第141話 お茶会(2)

「なんと甘い、これは初めて口にする味だ」


 ティーカップの中の紅茶を見つめ、帝が感嘆の声を漏らした。

 砂糖をたっぷりと入れた時点で甘いのは予想できていただろうが、それでもその一言が漏れた。


 すかさず一条さんが言う。


「お茶とはまた違った味わいがございますでしょう」


「お茶よりも、この紅茶の方が私の口には合うようだ」


 帝が上機嫌でほほ笑んだ。


 俺自身のため息と隣に座る一条さんと伊東さんのため息が同時に聞こえる。


 よし! 今日、最大の難関を突破した。

 紅茶や用意したお菓子が帝の口に合うか気になって仕方がなかったが、紅茶を気に入ってもらえたのは僥倖だ。


「茶葉は日本のお茶と同種のものを使っておりますが、製法が違います――――」


 一条さんが帝相手に紅茶の説明を始めたところで、


「本願寺殿もどうぞご賞味ください」


 と勧めた。

 興味があったのか帝が褒めた紅茶を無碍に断ることもできなかったのか、俺の勧めに従ってティーカップを口に運ぶ。


「実に香りが良い。そして、何と言う甘さだ」


 本願寺顕如からも感嘆の言葉が漏れた。


「お口に合ったようで安心いたしました」


「皆さんが南蛮貿易に熱心だ、とのお噂は多方面より聞こえてきますが、これほどの逸品を手に入れられていようとは」


 ティーカップを受けソーサーの上に置くと、


「ガラスのポット、磁器の器、砂糖。いずれも実に素晴らしい」


 そう言って、視線をガラスのポットに向けた。


「本願寺殿、一つ訂正をさせてください。ガラスのポットと磁器は外国から買った品物ではありません」


「南蛮貿易ではない?」


 不思議そうな視線を俺に向ける。


「ガラスは土佐一条家の工房にて製造されたものです。こちらの磁器は美濃にある当家の工房で作成したものでございます」


「では……」


 磁器製の砂糖壺に視線を落とす。


「砂糖だけは外国から購入いたしました。ですが、そう遠くない将来、国内産の砂糖をお口にして頂ける日がくることでしょう」


「これを国内で!」


 本願寺顕如ただ一人が驚きの声を上げる。

 帝には我々の領内でガラスと磁器の製造に成功していることを告げてあるので、蚊帳の外であった本願寺顕如の驚きだけが一人、浮いている。


「南蛮では我々の製造するガラス製品や磁器がとても珍しいようで、非常に高額で買い取って頂いています。お陰様で、南蛮の食材や技術も金に糸目を付けないこともあって容易に手に入ります」


 他国の国主たちでは真似できないことだと暗に仄めかす。


 息を飲む本願寺顕如に帝が追い打ちをかける。


「この者たちはこれらの品々を外国に輸出することで、国内にはない様々な珍しいものを手に入れているのだ」


「今後も珍しいモノやお役に立つものがあれば献上させて頂きます」


 すかさず一条さんが言った。


「なるほど、それが……」


 本願寺顕如はそこで言葉を飲んだ。

 それが、我々の潤沢な資金源なのだと理解したようだ。


「外国から輸入した食材の一つがこれです。お一つ口にされてみてください」


 お茶請けにあるポテトチップスを指す。


「そうだな、では」


 帝が我慢の限界とばかりにお茶請けに手を伸ばす。それを見て慌てて本願寺顕如も手を伸ばした。


「塩!」


 顕如が小さく声を上げた。


「はい、塩です」


「塩も南蛮から買っているのか?」


「我々は塩の量産にも成功いたしました。そう遠くない将来、日本全国に行き渡らせるのに十分な塩の生産が我々だけで可能となります」


 不安そうな表情をする本願寺顕如の目を真っ正面から見据えて、塩の価値が暴落すると言い切った。


「まさか……」


 絞りだした言葉とは裏腹に内心では、こちらの言葉を信じているのが手に取るように分かる。

 少々話を盛っているが、調べようもないのだからいいだろう。


「ところで、本願寺殿。今年の初め頃に領内の寺社、特に寺が悪さをしていたので少し厳しい仕置きをいたしました。その件で本願寺殿に何かしらのご迷惑をお掛けしていないか心配だったのです」


「竹中さんのところもそうでしたか。実は私の領内でも寺社の横暴に手を焼いていたところです」


「うちも一緒だよ。もっとも、悪さをしていた僧侶たちは罪人として強制労働させているけどね」


 本願寺顕如が何も言えずにいると、帝が我々を見回して問う。


「寺社で何か問題でもあったのか?」


「僧侶と野盗が手を組んで領民たちを苦しめておりました」


 俺の言葉に帝が驚きの声を上げて顕如を見た。


「寺と盗賊が? それは誠か?」


 言葉に窮している顕如に助け舟をだす。


「既に解決しております。いまでは悪徳僧侶は罪人となり、彼らに苦しめられていた領民たちには笑顔が戻っております」


 俺がそう言うと、帝は伊東さんと一条さんの顔を見た。


「伊東家の領内も落ち着きました」


「一条家もです。ただ、四国の他領からも寺社の横暴を何とかして欲しいと嘆願が上がってきております」


「それは――」


 何か言おうとした本願寺顕如の言葉を遮って一条さんが言葉を続ける。


「土佐一条家としては周囲の領主や領民の嘆願にも応えるつもりです」


「見上げたものだ。さすが一条殿」


 帝が満足そうにうなずいた。


「恐れ入ります。ただ、本願寺殿のところに我々に対するありもしない中傷が寺や信徒から上がるのではないかと心配しております」


「私も申し上げましたが、本願寺殿にご迷惑が掛かっていないかも心配です」


「どうなのだ?」


 帝が本願寺顕如を見た。


「寺のことは私にお任せ頂けると無駄ないさかいも起きずに済むかと思います」


 なるほど、顕如の立場からすればそうなるよな。

 だが、そうはさせない。


「実は相談なのですが、顕如殿や一向宗の皆さんには別のことをお願いしたいのです」


「別な事?」


 怪訝な眼差しが俺に向けれた。


「実は日向、土佐、尾張、駿河、伊豆を結ぶ海上交易路がほぼ完成しました」


「海上の交易路?」


 反応が薄いな。ピンときていないようだ。


「南蛮商人との貿易で入手した様々な品物だけでなく、我らの領内で生産した商品を船で輸送します」


「つまり、その五カ国で何らかの盟約を結ばれた、ということですか……」


 言葉を飲み込んだ顕如が探るような視線を向ける。

 

「日向、土佐、尾張、駿河、伊豆の五つの国は既に同盟を締結しており、途中の海上でも他国に邪魔されないだけの護衛を伴って安全に輸送できます」


 太平洋側は我々のものだと言い切ると、即座に顕如の顔色が変わった。

 頭と額が薄っすらと汗で光っている。


「海を安全に? ですが、海賊――」


「海賊は問題にしておりません。その五カ国を結ぶ海域に出没する海賊は我々の配下といたしましたので」


 顕如の言葉を遮り、意識して柔和な笑みを浮かべた。


「まさか、そんな……」


 恐らく『信じられない』という言葉を飲み込んだのだろう。半ば呆けている本願寺顕如に向けて言う。


「問題は陸上の輸送です。人手が足りません」


「はあ……」


「そこで先ほど触れた、本願寺殿へのお願いです。本願寺殿の信徒に陸上での輸送を請負って頂けませんでしょうか?」


「信徒に?」


 理解できないと言った様子で聞き返してきた。


「田畑を継げない次男や三男などにお声がけ頂き、商品の輸送をお願いしたいのです。さらに、途中の宿泊や荷の受け渡しには全国の寺を使わせて頂きたい」


 茫然とこちらを見ている顕如に向けてさらに話を続ける。


「例えばこの塩。海に面した国であれば比較的容易に入手できますが、内陸部では入手が困難です。また、価格も高い。ですが、我々はそれを安価に提供できます」


「つまり、塩の販売を我々にお任せ頂けると?」


 なに言ってんだ、こいつ。


「販売は商人が行います。本願寺殿、信徒の皆さんにお願いしたいのは陸上の輸送。そして寺を輸送をされる信徒の皆さんの宿泊施設として利用させて頂きたい」


「なるほど、お話は分かった」


 額と頭の汗を拭う本願寺顕如に『まだ続きがございます』と言って話を再開する。


「これはジャガイモと呼ばれる作物から作られています――――」


 ジャガイモが主食となりえる作物であり、生産性が高いことを詳しく語って聞かせた。


「――――それだけではございません。我々は、今後、南蛮貿易で様々な食材や製品、生活の役に立つ商品を仕入れ、全国に行き渡らせたいのです。人々の生活を豊かにしたいのです」


 本願寺顕如にも莫大な利益をもたらす。


「信徒の皆さんも、これまでとは違った形で生活の糧を得られるだけでなく。彼ら自身も生活が豊かになります。信徒の皆さんは、間違いなく顕如殿を尊敬することでしょう」


 信徒の生活が豊かになれば、容易に命を懸けることもなくなるという目算もある。

 厄介な一向衆に安定した生活を与えて牙を抜く。


 本当の狙いは何なのだ。と問いかけるような本願寺顕如の視線が俺に突き刺さる。

 次の瞬間、 本願寺顕如に向けて帝の言葉が突き刺さる。


「私は彼らの志に共感した」


 反射的に顕如の視線が帝に向けられた。

 無言の顕如に帝がさらに言う。


「理想を語り、国を憂いるだけではない。具体的な方策を掲げ国を豊かにしようと行動で示している」


「恐れ入ります。我々は、帝の御ため、民のためにも国を豊かにしたいだけです」


 本当は自分たちが安寧に長生きしたいだけ、と言うのは内緒だ。


「よく言ってくれた。これまでそのように広い視野を持った国主に会ったことがない」


 感極まったように帝が涙ぐむ。

 慌てたのはお付きの者。

 駆け寄る彼を身振りで制して帝が涙を流しながら本願寺顕如を見る。


「どうだろう、彼らに協力してやってはくれないだろうか?」


「もちろんでございます」


 効果抜群だ。

 帝にこう言われては抗いようもない。


 本願寺顕如が頭を垂れてさらに言う。


「竹中様たちの志、私も心を打たれました。こちらから協力を申し出たいくらいです。しかし、我々が一方的に利益を得るように聞こえます」


 再び鋭い視線が俺をとらえた。


「我々の領内だけでは消費される量にも限りがあります。全国の民に十分な塩を行き渡らせれば、何倍もの利益が上がります。その過程で、荷を運ぶ者や運ばれた荷を販売する商人に利益をもたらすのは当然のことではありませんか」


 さらに『なによりも』、と続ける。


「全国に荷を運ぶ者を雇いたくてもそんな人手を集める術は我々にはありません。加えて、荷を運ぶ者が宿泊する施設や取引する場所を建造する時間と費用を節約できます」


「そこで我々、と言うことですか」


「それに見合う対価をお支払いいたします」


 全国を結ぶ一大流通網を組織するのだから本願寺と一向宗が得る収益は莫大だ。

 彼の口元がわずかに綻ぶ。


 その瞬間を見計らって一条さんと伊東さんが言う。


「これまで領内の寺との経緯はお互いに水に流して協力しあいたいと思っている」


「そうですね、本願寺殿には是非とも我々の味方になって欲しいのです」


 そこへ帝が追い打ちをかける。


「領主と寺が互いに手を取り合って民のために事をなす。話を聞いたときは胸が躍ったぞ」


「分かりました、全て水に流して力をお貸ししましょう」


 本願寺顕如が静かに返事をした。


 実のところ、一向宗だけで陸送はカバーできない。

 各地で食いっぱぐれた農民をかき集める必要があるがそれは次のステップのことだ。だが、それすらも本願寺と手を結ぶことに比べれば容易い。


 取り敢えず本願寺顕如と手を結んで、全国の陸送ルートを確立する目処が立った。

 これで俺たちと他国との経済力の差はさらに広がる。

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