第140話 お茶会(1)

 1560年10月、即位の礼はつつがなく執り行われた。

 出席を許可されたとはいえ俺たちは武士である。公家の陰に隠れるように文字通り末席に座って大人しく過ごした。


 末席に座っていても緊張はする。

 歴史的な一大行事に出席しているということもあったが、それ以上に京・大坂の警備に抜かりがないかの方が終始気になって仕方がなかった、というのが本当のところだ。

 

 だが、最大の理由は同席した毛利元就もうりもとなりである。


 式典の間、彼が俺たち三人、一条いちじょうさんと伊東いとうさんと俺の三人を鬼の形相で睨み付けていた。

 月並みだが、もし視線で人が殺せるなら、俺たち三人は即位の礼が始まる前に即死していただろう。それくらい迫力のある形相だった。


 いま、思いだしても心臓に悪い。

 伊東さんは俺と同様に居心地が悪そうにしていたが一条さんだけは違った。


 睨み付ける毛利元就に終始笑みを向け、ときどき小さく手を振って挑発をするなど、周囲の目を盗んで余計なことばかりしていた。


 冷汗を流す俺と伊東さんの傍らで、


「大丈夫だよ。毛利元就だって十一月に行う大嘗祭だいじょうさいが終わるまでは大人しくしているさ」


 と実に楽しそうにほほ笑んでいた。


 俺も部下の胃を痛めつけてるのではないかと心配していたが、一条さんに比べれば十分に許される範囲だと思い知った。


 叔父上や善左衛門、明智光秀あけちみつひで辺りを、一条さんのところの家老・土居宗珊どいそうざんと一緒に過ごす時間を多くとるようにはからおう。

 自分たちよりも忍耐強い人たちを目の当たりにすれば、少しは俺に対する態度も軟化するかもしれない。


 ◇


 即位の礼の式典が終わると、翌日から公家や全国の有力大名からの使者が次々と朝廷を訪れる。

 謁見と言うこともあり、俺たちも少し離れたところに立って形だけの護衛に当たった。


 結果、予想が的中する。

 公家たちからの熱い視線と、有力大名の使者たちからの冷たい視線を真っ正面から受けることとなった。


 帝へ謁見に来たのにもかかわらず、帰り際に俺たちへ会釈をする公家たち。

 特に一条さんと俺への視線が熱い。


「三条家の姫を弟さんの嫁さんにした効果だね。公家も血縁が複雑だからなー。美濃みのに帰ったら、『誰だ、お前?』ってやつらが大勢接触してくるんじゃないかな?」


 と一条さん。


「既に接触してきてますよ。幸い、まだ手紙だけですけどね」


 昨夜、善左衛門が無言で置いていった手紙の山が脳裏をよぎる。

 何通か読んだが、どれも俺に側室を奨めるものだった。


「私のところにも手紙が何通も来ていたくらいですから、一条さんや竹中さんのところは凄いことになってそうですね」


『ご愁傷様です』と苦笑する伊東さんをよそに、一条さんが楽しそうに言う。


「まだまだ。大変なのはこれからさ。京だけでなく美濃に帰った後も三条家を通じて接触してくるぞ」


「側室は要らないと明言した方がいいでしょうか?」


 恒殿一人いれば十分。


「言っても無駄だよ。側室を奨めても効果がないと分かったら、次は金の無心だ。どうやって金を引き出すかあの手この手でくるだろうね」


「一条さんはどうやって対処していたんですか?」


 視線を向けると、一条さんがニヤリと口元に笑みを浮かべる。


「詳しいことは夜にでも話そうか。帝とのお茶会の擦り合わせもしたいしね」


 俺と伊東さんの期待が籠もった声が重なる。


「特別ゲストが来ることになったんですか?」


「じゃあ、上手く行ったんですね?」


「バッチリだ。三人で手玉に取ってやろう」


 一条さんがほくそ笑んだ。


 ◇


 数日後、計画通り御所でのお茶会を開くこととなった。


 室内には上座に帝。その傍らに側仕えの男が二人控えている。一人は壮年の男で、もう一人は二十歳前の若者。そして一条さんと伊東さん、俺の合計六人が座っていた。

 用意した席は五つ。


 側仕えの男たちは帝の傍らに控えているだけなので、お茶会のへの出席はしない。


 壮年の男が苛ついた様子で口を開いた。


「まだおいでにならないようですな」


「まだ時間になっておりません」


 俺たちはお茶会の準備という名目で本来の予定よりも三十分ほど早く到着していた。

 しかし、馬鹿正直に準備だけをする訳がない。


 準備の前にその日に使うお茶の道具を帝にご覧頂く予定を組んでいた。

 前情報として今回のお茶会はこれまでのお茶会と違うこと。さらに『紅茶』という新しいお茶をれることと、茶器もガラス製のティーポットと磁器を使うことを帝に知らせていた。


 狙いは的中。

 ガラス製のティーポットと磁器製のティーカップとソーサーに興味を惹かれた帝は、俺たちがお茶会の準備するのを側で興味深げに見ていた。


 こちらも狙い通り、準備はお茶会開始予定時間の十分ほど前に完了。

 帝の眼の前にはガラス製のティーポットと並べられた磁器のティーカップとソーサー、そしてやはり磁器の皿に盛られた菓子類。

 特別ゲストだけが不在のなか時間がゆっくりと流れる。


 そこに特別ゲストの到着を告げる声が引き戸の向こうから響く。


本願寺顕如ほんがんじけんにょ様がご到着です」


 続いて引き戸が開かれ、豪奢ごうしゃ袈裟けさをまとった青年が姿を現した。


 約束の時間通りだ。


「随分と遅いご到着ですな」


 側仕えの男が冷たい言葉を投げかけた。

 

 いや、遅れていないから。

 本願寺顕如は時間通りに到着したよ。変な言いがかりを付けちゃいけないな。


 内心でほくそ笑む俺たち。


 帝とのお茶会。

 晴れやかな舞台を想像して入ってきたのだろう。引き戸が開かれた瞬間の彼の表情はどこか得意げにも見えた。

 だが、男の言葉と既に準備万端整えて座っている俺たちの様子を見て、本願寺顕如の得意げな表情が一瞬で戸惑いの表情に変わる。


「お約束の時間に参ったつもりでしたが……、まさか取り次ぎの者が時間を間違えた……?」


 言葉に詰まり、最後は自問するように言い訳を口にした。


「本願寺様はお約束通りにいらっしゃいました」


 顕如の視線が俺に向けられた。

 無言でいる彼に向けてさらに言う。


「私たち三人はお茶会の準備で早く来たのですが……、予想よりも準備が早く整ったため、図らずも本願寺様が遅刻されたように見えてしまったのでしょう」


 本当は図ったんだけどな。

『配慮が足りず、ご迷惑をお掛けいたしました』そうって頭を下げると、一条さんと伊東さんも頭を下げる。


「帝にご覧いただきながらの準備でしたので、我々も、つい、張り切ってしまいました」


「どうかお気を悪くされないようお願いいたします」


 何が起きているのか未だ理解できていない本願寺顕如は無言のまま立っていた。


「いやいや、お前たちに責任はない」


 帝は俺たち三人にそう声を掛けると、本願寺顕如に空いている席を示して座るように促した。


「さあ、早く座れ。お茶会を始めようではないか」


 帝に促された本願寺顕如が席に着くのを見計らって、側仕えの男が出席メンバーの紹介を始めた。


「こちらが今回のお茶会をご提案くださった一条兼定様です。そのお隣にいらっしゃるのが――――」


 続いて、俺と伊東さんが紹介される。

 俺たち三人の名前が告げられると、出席メンバーを知らされていなかった本願寺顕如の顔に驚きの表情が浮かんだ。


 驚くのはまだ早いよ、顕如さん。

 本当に驚くのはこれからだ。


 そして最後に本願寺顕如が紹介された。


「――――最後にご到着されたのが本願寺顕如様です」


 全員の紹介が終わったところで、御所の一室に帝の声が静かに流れる。


「今日のお茶会を楽しみにしていたぞ」


 続いて今回のホストである一条さんの畏まった声が響く。


「本日のお茶会では、紅茶という新しいお茶をご用意させて頂きました。従来のお茶と違い堅苦しい作法はございません。お茶の味とお茶菓子、そして器をお楽しみいただければと思います」


 一条さんが一際目を惹くガラス製のティーポットに手を伸ばした。

 表面に施した切子細工に似た細工が陽の光を乱反射している。


 一条さんが自らティーポットにお湯を注ぐ。

 すると、乱反射した陽の光と湯の動きとで、ティーポットのなかで舞う茶葉が光の粒子をまとったように輝く。


「これは美しい」


 茶葉が舞うティーポットを帝が食い入るように見つめた。

 狙い通りだ。


「表面の細工次第で幾通りもの輝きを見せます」


 すかさず発せられた一条さんの言葉に帝が興味深げな表情を浮かべた。


「ほう」


「献上の品として異なる細工を施したものを幾つかご用意させて頂いております。もしこちらの容器もお気に召されたのでしたら献上させて頂きます」


「土佐一条家からの贈り物か?」


「こちらのガラス製のティーポットは土佐一条家からとなりますが、ティーカップとソーサーは竹中家からの献上品となります」


 そう言って皆の前に並べられた磁器を示す。

 続いて、磁器の皿に盛られた菓子と砂糖の入ったポットを指した。


「そしてこちらの菓子と砂糖が伊東家からの献上品となります」


 すかさず伊東さんが自分の眼の前にある砂糖の入ったポットの蓋を開けた。

 帝だけでなく本願寺顕如も目を見開く。


 小さなポットではあるが、そこには溢れんばかりの砂糖が入っていた。

 それが人数分用意されている。


「まさか、この壺全てに砂糖が入っているのか!」


 その事実に本願寺顕如が驚きの声を上げた。

 帝と側仕えの男たちに至っては声もない。


 さて、本番はこれからだ。そして俺の役割もここからが本番だ。

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