第146話 弾正大弼(2)

 百地丹波ももちたんばからもたらされた小早川隆景こばやかわたかかげ死亡の報告に俺を含めてその場にいた者たちが言葉を失った。

 静まり返った空間に息を飲む音がわずかに響く。


 毛利元就もうりもとなりの恨みを買うのと引き換えと考えても、将来を考えれば、謀将・小早川隆景の死亡はお釣りがくる。

 それだけじゃない。


 小早川さんの沼田小早川ぬまたこばやかわ家当主復権を毛利元就に突き付けることができる。

 精神的なダメージを負った毛利元就を揺さぶることができる。


「それは間違いないのか?」


「墓を掘り返して遺体を確認いたしました。顔の判別はできませんでしたが、右腕と右脚が切り落とされ、額にも大きな刀傷があったと報告を受けております」


 重光しげみつ叔父上と善左衛門ぜんざえもん本多正信ほんだまさのぶの三人から感嘆の声が上がる。


「死体が偽装で我々を欺く計画である可能性はあるか?」


 相手は毛利元就と小早川隆景。

 他者を欺くのはお手のもだろう。慎重になり過ぎると言うことはないはずだ。


「そこまでの可能性は考えておりませんでした。毛利領に潜り込ませている者たちには、小早川隆景が生きているのかも探らせるようにいたします」


「すまないが、そうしてもらえると助かる」


 口ではそう言ったが、先ほどから心臓は高鳴りっぱなしだ。

 毛利元就への嫌がらせが次々と浮かんでくる。


「今回は随分と慎重ですな」


 叔父上の声で現実に引き戻されて顔を上げると、成長した子どもを見るような眼差しを向けている叔父上と善左衛門がいた。


「私はいつも慎重ですよ」


 叔父上にそう返すと、すかさず叔父上と善左衛門から反論が上がる。


「その小早川隆景を討つ際、騎馬で先頭を駆けたのはどなたでしたかな?」


「落馬までしましたな」


 つまらない話に波及してしまった。


「あのときは打ち首を覚悟いたしました」


 百地丹波、お前もかよ!

 さらに善左衛門が世間話をするように叔父上へ話しかける。


明智光秀あけちみつひで殿から『目を疑いました』と報告を受けましたが、私は我が耳を疑いました」


「あの野戦に参加した者たちは生きた心地がしなかっただろうな」


 官位のお陰でここしばらくこの手の小言を聞くこともなかったのだが、よけいなことを言ってしまったようだ。


「無茶をする若者は見ていて気持ちがいいのだが、それも過ぎると心臓に悪い。心臓の弱い年寄りを少しはいたわって欲しいものだ」


「重光様はまだお若いではありませんか」


 俺をさかなに、朗らかな雰囲気の中、二人の談笑が続く。

『悪巧み』『無謀』『無茶』と言った良からぬ単語に交じって『常識』『相談』なども聞こえてくるが、概ね耳を傾けたくない話ばかりだ。


 大人しくしてる百地丹波と本多正信を見るが、俺の味方をするつもりはない様子で、俺と視線を合わせることなく終始無言を貫いている。

 だが、俺も学習している。


 こんなこともあろうかと常に懐に忍ばせていた書状を取り出し、二人の眼の前に投げた。


「な……」


「まさか!」


 案の定、効果覿面こうかてきめんだ。

 室内が静寂に包まれた。


 帝から貰った従四位下・弾正大弼に任じる旨が書かれた書状の効果は絶大だ。


「さて、そろそろ話を戻そうか。百地丹波、毛利領の報告の続きを頼む」


 だが、百地丹波が口を開く前に叔父上と善左衛門の怒鳴り声が降り注いだ。


「半兵衛!」


「殿! 何てことをするのですか!」


「帝から賜った大切な書状を普段から持ち歩くなど考えられません! ましてや、それを無造作に放り投げるなど」


「他の者がいる前で決してやってはなりませんぞ!」


「いいえ、このようなこと、もう二度としてはなりません!」


「尾張と美濃の統治が根幹から揺らぎかねません!」


「まったくです。朝廷をないがしろにするような者に人は付いてきませんからな」


努々ゆめゆめお忘れなきようにお願いします」


「そもそも、この書状は持ち歩くよう代物ではありません」


「殿、書状はお方様にお預け下さい」


 滅茶苦茶怒られた。

 昨日までの俺を敬う態度は瞬時に消え失せ、元に戻ったどころか以前よりも扱いが悪くなった気がする。


 百地丹波と本多正信に視線を走らせるが、二人とも明後日の方角を向いていた。


「二人ともここであったことは他言無用だ」


 叔父上が百地丹波と本多正信にそう言うと二人は平伏して即答した。


「申し訳ございません、歳のせいか少々居眠りをしていたようです」


「私も意識が飛んでいました。昨夜遅かったので、知らぬ間に寝てしまったようです」


 こうして主君を諫める一幕はなかったことにされた。

 気を取り直して再開しよう。


「百地丹波、中断していた毛利領の報告を頼む」


 せめて一矢報いようと、チクリと嫌味を混ぜたが、反応を見る限り誰も気付かなかったようだ。


「今年の毛利領は不作で米不足の上、米相場で出した損失が大きく、外から米を調達することもできずに、領民の多くは食料不足にあえいでおります」


「長尾景虎のように領民を食わせるために兵士に仕立てて他国に攻め入る気配はあるか?」


戦支度いくさじたくすらままならない様子でした」


 予想通り、相当困窮しているようだ。

 毛利に対してはこのまま経済戦を継続して仕掛けるとしよう。


「仮に毛利が他国に侵攻したとしても、四国か九州に向かうしかないでしょう」


 叔父上がそう言うと、本多正信と善左衛門が深刻なそうな表情で口を開いた。


「畿内から西の本州は全体的に不作ですから、むしろ、食うに困った近隣の大名や流民の方が警戒すべきかと思います」


「特に三河の織田信長おだのぶながと飛騨の姉小路良頼あねがこうじよしよりの困窮は酷いものがあります」


「畿内と近隣で米が足りているのは、当家と浅井家、朝倉家、今川家、武田家あたりでしょうな。いや……、不思議と六角家も米が足りないという話は聞きません」


 と叔父上。


 心配することは何もない。経済面に関しては、すべて計画通りだ。


「近隣の大名で警戒すべきは北畠くらいだ。その北畠も当家に攻撃をしかけるくらいなら六角家に仕掛けるだろう。それは三好にも当てはまる」


 そのために六角家へ米を横流しした。

 浅井長政に敗れ、兵力と士気が急落し、且つ、米が十分にある六角家は周囲からはどう見えるだろうな。


「なるほど、そう言うことですか」


「お見事です」


 俺の意図を察した叔父上と本多正信の声が重なった。


「三好のことでご報告がございます」


 百地丹波が言い難そうに口を開いた。


「続けてくれ」


「三好家が六角家から大量の米を買い取ったようです」


 世のなか、思い通りにはいかないようだ。


「思惑が外れた」


 俺は腕組みしたまま天井を仰ぐと、即座に叔父上がフォローを入れる。


「米を買い取ったのが北畠家でなくて良かったと思いましょう」


 三好に仕掛けられて最も困るのは四国だ。


「あとで一条さん宛ての書状を書く。配下に届けさせてくれ」


 百地丹波にそう告げて、再び皆に向きなおる。


「三好に多少の米が渡ったところで、当家に大きな影響はない」


 三好が四国に攻め込んだらそんなことは言っていられないのだが、ここで仮定の上に仮定を重ねた話をしてもらちが開かない。

 この話題を早々に切り上げて次に話題に移る。


「次に流民だが、間者が紛れ込んでいても構わないから、これまでと同様、積極的に受け入れろ」


 続いて織田信長と姉小路良頼に話題を移す。


「織田家と姉小路家に戦を仕掛けるだけの余裕はない。引き続き監視を続けて欲しい。ただし、織田家の監視は強化しろ。特に木下藤吉郎の動きには注意してくれ」


「承知いたしました」


 平伏する百地丹波に向けて付け加える。


「姉小路家の使者の行先には注意をしてくれ」


「と申しますのは?」


 史実の姉小路良頼は朝廷工作の巧みさで今後も官位を上げ続ける。兵力がなくても高い官位というのは厄介だ。

 それを阻止する手段の一つとして経済的に追い込んだ。


 次は人脈を断ち切る。

 そのためには情報が必要となる。


「姉小路良頼の人脈が知りたい。金銭面での協力者と朝廷への繋がりだ」


「承知いたしました」


 百地丹波が静かに平伏した。


 その後、その他の周辺諸国の情報、尾張と美濃の内政状況の報告を受けてこの日のプチ評定は終わりとした。


 さて、そろそろ茶室だ。


 いまのところ、長尾景虎はこちらの思惑の範囲で動いてくれているし、対抗する手立ても問題なく進捗している。

 それでも長尾景虎は恐ろしい。


 幸い、それは俺だけでなく、茶室のメンバー全員の共通認識だ。

 万が一を考えて長尾景虎対策というか、小細工をたくさん用意しておくほうがいいだろう。


 次の茶室も長尾景虎の話題で持ち切りになりそうだな。

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