第151話 北条家への援軍

 明智光秀あけちみつひでをお姫様のお迎えに行かせるとして、その間の尾張の統治を誰に任せるかだが、やはり重光叔父上かしゅうと殿あたりが無難だろうな。


 明智光秀が不在でも、尾張を問題なく統治できるようなら、北条さんの増援に光秀を連れて行くことができる。

 ここは代役を慎重に選ばないとな。


「次の問題として明智光秀が不在となる間の尾張の統治を誰が代わりに行うかだが、何か案のある者はいるか?」


「近江方面も安定していることですし、安藤守就あんどうもりなり様か稲葉一鉄いなばいってつ様にお願いしてはいかがでしょう?」


 との重光しげみつ叔父上の意見を善左衛門ぜんざえもんが改案する。


「稲葉様が適任かもしれません。近江方面に万が一のことがあっても安藤あんどう様と氏家うじいえ様がいれば対処できるでしょう」


「なるほど。それなら稲葉様も安心して尾張に赴けるというものだ」


 叔父上が満足げにうなずいた。

 稲葉一鉄いなばいってつ殿か。候補外だったが、いい人選かもしれない。


 尾張を稲葉一鉄に任せられれば、俺と光秀が北条家の援軍で不在の間、美濃を叔父上に頼める。尾張と美濃のどちらかに不安があれば、舅殿をサポートとして付ければいい。

 舅殿なら相手が叔父上や稲葉殿でも気後れすることなく意見を言える。


「他に意見がないようなら、明智光秀不在の間の尾張を稲葉一鉄殿にお願いするとしよう。万が一、稲葉一鉄殿の都合がつかない場合は舅殿――安藤守成あんどうもりなり殿にお願いする」


 コタツに入った諸将の間から一斉に承知した旨の声が上がった。

 続けて指示をだす。


百地丹波ももちたんば、この評定が終わり次第、稲葉一鉄殿宛ての書状を書く。さらに、明智光秀率いる軍勢の到着にあわせて、海上から三好を牽制けんせいしてもらうよう、一条家へも支援要請をする。どちらも至急届けてくれ」


「承知いたしました」


 次の茶室では間に合わない。

 忍者を頼っての連絡しか手段がないと言うのは不安になるが、ここは百地丹波とその配下を信じよう。


「明智光秀、京へお迎えに上がるための軍団の編成を急げ。当家の面目がかかっている。道中の安全を確保できる戦力であることはもちろん、装備や規律も含めて三好や六角に侮られない軍勢を用意しろ」


「畏まりました」


「では続いて、北条家への増援の議題だ」


 三条家からの使者が到着した知らせが飛び込む直前に、俺が切りだした議題であり北条家への増援を決定することが今日のプチ評定の最大の目的でもある。


「さては、他家に兵力で見劣りすると感じた久作あたりから増援要請でもありましたか?」


 叔父上が訊いた。


 北条さんへの援軍として久作を主将に副将として蜂須賀正勝はちすかまさかつ前野長康まえのながやすを付けて一軍を派遣していた。

 北条さんからは『形だけの援軍でお願いします』ということだったので、本当に気持ち程度しか派兵していなかった。


 今川さんや武田家に比べれば大きく見劣りするのは当然として、関東の諸勢力の援軍と比べてもやはり見劣りするのは確かだろう。

 だが、そんな理由で増援はだせない。


 増援を送れば経費が発生するし、戦の勝敗にかかわらず出馬した者への恩賞も発生する。

 上洛と朝廷工作とで大きな出費があった直後だ。領国経営に携わる立場としては諸手を上げて歓迎はできない。


「肩身の狭い思いをしているのは想像に難くないでしょうが、前線からは特に援軍要請はありません」


「では、北条家から密使なり密書なりが届きましたか?」


 叔父上の言葉で居並ぶ者たちの間に一瞬で緊張が走った。

 

 続いて出席者たちの視線が百地丹波へと注がれた。事情を理解していない九鬼嘉隆くきよしたかまでもが空気を読んで百地を見ている。

 嘉隆、お前、割と世渡り上手そうだな。


「いえ、北条家からは何の要請もありません」


「それではなぜ増援が議題に上るのでしょうか?」


 そう口にした叔父上だけでなく、列席した者たちのほとんどが不思議そうな表情を浮かべた。


「北条家への増援は即座の出馬ではなく、あくまでも出馬準備であると心得て欲しい。そして、今回の北条家への増援準備は私の独断である」


 俺は皆に向かってそう前置きをして話を始める。


長尾景虎ながおかげとら関東管領かんとうかんれいである上杉憲政うえすぎのりまさの復権と関東を荒らした北条家への制裁を大義名分としているが実情はまったく違う。やっていることは越後で食い詰めた領民を引き連れ、無関係な関東住民からの略奪だ。長尾景虎にも上杉憲政にも大義はない。そんな状況下で関東の諸勢力は北条家と長尾家との間で揺れ動いている。いまは揺れ動いているだけだが、近い将来、関東の情勢は大きく動く! そして、北条氏規殿がその機会を逃すとは思えない。当家としては、その機会を逃さないためにも現地にそれなりの兵力が必要だ」


 皆が息を飲んだ。

 反論も意見もない。


 皆が押し黙り重苦しい空気が辺りを包む。

 誰も顔色が悪い。


 九鬼嘉隆に至っては血の気が失せているようにも見える。

 頑張って耐えてくれ、あと数回も出席すれば慣れるはずだ。


 室内を覆う静寂を叔父上が破った。


「これまでもそうでしたが、我々の想像を遥かに超えた智謀をお持ちになる殿がそこまでおっしゃるのでしたら、我々はそれを信じ、従うまででございます」


 叔父上がコタツを抜けだして平伏すると、即座に皆がそれにならう。


 よし、第一段階はクリアした!

 これも日頃の行いのたまもの。


 積み上げた実績がものを言ったな。

 俺は内心でガッツポーズをして、さらに話を続ける。


「それに、北条氏規殿が機会を逃すとは思えないと言っただろ。関東が大きく動く前に、北条家からの援軍要請は必ず来るよ」


 既に増援要請が出ることは茶室のすり合わせで決定しているのだが、まるで未来を見通すかのように言い切った。


「必ず、ですか」


「必ずだ」


 腹を括った様子の叔父上に俺はそう返した。

 そして改めて居並ぶ者を見回して言葉を続ける。


「情勢次第のところはあるが、最上家へも援軍の要請が行くだろう。さらに四国の一条家へも何らかの援軍要請が出されるとみている」


 皆が再び息を飲んだ。

 きっと、あまりに突飛なことに聞こえるのだろう。


 種を明かせば、これらは既に茶室で話し合われたことだ。よほどのことがない限り覆らない。

 地図を頭に描いたのか、現実的な光秀が疑問の声を上げた。


「最上家が北条家の援軍に? 現実的ではありません。まして四国の一条家に援軍要請などしても援軍が到着できるか……」


「さて、それはどうかな?」


 俺は不敵な笑みを浮かべて先を続ける。


「これまでの長尾軍の動き。北条氏規殿が官位を賜り、帝から関東管領職を認めるような書状が出されている。これによって関東の諸勢力のかなりの数が北条家になびいた。関東が大きく動く下地はもうでき上っている」


 そこで一拍おいて力強く言い切る。


「私には手に取るように分かる!」

 

 皆が真っすぐに俺を見た。

 信じて付いてくる者の目だ。完全に俺を信じ切っている。


 分かる! 分かるぞ! これは先ほどと同様、反論も意見も出て来くるような雰囲気じゃない。

 完全に俺のペースだ。


 さて、それじゃあ援軍の編成をサクッと決めるか。

 総大将として俺が赴くという腹の内は明かさずに、取り敢えずの総大将として叔父上を任命して増援部隊の編成を行うとしよう。

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