましいことだ。津島港の陸上兵力はそのままとし、九鬼水軍の半数を熱田港へ移動させたいのだが、懸念はあるか?」
「殿のご命令とあれば戻り次第直ちに熱田へ向かいます」
聞き方を変えよう。
「九鬼水軍の半数を熱田港へ移動させても津島港は守り切れるか?」
「一命に替えましても」
九鬼嘉隆が短く答えた。
予想はしていたがあまりに一本気で従順すぎる。
この辺りは今後の課題だな。
万が一、こちらの津島駐留の水軍を上回る戦力が押し寄せてきたら、船を捨てて陸上戦力と合流すればいいか。
「たかが港一つ、海域一つに命を懸けられては困る。津島港に残る者たちには、敵が攻めてきたら戦わずに陸上の駐留軍と合流するように言い聞かせておけ」
「は?」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした九鬼嘉隆に言う。
「聞こえなかったか?」
「い、いえ! 畏まりました。殿のご命令、必ずや伝えます」
さて、話を戻そう。
「九鬼一族は海運と漁を生業としているな?」
「はい」
九鬼一族や村上一族というと、現代日本では海賊のイメージが強いが、普段は沿岸での漁や海運などで生計を立てていた。
もちろん、他の海賊から守るという名目で
「海運や漁に精通している九鬼一族の中でも特に詳しい者や船大工を熱田港へ派遣して欲しい。いま、
「あれが……」
「心当たりがあるようだな」
「千秋様を訪ねた際に何やら港に大勢の大工が集まっておりましたので、何か大掛かりな工事が始まるのだろうとは予想しておりました」
ある程度の港の拡充くらいは予想していたようだな。
だが俺たち八人の構想にあるのはこの時代の人間が想像もつかないくらいの大規模で機能的な港と造船所だ。
図面を見たらさぞや驚くだろうな。
先月、千秋季忠と彼に集めさせた大工や船大工たちに図面を見せたときのことが脳裏をよぎる。
図面を初めて目にした者で、それが港と造船所だと即座に理解できた者はいなかった。
大名である俺が見せた図面が理解できないことに恐縮し誰もが言葉を失った。
だが、それが港であり造船所だと理解した途端、別の意味で言葉を失う。
よし、九鬼嘉隆に同行して熱田港に向かうとしよう。
「港は将来お前たちが使うことになるだろうから、要望があれば意見を言って欲しい」
「既に着工していたようですが……?」
「着工しているが、まだ第一段階でしかない。第二段階、第三段階と港の拡充を進める予定だ」
自分で言っておいてなんだが、千秋季忠や大工たちが聞いたら腰を抜かしそうだな。
「畏まりました」
緊張した面持ちの九鬼嘉隆に向かって、『実はまだ公にはしていないのだが』と前置きをして言う。
「一条家、伊東家、今川家、北条家でも港の拡充工事と造船所の建設を進めている。第一段階の建設計画が終わったところで、第二段階の拡充計画を改めて話し合うつもりだ。場合によってはその席に出席してもらう。私に恥をかかせないように頼むぞ」
九鬼嘉隆は驚きのあまり何も言えずに真っすぐに俺を見つめていた。
少々やり過ぎたか?
「殿、いまのお話は本当ですか?」
「いつの間にそのようなお話になっていたのです」
善左衛門と
そう言えば、五家での共同開発については話をし忘れていた気がする。
「おや? 話していなかったか?」
「初めて聞きました」
善左衛門が怖い顔で睨む。
「実は上洛した際に一条さんから提案があった。どうせなら五家でそれぞれの港を共同開発して相互に利用できるようにしようと言うことになったんだ」
「なったんだ、ではありません。そのように大切な事はすぐにでも我々にも教えて頂きませんと」
善左衛門に続いて、叔父上が言う。
「まったくです。都でご一緒だったにもかかわらず知らん顔していたなど、一条家と伊東家の方々にどのように思われたか」
「まあ、その辺りは極秘事項と言うことで、うかつに話題にするようなことでもないし、大丈夫じゃないか?」
その点は大丈夫だと思うぞ。
何しろ、あちらの家臣たちも知らないことだからな。
「極秘事項ではあるでしょうが、以後、熱田港の拡充構想は他家との合同開発という認識で話を進めさせて頂きます」
叔父上はそう言うと、この場にいる者たちに向かって言う。
「皆も極秘事項であることと、他家との共同開発であることを踏まえた上で発言するように」
放心した九鬼嘉隆を除く者たちが一斉に承諾の返事をした。
無言でいる九鬼嘉隆に、
「と言うことで、多少の差はあるが一条家、伊東家、今川家、北条家でも港の拡充工事と造船所の建設を進めている。暫時、忍者を使っての情報交換をするつもりだ。大変だとは思うが、毎月の評定とは別にこのプチ評定にも顔をだすようにな」
そう告げると無言でコクコクとうなずいた。
反論がないのは助かるが、このまま放心したままでは困る。
「九鬼嘉隆! 話の続きだ!」
「はい!」
我に返った九鬼嘉隆に向けて話を再開する。
「拡大した熱田港と造船所が機能するのは少し先のことだが、それとは別に漁船や地引網などの改良をしようと考えている」
目的は漁獲量の増大と漁師たちの労働の軽減だ。
「改良……ですか?」
「その改良にお前たちの経験と知恵を借りたい。何、難しいことはない。いま使っている漁船や網、漁の道具類の不満点を挙げてもらうだけでも十分だ」
不満点を挙げたあとは改良案のため知恵を絞ってもらうのだが、それはまだ先の話だ。
「分かりました。では、漁の取りまとめをしている者も何名か熱田へ同行させます」
「漁船と漁の道具類の改良も共同作業になる。もっとも、当面は伊東家と一条家との三家だけしか参加しない」
緊張した様子で固唾を飲む九鬼嘉隆。
唐突に叔父上の声がした。
「それも上洛した際に一条様からご提案があったのですか?」
見ると何とも疑わしげな目で俺を見ていた。
いい勘をしている。
提案したのは俺だし、そもそも話が出たのは茶室だ。提案者を一条さんとしたのも、上洛の際に話が出たとしたのも、都合が良さそうだから口裏を合わせただけだ。
「上洛した際に漁獲高を上げたいという話になってな。どうせなら漁船や漁の道具類の改良をしようと言うことになった。まあ何と言うか、その流れで軍船の改良もすることになって、さらに港を拡充しようと言うことになった。でまあ、色々あって今川家と北条家にも加わってもらおうと言う話になったんだ」
「なるほど。今川家と北条家はいつご承諾されたのでしょうか?」
叔父上がシレっとした顔で訊いた。
「いつとは?」
「そのような大事、当家ならともかく……。いえ、当家と一条家ならともかく、他の大名家がそんな短期間で決定するとは思えません。実はもっと以前から計画されていたのではありませんか?」
叔父上、滅茶苦茶鋭いな。
というか、最近は騙され難くなってきてないか?
今後はもう少し慎重にならないとだめだな。
それはそれとして……、仕方がない、ある程度白状するか。
「実は上洛前から話がでていた。具体的には竹中家に九鬼水軍が加わったときからだ」
俺が観念した振りをすると叔父上が満足げに頷いて訊く。
「一条様からのご提案ですか?」
「ちょうど上洛の準備も進めていたし、話のついでということで一条殿から提案があった。九州、四国、畿内、東海、関東を結ぶ海上航路を我々五家で牛耳ろうという計画だ」
「何とも壮大な構想ですな」
叔父上の声が震えていた。
列席する者たちの顔が
固唾を飲む音を最後に、本日何度目かの静寂が部屋を包んだ。
茫然としたようすで皆が俺を見るなか、九鬼嘉隆だけはいまにも泣きそうな顔で俺を見つめていた。
「九鬼嘉隆には当家の海上戦力の代表として頑張ってもらいたい」
そうだな、九鬼水軍の船で熱田に向かう途中は暇そうだしそのときにでも話をするか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます