第144話 番外編 官位授与その後


 一条さんと伊東さん、俺の三人が連れ立って御所の正門付近へ姿を現すと、それぞれの家中の家臣たちがそわそわした様子で出迎えてくれた。


「な、言った通りだろ?」


 一条さんのつぶやきに、伊東さんと二人で苦笑しながらうなずく。

 俺たち三人がどんな官位を貰ったのかは、あの場にいた者たちしかまだ知らない。


 御所に同行している善左衛門や明智光秀もつい三十分前の俺と同様、『美濃守』と『尾張守』を賜ったとしか思っていない訳だ。

 従四位下・弾正大弼だんじょうだいひつを賜ったと知ったら間違いなく驚くだろうな。


 二人が驚き戸惑う姿を想像すると実に楽しい。

 早く見たいがここは堪えるとしよう。


「一条さんの助言通り、賜った官位を家臣たちに教えるのは屋敷に戻ってからにします」


「私たちも驚いた官位です。家臣たちが知ったら大騒ぎになること間違いないでしょう」


 俺と伊東さんがそうささやくと、一条さんが残念そうにささやき返す。


「他家の重臣が驚く様子も見たい気はするけど、御所の正門で大騒ぎは避けたいからそうしてよ」


「一条さんや竹中さんのところは知りませんが、うちの家臣だったら大騒ぎどころか地に足がつかない状態で屋敷までの護衛の任務がおろそかになりそうです」


「いや、うちもそんな感じだと思いますよ」


 御所の正門付近でそんな会話をしたのが数十分前。

 三条家に借り受けた屋敷に戻るや否や、目を輝かせた家臣たちに交じって侍女を引き連れた恒殿が出迎えてくれた。


「半兵衛様、お帰りなさいませ」


 白い息を吐きながら駆け寄る恒殿の両手を包み込む。


「わざわざ門まで出迎えなくても部屋で待っていてくださればよかったのに」


「そんな訳にはいきません」


「手がこんなに冷えていますよ」


 冷たくなった恒殿の両手を口元に引き寄せて暖かい息を吹きかけた。すると恒殿は周囲の家臣たちを気にするようにキョロキョロとしながら頬を染める。


「半兵衛様は相変わらずお優しいですね」


「恒殿にだけです」


 慌てて手を引っ込めようとしたので、逃がさないよう彼女の手を握って、『恒殿だけですよ』と耳元で繰り返した。

 すると耳まで真っ赤にして恒殿がささやくように言う。


「皆様、半兵衛様のお帰りを、首を長くしてお待ちしています」


「正門付近にこんなに集まっているとは思いませんでしたよ」


「いえ、大広間にはもっと大勢の方がいらっしゃいます」


 もっと大勢だって?

 まさか、警備で出払っている者以外、全員が集まっているんじゃないだろうな?


「殿、帝より直々に賜りました書状のご披露をお願いいたします」


 善左衛門のその言葉を待っていたように、周囲の家臣たちに俺は大広間へと追い立てられるようにして移動した。


 大広間に通じる廊下と両隣の部屋には上洛に同行させた女中や下男、小者たちであふれ返り、皆が待つという大広間に入るとすし詰め状態で家中の主だった者が集まっていた。


 京と大坂の警備は大丈夫だろうな?

 まあ、責任者は光秀だから抜かりはないとは思うが……。


「殿、お帰りなさいませ」


 百地丹波が身振りで上座へとうながす。


 お前まで目を輝かせているのか。

 何だか、弾正大弼を賜った話をするのが怖くなってきたな。


 若干の不安とその数倍の高揚で鼓動が速まる。俺は口元が綻ばないよう気を付けながら恒殿と共に上座へと進んだ。そのわずかな間にも部屋のあちらこちらから固唾を飲む音が聞こえる。


 普通こういう場面では奥さんを伴って上座に座ることはない。善左衛門や光秀からも事前に注意を受けていたが敢えて恒殿を俺の隣に座らせた。


 竹中家の者たちは気にしていないようだが、案の定、他家の武将には怪訝そうな表情をしている者が何人かいた。


「皆、待たせたな。いま戻った」


 そう告げると、口々に無事の帰宅を喜ぶ声が上がった。皆の声が静まると同時に善左衛門の声が室内に響く。


「これより殿から皆様にお話があります。お静かにお願いいたします」


 誰一人として声を上げる者はいない。皆の視線が俺の胸元からわずかにのぞく書状へと注がれているのが分かる。


「本日、帝より書状を賜った」


 胸元から取りだした書状を高々と掲げると視線が一斉に書状を追う。


 分かり易いな。


 帝から賜った書状。そこに書かれているのは美濃守と尾張守を任命するもの。誰もがそう思っている。

 笑いが漏れそうになるのを堪えて、書状をゆっくりと広げ厳かに言う。


「この竹中半兵衛に美濃守と尾張守の任命権を与えるというモノである」


 どよめきと喊声が上がり、


「竹中様、おめでとうございます」


「婿殿、おめでとうございます」


 真っ先に祝辞を口にしたのは稲葉一鉄殿と安藤守就殿。


「半兵衛様、おめでとうございます」


 続く恒殿の声に隣を振り向くと、輝かせた目に涙を湛えていた。

 感涙に咽ぶ声と共に祝辞の言葉が次々と上がった。


 祝辞の言葉を述べながらもどこか納得がいかない顔をしている者もいる。

 真っ先に顔色を変えた光秀が俺を凝視した。


 土岐頼元ときよりもとが美濃守、この俺が尾張守に任命されると思っていたのが、美濃守と尾張守の任命権を俺が賜ったわけだからその顔もうなずける。


 大広間がいまだ騒然とするなか、俺は善左衛門に視線で合図を送る。


「皆様、お静かに! 殿のお話はまだ終わっておりません」


「この度私に与えられたのは美濃守と尾張守の任命権。そしてこの竹中半兵衛が帝より賜ったのは、従四位下・弾正大弼である!」


 大広間が静寂で覆われた。


 あれ?

 静寂は一瞬のことだと思ったが意外と長いな。


 隣に座る恒殿に視線を向けると、目を輝かせる彼女はいなかった。どこか遠くを見るような目に涙を溢れさせていた。


「もう一度言う。この度、帝より従四位下・弾正大弼を賜った」


「殿……、それは、誠、におめでとうございます」


 光秀、お前いま、『誠ですか?』と言おうとしなかったか?


「竹中様、従四位下・弾正大弼、誠におめでとうございます」


 先ほどは『婿殿』と言った安藤殿も今度は『竹中様』呼びで祝辞を述べた。

 だが、美濃守と尾張守を告げたときほどのテンションはない。それは安藤殿だけでなく、大広間に集まった諸将たちもそうであった。


 気持ちは分かる。


 従四位下・弾正大弼を告げられた瞬間の俺もそうだった。

 どこか夢の中の出来事のような感じなのだろう。


 ◇


 官位授与の情報は京・大坂の町を瞬く間に駆け抜けた。

 京・大坂の住民だけでなく、上洛している各大名家の家臣たち、公家たちの間でも官位を賜った大名家の噂でもちきりである。


 特に京・大坂の警備に当たった一条家、伊東家、竹中家の評判は、治安維持の評価と相俟って評価がうなぎ登りであった。

 その官位授与から三日後、家臣たちのお祭り騒ぎも収まらない状況ではあったが、一条さん、伊東さん、小早川さん、俺の四人は一条さんの屋敷へと集まっていた。


「いやー、家中での扱いが瞬く間に変わったのには驚きましたよ」


 俺の言葉に伊東さんが返す。


「私でもそうなんですから、竹中さんは尚更でしょうね」


「先に言っとくけど、俺の扱いは以前と変わらないからね」


 どこか不貞腐れた様子の一条さんに言う。


「意外ですね。土佐一条家の家臣なら官位には敏感そうな気がしますが」


「官位がすべてじゃないんだよ、竹中さん」


 天井を仰ぐ一条さんの傍らで苦笑いする小早川さんに、俺と伊東さが『何かあったんですか?』と視線で問う。


「一条さんはノリが軽いですから」


 と小早川さんが返した。


「ところで、何でこんな高い官位を賜れたんですか? 正五位上・太宰少弐だざいのしょうにには驚かされましたよ」


 伊東さんが話題を官位に移したので俺もすぐに便乗する。


「まったくです。私も従四位下・弾正大弼には驚きました。御所では心臓が止まるかとお思いましたよ」


「働きかけはしていたんだけど、実際にどの程度の官位を賜れるかまでは俺も知らなかったんだよね。俺自身に関して言えば、従四位下・左近衛中将のままだと思っていたくらいなんだ。従三位・左近衛大将を告げられた時は俺の方こそ心臓が止まるかと思ったよ」


 そう言って楽しそうに笑う。


「それで、どんなマジックを使ったんですか?」


「それです。教えてください」


 一条さんが俺と伊東さんの顔を見てイタズラっぽい笑みを見せた。


「俺たち三人に関しては京・大坂の警護を請負ったのと、小早川隆景の軍勢を撃退した功績が大きく反映されているのは間違いないよ」


「私たち三家の連合軍が、帝のお命を狙って御所を襲撃しようとした野盗を見事撃退したことになっていますね」


 京・大坂の警備に当たった一条さん、伊東さん、俺の三人の話題は尾ひれ背びれが付いてとんでもないことになっていた。


「俺たちが撃退したのは紛れもない事実だからいいんじゃないの」


「帝の暗殺計画も御所の襲撃もありませんでしたけどね」


「申し訳ありません」


 恐縮する小早川さんに、『気にすることないよ』と一条さんが声を掛けて続ける。


「その噂は俺たちにとっては好都合だと思うんだ」


「まあ、我々の評判は上がりましたが、そんなに好都合ですか?」


 そう言って不思議そうな顔をする伊東さんと小首を傾げる小早川さんを面白そうに見ながら一条さんが口角を吊り上げた。


 嫌な予感しかしない。


 と思った瞬間一条さんが俺を見て言う。


「今回の襲撃事件の黒幕が小早川隆景だってことを明かして毛利を窮地に追い込めないかな、竹中さん」


 来たよ。


「毛利を朝敵に仕立て上げるつもりですか? ちょっと難しそうですね……」


「朝敵! いいね。それそれ。出来ないかな?」


 身を乗りだす一条さんに伊東さんが言う。


「かなり無理がありません? 帝は毛利をかなり信用していますよ」


「俺たちほどじゃないさ」


「そうですね。今度の茶室で少し練ってみましょうか。それまでに私の方で案を幾つか考えておきます」


 帰ったら本多正信に相談してみるか。


「八人も集まればいい知恵もでそうですね」


「そうそう、伊東さんの言う通り。これまでも八人で知恵を出し合って乗り越えてきたんだ、これからだって何とかなるんじゃないの?」


 少し楽観し過ぎのような気もするが、今日のところは言わずにおこう。


「話を戻しますが、同じように京・大坂の警護をし、野盗を退けた伊東さんとの差が分かりません」


「伊東さんの官位はともかく、竹中さんと北条さんに関しては、三条家が予想以上に頑張ってくれたみたいだね」


 確かに俺の官位もそうだが、北条さんの官位も他のメンバーに比べて高いな。

 それに三条家が絡んでいるのか。


「もしかして嫁さんですか?」


 俺の回答に一条さんが深くうなずく。


「俺たちが直接献金してばかりというのも芸がないとおもってね。三条家を通じて朝廷と公家連中に金をバラまいたんだ」


「三条家が予想以上に頑張った訳ですか」


 北条家当主に正室と竹中家当主の弟の正室……、三条家としては大躍進だな。問題は他の貴族だ。間違いなく黙ってないだろうな。

 次の茶室での議題が俺のなかでもう一つ増えた。

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