第三部
第145話 弾正大弼(1)
上洛中の家臣たちの騒ぎようは控えめなものだったのだと思い知った。
予兆はあった。
国境で大勢の人々を見たときはめまいを覚えた。
西美濃勢だけでなく、東美濃や尾張の主だった国人領主や土豪、果ては領民たちまでもが国境付近まで出迎える始末である。
戻ってみれば、国を挙げての大騒ぎになっていた。
尾張と美濃では身分を問わず、俺が
稲葉山城に戻るなり、祝いの品をもって祝辞を述べにくる来客が後を絶たない。
西美濃勢が来るだろうことは予想していたが、これまで俺に対して良い感情を抱いていなかった東美濃勢や尾張勢までもが
それも満面の笑みを浮かべて、むず
戦になりかけた
その大人の対応を見習いたいと思いつつも、
『この度、従四位下・弾正大弼に任じられましたが、貴殿からの祝いの品も届かなければ、祝いの使者も訪れておりません。もしかしたら、陸の孤島状態のため情報が伝わっていないのでしょうか?』
という三河の
たまの息抜きを交えながらも、来訪者の絶えぬ日々が続く。
最初こそ『これも盤石な国づくりのため』、と我慢していたが、そろそろ我慢の限界がチラチラと見え隠れしている。
新手の嫌がらせにしか思えなくなっているのは、決して俺が狭量だからではないはずだ。
◇
早朝の稲葉山城。
普段は評定の間として利用している大広間に、子どもらしい
「この度は従五位下・美濃守に任じて頂き、誠にありがとうございます。いまはまだ若輩の身ではありますが、何れは竹中様のお役に立てるよう精進して参ります」
臣下の礼をとる
朝の挨拶ということだったので軽い気持ちで接見を認めたのだが、主だった直臣を引き連れて現れた上、仰々しいお礼を言われるとは思わなかった。
俺のすぐ側に控えていた善左衛門は驚く様子もなく涼しい顔をしている。
さてはお前の差し金か。
従四位下・弾正大弼である俺が、土岐頼元を従五位下・美濃守に任じたのは数日前。
これにより、名実ともに尾張と美濃の国主が竹中半兵衛であり、土岐頼元は竹中半兵衛の下、美濃を名目上任された身だと認識された。
完全に主従が逆転した。
東美濃勢から不満の声が上がると予想して、手ぐすね引いて待っていたのだが、どこからも不満の声は上がらない。
官位の効果の大きさを改めて思い知った。
「頼元殿、堅苦しいことは抜きにしよう。それよりも、新たに雇い入れた家臣はどうだ?」
一瞬、顔が曇った。
「皆、良くしてくれています」
子どもは正直だ。
土岐頼元が新たに雇い入れた家臣の半数が尾張出身者。
表向きは尾張と美濃の融合政策の一環としているが、内実は土岐家を利用しようという美濃勢、特に東美濃勢を遠ざけるためである。
尾張の人材は
想像はしていたが荒くれ者が多いのだろう。
十歳の子どもが突然現れた人相の悪い男たちに囲まれて暮らす……。
そりゃあ、居心地は悪いだろうな。
「そうか、皆良くしてくれるか。それは良かった。何か困ったことがあったら、いつでも言ってきなさい。力になろう」
「ありがとうございます」
土岐頼元が礼を述べると、タイミングを見計らったように
「殿、朝食の用意が整ったそうです」
美濃守との接見よりも朝食が優先されるのだと暗に言い切った。
◇
恒殿との楽しい朝食を終えた俺は、後ろ髪を引かれる思いで恒殿と分かれ、
執務室では既に
「関東の
腰を下ろしてすぐに切りだす。
「特に目新しい動きはございません。相変わらず
百地丹波が報告を始めた。
拠点は厩橋城。
関東の諸勢力を味方にするため頻繁に書状や使者を出しているが、思うように取り込めておらず、已む無く北条家の領内を荒らし回ることに力を注いでいた。
「――――関東の諸勢力を取り込んだ長尾軍は六万とも七万とも噂されていますが、いまのところ北条軍に真っ向から仕掛ける様子はございません」
少ないな。
史実では十万とも言われた長尾軍だ。
関東管領・
報告を聞く限り、長尾景虎は苦戦していた。
対する北条側の総大将は、『北条の若き至宝』と噂される北条氏規。
つまり、北条さんだ。
ややこしい話だが、
端的に言うと、表向きは二人の関東管領による関東の覇権争い。
実情は腹を空かせた家臣団を食わせるために、諸々の状況を利用して関東まで遠征してきた長尾景虎と名実ともに関東の覇者となりつつある北条家の争いだ。
「関東の諸勢力の動きはどうだ?」
「長尾軍が厩橋城に入城した頃とは打って変わり、中立勢力が北条家に味方する動きがみられます――――」
史実では関東管領職である上杉憲政が旗頭であることに関東の諸勢力は大きく揺れ、多数の有力勢力が長尾景虎に味方した。
だが今回は違う。
関東管領職、且つ、従四位下・
この戦で北条家が勝利すれば、北条家に弓を引いた連中は朝敵と言われかねない。引き分けて長尾景虎が越後に帰っても立場の悪さは然程変わらない。
加えて、関東の諸勢力に対して、最上家と今川家、竹中家が表と裏から北条家へ味方するよう要請している。
「――――長尾軍は雪解けを待って軍を引くだろう、というのが大方の見方でございます」
いい読みだ。
「越後の雪が融ける頃、帝から北条さんと長尾景虎に和睦を勧める書状が届く。北条さんは帝の勧めに応じて即座に和睦の使者だす手はずになっている。長尾景虎が応じれば今回の戦はそれで決着だ」
「長尾景虎が噂通りの男なら朝廷からの和睦要請に応じるでしょうな」
とは重光叔父上。
その傍らで本多正信が疑問を口にする。
「決着と言われましても賠償の話し合いもあるでしょうから、そう簡単には終わらないのではないでしょうか?」
「長尾景虎は今回の関東遠征の前準備として、関白である
同席する四人がうなずき、話の続きを待つ。
「長尾と北条の戦は引き分けとし、双方共、基本的に賠償責任は発生しない。とは言っても北条の領内で略奪をしたのだから、正式な謝罪と幾ばくかの賠償金は発生する」
だが、その程度だ。
今回の肝は長尾景虎に過剰な要求はしないが、次は容赦しないと理解させること。
「それでは事実上北条家の負け戦ではありませんか」
「長尾景虎は上杉憲政と共に北条氏規殿と関東の支配権について話し合いをするために関東入りした。大軍を率いて来たのは単純に北条家が怖かったからだ。関東の諸勢力を味方に引き入れようとしたのも、話し合いを有利に進めるためであって、北条家と戦をするためではない」
そう言う建前になる予定だ。
「実際に小競り合いは起きておりますし、北条領内で略奪もされております」
「小競り合いは双方に被害が出ているので相殺。略奪については長尾軍が首謀者を突きだして終わりになる」
帝から書状が届くまでの間、長尾軍をのさばらせておくつもりもない。
それに帰り路は危ないものだ。
「それでは北条の丸損ですな」
叔父上の言葉に善左衛門と本多正信がうなずく。
「長尾景虎に味方し、いたずらに関東の平穏を乱したとして、賠償金は長尾景虎に味方した関東の諸勢力に支払ってもらう」
長尾景虎に味方した連中の
「納得しないでしょう」
と善左衛門。
「納得しなくても払わなければ北条家、武田家、今川家の連合に加え、北条に味方した諸勢力から袋叩きに遭うだけだ」
一時的に関東は荒れる。
だが近い将来、北条さんの下で盤石な支配体制が確立される。
陸路で東北と繋がる未来が拓ける。
同席者が口をつぐんだタイミングを見計らって百地丹波に報告をうながす。
「三河に封じ込めた織田信長はどうしている?」
「頻繁に武田の領地に間者を送り込んでいるようです――――」
今川家と竹中家に挟まれた以上、武田家と友好的な関係を結ぶ以外に生き残る道はないからな。
しかし、信長の思惑通りには運んでいなかった。北条への援軍もあって武田家もそれどころでないのだろう。
「――――捕らえた織田家の間者が所持していた手紙がこちらです」
差しだされた手紙には、『今川家と北条家と共謀した竹中家が次に狙うのは武田家である』といった主旨のことが書かれていた。
鋭いな。
事実を的確に突いている。
それにしても……、筆まめなのは知っていたが、織田信長ってこんなに謀略の才能があったのか。改めて戦国のスーパー武将に驚かされる。
「危険ですな」
「陰険だよな、やることが」
本多正信の言葉に俺がそう返す側で、
「織田家からの間者を監視する人員を増員いたしましょうか?」
百地丹波が建設的な意見を口にした。
「そうだな。今は武田との関係悪化は好ましくない。織田から武田に向かう間者は片っ端から捕らえてくれ」
「承知いたしました」
そう言って、次の報告へと移る。
「小早川隆景ですが、死亡したようです」
俺を含めてその場にいた者たち全員が息を飲んだ。
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