第155話 桔梗の縁談

 室内には六人が座れる横長のコタツが二つ。

 上座のコタツは俺とこう殿が並んで座り、下座に縦向きで設置したコタツには右手側に右京うきょう小春こはる、左手側に百地丹波ももちたんば桔梗ききょうが座っている。


 それぞれの眼前には昼食が並べられていたが、百地丹波と桔梗は手も付けずに並んだ料理を見つめていた。

 桔梗の目の焦点が定まっていないのは気のせいじゃないよなー。


 主菜のブリ大根にはしを伸ばしながら、コタツの前で正座をしている百地丹波と桔梗に声をかける。


「二人ともどうした? 畏まっていないでコタツに入りなさい」


「せっかくのお食事が冷めてしまっては作ってくれた人たちに申し訳ありませんよ」


 恒殿が屈託のない笑顔でフォローした。


「ありがたく頂戴いたします」


 百地丹波は箸に手を伸ばすが桔梗の方は相変わらず固まったままだ。

 うっかり口にしたのは失敗だったか。


 小早川さんが桔梗を嫁に望んでいる、と昼食前に口にするんじゃなかった。なごやかに食事が進むなかで切りだすべきだったと反省している。


「半兵衛様が口にされたことが気になってるんだと思います」


 反省している俺に恒殿のささやきが突き刺さる。

 恒殿だけではなかった。


 改めて見回すと、小春もこのままでは食事がしづらい、と目で訴えているような気がしてならない。

 百地丹波に至っては箸を手に持ったまま俺のことを真っすぐに見ている。


 もはや和やかな雰囲気の中で話を進めるのは諦めよう。

 いや、右京だけは幸せそうな顔でブリの身をほぐしている。


「実は桔梗に話があってね。小早川繁平こばやかわしげひら殿は憶えているか?」


 百地丹波と桔梗の肩がビクンッと動いた。

 続いて上ずった声で桔梗が答える。


「もちろんでございます」


 いまさら何事もなかったかのように切りだしたが駄目なようだ。

 顔が真っ青だ。


「その小早川殿から桔梗を頂戴したい、と懇願こんがんされた」


 突然、桔梗が平伏して言う。


「大殿様!私に何か落ち度がございましたでしょうか? お方様の侍女として力不足なのは重々承知しております。それでも精一杯努力してきたつもりです。足りない部分はこれからも一層の努力をいたします。どうか放逐だけはお許しください!」


「小早川繁平様救出の功績もございます。私からもご再考をお願いいたします」


 百地丹波が続いた。


「半兵衛様、桔梗が側にいないと私も困ります。どうかお考え直しください」


 瞳を潤ませた恒殿を前に言葉がでずにいると、彼女はすぐに小春へと話を振る。


「ね、小春も桔梗がいないと困るでしょ?」


「はい! お方様のおっしゃる通りです。桔梗はとても役に立ってくれています」


 阿吽あうんの呼吸で小春が恒殿の味方になった。

 皆の視線が俺に集中する中、一人、右京だけが何事ものなかったように、鶏肉とカブのお吸い物を幸せそうな顔ですすっている。


「誤解があるようだな。桔梗に落ち度はないし、恒殿の侍女としても良くやってくれていると感謝している。何よりも、小早川殿救出作戦での功績はとても大きい」


「半兵衛様、では!」


「小早川殿は嫁として桔梗を迎えたいそうだ」


 室内が静まり返り、右京がお吸い物のお椀を置く音が小さく響いた。


「もう一度言う、小早川繁平殿は桔梗を嫁として迎えたいとハッキリ私に言った」


「嫁……?」


 それだけつぶやいて信じられないと言った様子で俺を見る百地丹波。

 その隣で放心する桔梗。


「まあ、小早川様のところへ! それはいいお話ですね」


「桔梗ちゃん、お嫁に行くんですか?」


 上洛の際に京見物や堺で買い物をしたときに小早川さんも同行していたので、恒殿も小春も彼のことを見知っていた。


「桔梗、安芸あきで小早川様と何があったのですか?」


「あとで詳しく話してね」


 満面の笑みの恒殿とニヤケ顔の小春の声が重なった。


 よし!

 これで恒殿と小春が俺の味方になった。


「私などが小早川様の側室になど恐れ多いことです」


 桔梗の手足と声が震えている。


「半兵衛様、小早川様は一条様の客将となられるのですよね?」


「小早川殿は一条殿の客将ではあるが、一条家のみならず、当家にとっても重要人物となる。いや、この国の医学を変える、国にとっての重要人物だ」


「そのような方の側室など益々務まりません」


 平伏したまま顔を上げようとしない桔梗に言う。


「私からも頼む。桔梗には小早川殿のかたわらで、彼の支えとなって欲しい」


「願ってもないお話じゃないの、桔梗」


「そうですよ。小早川様はとてもお優しそうな方でしたよ」


 恒殿と小春の言葉は聞こえていないのか、平伏したままの桔梗がなおも訴える。


「私はくノ一でございます。身分が違いすぎます」


「側室として傍らに置き、護衛を兼ねさせるお考えなのでしょう。しかし、小早川様もやがて正室を迎えられます。出自や身分で肩身の狭い思いをするのは明らかです。それであれば、殿の下でくノ一としての任に付く方が桔梗にとっても幸せかと考えます」


 俺の聞き間違えか?


「側室? 違う違う。小早川殿は桔梗を正室に迎えるつもりだ。それに将来も側室は取らないと言っていたから、出自や身分差で苦労することはないと思う」


「正室!」


「沼田小早川家の元ご当主様の正室……!」


 桔梗と百地丹波が驚きの声を上げ、その向かいで右京が箸を落とした。

 マイペースで食事をしていた男が初めて動揺を見せた。


「桔梗、大変光栄なお話じゃないですか!」


「こんな良縁、そうそうありませんよ」


 再び恒殿と小春主従の声が重なった。


「私はくノ一です」


 泣きそうな声だ。


「嫁入りと同時にくノ一は引退することになるな」


「ですが……」


 桔梗の固辞する姿勢が和らいだ。

 もう一押しかな?


「桔梗は小早川殿のことが嫌いか?」


 わずかな日数しか一緒にいなかったから、好きにはなっていないだろう。

 生理的に嫌悪を覚えなければ望みもある。


「小早川様は沼田小早川家の元ご当主というご身分にもかかわらず、おごったところもなく、私のような者にもとてもお優しくしてくださりました。尊敬こそすれ、嫌うなどございません」


 まあ、そう答えるよな。


「桔梗もその気じゃないですか」


「照れなくてもいいんですよ」


 三度、恒殿と小春主従の声が重なった。


 この二人は完全に俺の味方になったな。

 いろいろと手を回してもらうとしよう。


「熱田港の視察に恒殿と小春も同行する。桔梗、侍女としてお前も同行しなさい」


「は? あ、いえ、畏まりました」


 桔梗が顔を上げた。


「熱田港視察にあわせて、四国から一条家の水軍と一緒に小早川殿が来る手はずになっている。そこで小早川殿と二人でよく話し合いなさい」


「は?」


「え?」


 百地丹波と桔梗、二人が揃って口を開けたまま固まる。


「半兵衛様、それはデートという行いですね」


「お殿様とお方様がときどき出掛ける、例のやつですね。お方様がウキウキするやつ」


「小春っ」


「幸せそうで何よりです」


「もう、意地悪言わないの」


 キャイキャイとした恒殿と小春の援護を受けながら言う。


「小早川殿と二人きりでお互いの気持ちを確かめなさい。別に無理強いをするつもりはない。桔梗が嫌なら小早川殿には諦めてもらうさ」


 何も言わない桔梗を横目に恒殿が訊く。


「小早川様は桔梗のことを好いているんですよね?」


「べたれだ」


「まあ!」


「きゃあ!」


 主従の歓声が重なる。


「桔梗の気持ちもそうだが、お前の了解も貰おうと思っていたんだが……。どうだろうか?」


 百地丹波に問いかける。


「殿がそこまで桔梗のことをお考え下さっているのでしたら、私に異存はございません。しかし、嫁ぐとなれば家の問題もございますが、そちらはいかがされますか?」


 お、前向きじゃないか。

 百地丹波も味方になったと考えていいかな?


「ある程度の家格のある家の養女にして、そこから嫁に出したい。問題はないよな?」


「承知いたしました」


 小早川さんと桔梗をデートさせて、その上で桔梗の気持ちを確認してからとしたが、その先に話を進めても問題なさそうな雰囲気だ。


「では、一先ずはお前の娘、いや孫娘としてくれ」


 百地丹波が返事の代わりに息を飲んだ。

 続いて小春に視線を向ける。


「しばらくは行儀作法を覚える必要もあるだろうから、引き続き恒殿の侍女として仕えて欲しい。小春、桔梗の教育係を頼む」


「おまかせ下さい」


「その後、三条家あたりにでも養女にだして、そこから小早川さんのところに嫁がせる」


「三条家……?」


 皆が息を飲むなか、右京の声だけが小さく響いた。


「詳しいことは熱田の視察の合間に話し合おう。視察中ならよけいな邪魔は入らないだろうからな」


 百地丹波と桔梗は放心しているようだから承諾はあとから得よう。

 さて、熱田視察もこれで楽しくなりそうだ。

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